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第5章 ヨーロッパ世界の形成と発展

2017-06-27 | 生物暗記法

 

4節 西ヨーロッパの中世文化

ア.教会と修道院

■ポイント 西ヨーロッパ中世でのカトリック教会と修道院の果たした役割について知る。

(1)教会と修道院 西ヨーロッパ中世では、a ローマ=カトリック教会  が絶大な権威を持っていた。

    • 出生・結婚・臨終などの人生の節目に教会の儀式が関わり、教会のみが魂の救済ができると考えられた。
       → 教会からのb 破門 は最も思い罰であった。

 モンテカシーノ修道院 

  •  修道院  は、本来は世俗から離れた修行の場であった。
     → 中世ヨーロッパでは教会と修道院が大きな文化的役割を果たした。

(2)修道院の改革運動

ベネティクト修道会  の設立 6世紀
  •  ベネディクトゥス  がイタリアのb モンテ=カシノ  に開設。
    =c 「清貧・純潔・服従」  を戒律としd 「祈り、働け」  
      モットーとする。 → 労働観の変化 
  •  古典古代の生産労働を奴隷に任せるという考えを転換させた。    
     → 次第に修道院も領主化し、腐敗・堕落が起こってくる。
開墾にはげむ修道士

開墾にはげむ修道士

修道院運動  修道院の堕落を批判、改革を目指す運動が起こる。
  • 910年 南フランスにa クリュニー修道院  が設立される。(前出)
  • 1073年 ローマ教皇b グレゴリウス7世  の改革。(前出)
     → 神聖ローマ皇帝とのc 叙任権闘争  を展開(前出)
大開墾時代  11世紀末 a シトー修道会  (フランスの中部)
  • 12~13世紀 修道院による耕地の開墾がすすむ。
     背景 農業生産力の増大 → キリスト教世界の人口増加 →
     大開墾は、十字軍運動、ドイツ人の東方植民、イベリア半島でのレコンキスタと連動していた。    
D 13世紀の修道院運動

解説

 キリスト教の教会と修道院については、第5章1節ですでに触れられている。また、修道院運動も、一時期だけでなく、次のような波があるので注意しよう。
  • 第一の波 6世紀 ベネディクト派による修道院運動
  • 第二の波 11世紀 クリュニー修道院を中心とした改革運動
  • この間に、シトー派修道会による大開墾時代が入る
  • 第三の波 13世紀の托鉢修道会による改革運動
  •  フランチェスコ修道会   (イタリア)アッシジのフランチェスコ が創始。
  •  ドミニコ修道会  (スペイン) → 異端審問を推進する。
     → 托鉢をしながら、民衆を教化し、c 托鉢修道会  と言われる。

(3)キリスト教神学 学問もキリスト教の支配下にはいる。

  • 神学が最高の学問となり、哲学や自然科学もその下に置かれa 「哲学は神学の婢」  といわれた。
  • 聖職者・修道士は知識人として国際的共通語b ラテン語  を用いる。
     参考 382年頃  ヒエロニムスが▲c 聖書のラテン語訳  (ウルガータ)を行う。
     → キリスト教神学を柱としたキリスト教文化が、ヨーロッパ文化の重要な要素として現在も続く。
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Text p.151

イ.学問と大学
カロリング小文字体
カロリング小文字体

■ポイント 「12世紀ルネサンス」の内容を把握する。

カロリング=ルネサンス   8~9世紀 
  • フランク王国 a カール大帝  の宮廷でb ラテン語  の学芸を
     保護する。→ 文芸復興の先駆けとなる。
  •  アルクィン  :イギリス出身。カール大帝のアーヘンに招かれる。
     → 古典研究を始め、7自由学科 などラテン文化の復興に努める。
  •  アルファベット小文字   カロリング小文字体から普及した。
スコラ哲学  11~12世紀に隆盛。
  •  スコラ  = 教会や修道院の付属学校のこと。キリスト教神学の論理的体系化をすすめる。
     → ローマ=カトリック教会の権威の確立をめざし、西ヨーロッパ特有の学問として発展した。
  •  普遍論争  が中心的議論となる。
      c 実在論  :d アンセルムス  ら、普遍は実態として現実に存在するとする。
      e 唯名論  :f アベラール  ら、普遍は思考の中(観念)に存在するにすぎないとする。
12世紀ルネサンス 

