普段旅籠で 蔵も藩。
(札差(ふださし))(蔵元(くらもと))
[ポイント]
1.各藩の年貢米を蔵元が売買、その代金を掛屋が出納、一方旗本・御家人の給米を札差が売買換金した。
[解説]
1.大坂は「天下の台所」といわれ、西日本や全国の物資の集散地としてさかえた大商業都市であった。西日本や日本海側の諸藩を中心に蔵屋敷を大坂において、領内の年貢米や特産物である蔵物を蔵元・掛屋と呼ばれる商人を通じて販売し、貨幣の獲得につとめた。
2.蔵屋敷は大坂のほか、江戸・長崎・大津など幕府の直轄都市におかれた。蔵屋敷において、蔵物の取引にたずさわるものを蔵元、代金などの出納にあたるものを掛屋と呼んだ。同じ商人が両者を兼ねることも多かった。
3.幕臣である旗本・御家人の俸禄(蔵米)の受取・売却・金融をおこなう商人を札差という。
〈2016立教大・文:「
問2.江戸時代のこれ(米)に関する記述として正しいのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
a.大坂では堂島で米市場が発展した
b.蔵元は年貢米の保管・管理をおこなったが、販売はおこなわなかった
c.脱穀は踏車を使っておこなわれるようになった
d.水呑百姓はその所持する石高の40~50%を米穀などで領主におさめた
(答:a ※b×販売をおこなう、c×踏車は揚水用具、d水呑百姓は自分の農地を持ってない)
〈2016早大・人間科学:「
問5 下線部c(18世紀後半の農村)の村内の階層分化に関連する記述として、正しいものはどれか、1つ選べ。
ア 困窮した百姓に金を貸し、質にとった土地を集めた町人は蔵元と呼ばれ、商品作物の生産流通の中心を担った。
イ 自分の土地や家を失った百姓は、小作人になるか、年季奉公・日傭稼ぎのために村を離れていった。
ウ 18世紀後半、幕府は質流れのかたちで田畑が売買されるのを禁じたため、各地で質地騒動が起こった。
エ 天災や飢饉で疲弊した農村の立て直しを図るため、松江藩の佐竹義和は徹底した勧農抑商策をとった。
オ 享保の改革では、江戸に流入していた没落農民の帰村・帰農を奨励する旧里帰農令が出された。」
(答:イ ※ア×蔵元→質地地主、ウ×「田畑の質入れは認めるが質流れは認めない」という趣旨の質流地禁止令を農民が質地取り返しができる徳政令と解釈したためおきた騒動、エ佐竹義和は秋田藩主、オ×旧里帰農令は寛政の改革)〉
〈2016立教大・法済異文:「
問2.これ(札差)に対して旗本・御家人への貸金を放棄させた、寛政の改革における法令の名をしるせ。
(答:棄捐令)〉
〈2016法大・済(国ビジ)社(政策メディ)現福:「
問14 下線部l天保の改革とよばれる一連の改革の説明として誤っているものを下記のア~オから二つ選べ。
ア 川越・庄内・長岡3藩の領知をたがいに入れ換えることを命じたが、領民の反対もあって撤回された。
イ 物価の引き下げを期待し札差の解散を命じたが、江戸への商品輸送量が減り、逆効果となった。
ウ 江戸に流入した貧民の帰郷を強制する人返しの法を発し、荒廃した農村の再建をはかろうとした。
エ 関東の農村で治安の乱れが生じたため、関東取締出役を設けて、犯罪者の取り締まりにあたらせた。
オ 倹約令を出して、ぜいたく品や華美な衣服を禁じ、庶民の風俗もきびしく取り締まった。」
(答:イ×札差→株仲間、エ×関東取締出役は大御所時代)
〈2013同志社大学・法グロコミュ:「
問コ.以下にあげる史料は1789年に札差に債権の全部または一部を放棄させる目的で幕府が発布した法令である。( )の中に入る言葉を漢字2字で記せ。
旧来之借金は勿論、六ヶ年以前辰年までに借り詰け候金子は、古借・新借之差別無く、( )之積り相心得べき事。」
(答:棄捐)〉
〈2014文教大学・全学部:「
問6 下線部(e)金融業に関連して、江戸時代、幕府の年貢米の売却を扱い、旗本・御家人への金融を行った商人の名称として最も適切なものはどれか。次の中から一つ選べ。」
1蔵元 2掛屋 3札差 4問丸」
(答:3)〉