解説

中世ヨーロッパの文化がけしてキリスト教の理念だけで成り立っていたのではなく、豊かで多面的な文化であったことを示す動きとして、12世紀ルネサンスが注目されている。特に、ヨーロッパの人びとが十字軍運動を契機にイスラーム圏と接触することとなり、イスラーム文化に触れることによって、その中に伝えられていたギリシアの古典文化を知ったことが、後の14世紀に始まる本格的ルネサンスへの橋渡しとなったと考えられている。
  • 十字軍運動などを契機として東方との交流盛んになったことによって生じたヨーロッパ文化の変化。
  •  ビザンツ帝国とイスラーム圏からもたらされたギリシア語文献・アラビア語文献がラテン語に翻訳された。  
    ※古代ギリシアの文献は、b バクダードの知恵の館  でアラビア語に翻訳され、さらにイベリア半島の
     c トレドの翻訳学校  などで、ラテン語に翻訳されてヨーロッパに知られるようになった。(前出)
  • 特にギリシアのd アリストテレス  哲学によるスコラ学の体系化がすすむ。
  • その他の12世紀の西欧文化の新た強い動き。
      e 大学の成立  、f ゴシック式建築  、g 騎士道物語  の発生など(いずれも下掲)
トマス=アクィナス
 トマス=アクィナス  
D キリスト教神学の大成と新しい思想の登場
  • 13世紀 a トマス=アクィナス  、b 『神学大全』  を著す。
     = 実在論にたってスコラ学を大成し、ローマ教皇権の理論的支柱となる。
  •  ロジャー=ベーコン  :13世紀 イギリス。オックスフォード大学
     → イスラーム科学の影響を受け観察と実験を重視した近代的自然科学を準備。
  •  ウィリアム=オブ=オッカム  :14世紀 イギリス。唯名論を復興し、
    神学と哲学の分離を説く。
     → 近代的合理思想の基礎を築く。

Text p.152

中世の大学   12世紀 に始まり13,14世紀に発展した。
    • 中世の学問の中心は教会・修道院にあったが、商業の発展にともない都市に移った。
    • 起源 = a 教会付属学校を母体に、教授と学生の組合として大学が生まれた。   
       → 教皇や皇帝から与えられたb 特許状によって自治を認められたギルド  として運営された。
    • 構成 神学・法学・医学の3学部と人文学部(一般教育)がそろった大学を▲c ユニベルシタス  といった。
    • 科目:▲d 7自由学科  :教養科目として文法・修辞・弁証法・算術・幾何・天文・音楽があった。
中世の大学
中世大学の講義風景
  • 中世ヨーロッパの主な大学
    イタリア:e ボローニャ大学  :最古の大学とされる。法学で有名。
         ▲f サレルノ大学  :アラビア医学を導入した医学。
    フランス:g パリ大学  :神学部=ソルボンヌが有名。 
    イギリス:h オクスフォード大学  :パリ大学を模範に創設。神学の研究。
         i ケンブリッジ大学  :オクスフォードから分離。法学の研究。
        → この両校はいずれもj コレッジ制  =学寮が中心。
    ドイツ領:▲k プラハ大学  :ドイツ語圏最古の大学。
         神聖ローマ皇帝カール4世が創建。

<参考>大学の自治 大学の自治権は保障され、政治権力の支配は及ばなかった。

自治を担う教授と学生は身分は対等であったが、学生が管理運営の中心となって運用するボローニャ大学型と、各教科の教授団が運営するパリ大学型の違いがあった。

14世紀 封建社会の行き詰まりに伴い、カトリック教会の学問・芸術支配に対する疑問が起こってくる。
 → 商業的先進地域であったイタリアで、人間中心の新しい世界観=ルネサンスの動きが始まる。

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用語リストへウ.美術と文学

Text p.148

■ポイント ロマネスク様式とゴシック様式の違いを理解する。中世の文学の特質を理解する。

(1)美術 教会建築とそれに付属した壁画が発達。
 ・中世初期のa ビザンツ様式  の模倣から脱し独自の様式を持つようになる。

ピサ大聖堂

 ピサ大聖堂   右端が斜塔

ロマネスク様式  11世紀ごろ いいロマピヴォク重子はん。
  • 特徴:a 半円状アーチ  と厚い壁、小さな窓。
     = 重厚、荘重な安定感。
  • 分布:旧ローマ帝国領の都市に建設され、次第に北ヨーロッパの
       山間部に広がった。
  • フランス:クリュニー修道院(前出)
    イタリア:b ピサ大聖堂   (斜塔で有名)
    ドイツ:ヴォルムス大聖堂(神聖ローマ帝国の帝国議会開催地)

ゴシック様式   12~13世紀

ケルン大聖堂

 ケルン大聖堂  

    • 特徴:a 尖塔アーチ  と穹窿天井、高い塔、薄い壁、広い窓と
         b ステンドグラス  
    • 背景:カトリック全盛期の強い信仰心を象徴し、都市の商人の経済力
         を背景に、大都市に建設された。
    • フランス サン=ドニ修道院(最古の例)
           c ノートルダム大聖堂   (パリの中心部シテ島にある)
           d ランス大聖堂   (クローヴィスの洗礼教会)
           e シャルトル大聖堂   (ステンドグラスで有名)
           f アミアン大聖堂  (最大規模のゴシック建築)
    • ドイツ  g ケルン大聖堂   (ドイツ最大の建造物 完成は19世紀)
シャルトル大聖堂

 シャルトル大聖堂 
のステンドグラス

  • イギリス h カンタベリー大聖堂  (イングランドの大司教座教会)
         ウェストミンスター大聖堂 (イギリス国王の戴冠式場) など

・14世紀 あらたにルネサンス様式が起こる。

(2)文学

  •  ラテン語  の文学にかわり口語(俗語)文学が生まれる。
  •  騎士道物語   西欧中世の人間の理想像となる。
     武勇と主君への忠誠、神への信仰、女性・弱者への保護を重視したc 騎士道  
     道徳が重んじられる。
     ドイツ:d 『ニーベルンゲンの歌』  (ゲルマンの古伝説の英雄詩)
     フランス:e 『ローランの歌』  (カール大帝の時代の騎士の武勇を歌う)
     イギリス:f 『アーサー王物語』  (ケルト人の古伝説から発展)
  •  吟遊詩人  の活動 12世紀 
     南フランスではトゥルバドゥール 、ドイツではミンネジンガーと言われる。
     各地を遍歴し、市場や宮廷で騎士たちの恋愛を主題にした詩を吟じた。

<参考>

北欧(ノルウェーやアイスランド)では、9~13世紀に、神話や英雄伝説が、『エッダ』や『サガ』としてまとめられ、現在に伝えられている。

 
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第6章 内陸アジア世界・東アジア世界の展開

2017-06-27 | 生物暗記法


1節 トルコ化とイスラーム化の進展

ア.トルコ系民族の進出とソグド人

■ポイント 中央アジアにおけるトルコ系民族の突厥・ウイグル、イラン系民族のソグド人の活動を知る。

  • 中央アジアのオアシス都市を結ぶa オアシスの道  には、b インド=イラン系  が多かった。
  •  トルコ系民族   前1世紀頃、匈奴の衰退に替わり、モンゴル高原で自立したd 遊牧騎馬民族  

解説

 トルコ民族はアルタイ語に属する民族で、もともとは内陸アジアの広大な草原で騎馬遊牧民として多くの部族を構成していた。世界史上、彼らは活発な民族移動を繰り返し、様々なトルコ系民族が興亡した。現在の小アジアにあるトルコ共和国は、民族的にはその後継者であるが、かつてトルコ民族が活動していた地域から遠く離れて建国している注意すること。突厥以前には、中国の史料に現れる丁零、高車、鉄勒などもトルコ系と考えられている。
突厥   の進出  はじめ、モンゴル高原で、モンゴル系の柔然の支配を受けていた。(3章3節 p.90)
    • 553年 柔然を倒してモンゴル高原を制圧。中央アジアに進出し広大なa 遊牧国家  を建設。
    • 557年頃 b ササン朝  のホスロー1世に協力し、c エフタル  を滅ぼす。(1章1節 p.25)

解説

 突厥はトルコの原音である「テュルク」を漢字に当てたもの。つまりトルコ人である。突厥は教科書のササン朝(第1章)、隋・唐(第3章)でも出てくるが、ほとんど説明がないのでイメージを作るのが難しいが、6~7世紀にユーラシア内陸部に広大な遊牧帝国を建設した、世界史上の重要な民族である。彼らが突厥文字という文字を持ったことも重要。その建国の年の552年は、現在のトルコ共和国の建国年ともされている。
  • 583年 中国のd 隋  に圧迫され、東西に分裂。
      西突厥 → 中央アジアのアム川上流地域を支配。
      東突厥 → モンゴル高原東部を支配。8世紀にトルコ系民族の最初のe 突厥文字  を使用。(p.91)
ウイグル  の進出。

解説

 ウイグル人もトルコ系の重要な民族。中国史料では「回紇」として出てきて、唐と関係が深く、特に安史の乱においては唐軍を助け、安禄山の反乱軍と戦ったことがよく知られている。文化的にはマニ教の信仰とウイグル文字が重要で、いずれもソグド人から学んだことである。また9世紀にキルギスに圧迫されて分裂、四散したことが、遊牧生活を送っていたトルコ民族が中央アジアに定住し、先住のイラン系民族もトルコ化し、その地がトルキスタンと云われるようになる契機となった。なお、彼らは後にイスラーム化し、子孫は現在も中国の新疆ウイグル自治区に多数住んでおり、漢民族とまったく違った伝統を維持している。中国からの独立の要求も強く、時として暴動やテロ事件が起きているので目を離せない。
  • 8世紀 モンゴル高原から中央アジアのオアシス地帯に進出。
    → イラン系民族で、交易に従事していたa ソグド人  の協力を得て、広大な遊牧国家を建設。
  • 755~763年 b 安史の乱  では唐を助ける。(3章3節 p.93)

Text p.154

ソグド人  の活動  中央アジアで以前から活動していたa イラン系民族  

解説

 ソグド人はイラン系であることに注意。トルコ人より早く、内陸アジアのオアシス地帯で交易に活躍した。突厥、ウイグルのもとでも商業活動を続け、中国まで進出、唐では「胡人」と云われ、マニ教やゾロアスター教を伝えた。唐の宮廷に仕えるものも多く、安史の乱を起こした節度使の安禄山はソグド人だったと云われている。
  •  ブハラ  やc サマルカンド  を拠点に、さかんにd 商業活動  を行う。
    → その拠点のアム川上流地方を▲e ソグディアナ  という。(地図参照)
  • 突厥、ウイグルの遊牧国家の領内に植民して集落を作り、さらに隋・唐にも進出しf 中継貿易  に従事。
    → g ソグド商人  によって、ユーラシア大陸の東西を結ぶh 交易ネットワーク  が構築された。
  • 中国の生糸や絹を西方にもたらす。 → オアシスの道はi 絹の道(シルクロード)  と呼ばれる。(3章1節)
  •  マニ教  、k 仏教  、l キリスト教  、m ゾロアスター教  が東方に伝わった。
  • ソグド人が使用したアラム系文字のソグド文字がウイグル人に伝わりn ウイグル文字  が作られる。
     → さらに東方に伝えられ、o モンゴル文字  、p 満州文字  などの原型となった。
D トルコ系民族の西方への移動
  • 840年 ウイグルはa キルギス人   (同じトルコ系民族)の攻撃を受け、東西に分裂。
     東ウイグル パミール高原の東、唐の西部辺境(西域)のタリム盆地に移動して定住。
     西ウイグル パミール高原の西、ソグディアナの地に移動し定住。
  • さらに圧迫された別のトルコ系民族が西方への移動を開始した。
トルキスタン要図
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イ.トルキスタンの成立

■ポイント トルキスタンという地名の意味と、その地域の特性を理解する。

トルキスタン   の成立

Text p.156

  • 9世紀 a ウイグル  国家の崩壊 → トルコ系のウイグル人がパミール高原の東西に広がる。
    → オアシス地帯に定住し、先住のイラン系民族と同化が進む。 → b 中央アジアのトルコ化  が進む。
  • トルコ化 = c トルコ系民族の定住化にともないイラン系民族がトルコ語を使用するようになったこと。  
B 東西のトルキスタン
  • パミール高原の東西がA アトルキスタン  といわれるようになる。(ペルシア語で「トルコ人の地域」の意味)
  • a 西トルキスタン   かつてのソグディアナ。現在のウズベキスタン、タジキスタン。
      ソグド人が多く、イラン起源のb ゾロアスター教   が信仰されていた。
  •  東トルキスタン   タリム盆地のオアシス地帯。現在の中国の▲d 新疆ウイグル自治区  
      ウイグル人を中心にe マニ教  、f 仏教  の信仰が盛んになる。
  • ウイグル人はソグド商人に替わり、内陸アジアの国際交易に活躍した。(モンゴル帝国の成立する13世紀まで)
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用語リストへウ.トルコ人のイスラーム化 
■ポイント トルコ系民族がイスラーム教を信仰するようになった経緯と意義を知る。
タラス河畔の戦い  751年
    • 8世紀初め以降、アラブのイスラーム教徒の勢力がトルキスタン南西部に進出。
      → アム川の向こう岸をマーワラーアンナフルと呼ぶ。ムスリム軍とトルコ系遊牧騎馬軍の衝突続く。

解説

 イラン高原から北上したアラブ人はアム川以北の肥沃な地を「マーワラーアンナフル(川の向日の地の意味)」と呼んであこがれていた。また唐は西域支配を拡張し、西トルキスタン進出を狙った。結果としてアッバース朝の勝利は、イスラーム教が中央アジアに広がること唐の衰退の始まりにつながった。この戦争で、唐からイスラーム世界に製紙法が伝えられたことはすでに学んだ。
    • 751年 タラス川の河畔でa アッバース朝  のムスリム軍がb 唐  の軍隊を破る。
       → c 西トルキスタン地方のイスラーム化が始まった。   
サーマーン廟

ブハラのサーマーン廟

  • 9世紀 ムスリム商人の活動活発になりアラル海方面に進出したトルコ人と接触。
    → d トルコ人のイスラーム化が進む。  

サーマーン朝  875年 イスマイール=サーマーンが建国。

    • 都はa ブハラ  。b イラン系  の最初のイスラーム国家。
      → アッバース朝から西トルキスタンの支配を認められる。
    • 都a ブハラ  にイラン=イスラーム文化が成立。(4章4節)
        イスラーム医学を大成させたc イブン=シーナー  が活躍。(p.118)
    • トルコ人のイスラーム教への改宗も進む。

解説

 サーマーン朝はイラン系の地主であったイスマイール=サーマーンがアム川以北のマーワラーアンナフルで初めてイスラームに改宗し、アッバース朝カリフからその地方の支配権を認められた地方政権。その都ブハラは古来イラン系のソグド人の商業活動で栄えたところで、シルクロードの重要な中継地でもあった。
 写真はイスマイール=サーマーンの廟。ブハラ近郊で近年に発掘されたもので、約9m四方の四角い建物の上にドームを持つこの建築は、日干し煉瓦だけで築かれ、中央アジアにおける最初のイスラーム建築として貴重である。
  • トルコ人を軍人奴隷とするd マムルーク  が始まる。(4章2節 p.106)

Text p.157

カラハン朝   10世紀半ば ~ 12世紀半ば

  • 999年 サーマーン朝を滅ぼし、a トルコ系  の最初のイスラーム国家として成立。
    → b 東西トルキスタン  を併せて支配。
  • トルキスタンのトルコ人のイスラーム化がさらに進む。
    → 中央アジアのイスラーム化が決定的となる。
  • 1077年 中央アジア出身のc カシュガーリー  、『トルコ語辞典』をバグダードで完成させる。

D トルコ人の西方移住が進む

  • イスラーム化した中央アジアのトルコ系民族は、その後も西方移住を続けた。
  • 11世紀 a セルジューク朝   西アジアに進出。1055年 バグダードに入城しブワイフ朝を倒す。(4章2節)
    → さらに小アジアに進出し、ビザンツ帝国を圧迫。 → キリスト教側のb 十字軍運動  を誘発。(5章3節)

・13世紀末 c オスマン帝国   小アジアに起こったトルコ系国家。15~19世紀に大国として繁栄。(後出)
 ※トルコ共和国は、現在は小アジアの一国名であるがトルコ系民族は中央アジアで広く活動していたことに注意

 
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