暗く内向き二ッとベー。
(札幌バンド)(新渡戸稲造(にとべいなぞう)・クラーク)(内村鑑三(うちむらかんぞう))
[point]
1.札幌バンドは、クラークの感化により入信した新渡戸稲造・内村鑑三らの信仰集団。
[解説]
1.札幌農学校の生徒だった内村鑑三や新渡戸稲造らは、米人教師クラークの感化でキリスト教に入信した。1877年3月、信仰契約に署名し札幌バンドと呼ばれる信仰集団を形成。バンドは団の意。
〈2017早大・人間
その後、禁教が条約改正交渉に悪影響を与えていることを認識した明治敗府は、1873年にキリスト教禁教の高札を廃止した。e.さらに、外国人教師らの影響もあって、キリスト教の信仰は、青年知識人層を中心に次第に広がりを見せるようになった。1889年に発布された大日本帝国憲法では、条件つきながら、信教の自由が明文化された。
問8 下線部eに関連して、明治期におけるキリスト教信仰に関する記述として、誤っているものはどれか、1つ選べ。
ア アメリカ人のジェーンズは、熊本洋学校で聖書を講じた。
イ 井上哲次郎は、内村鑑三不敬事件を受けてキリスト教を厳しく批判した。
ウ 救世軍や矯風会などのキリスト教団体は、廃娼運動に尽力した。
エ 熊本バンドに参加した植村正久は、後に吉野作造や鈴木文治を育成した。
オ 新渡戸稲造は、札幌農学校でキリスト教に入信した。」
(答:エ× ※植村正久は熊本バンドではなく横浜バンドのメンバー「木」「ま」)
〈2016慶大・文
軍人であった( M )は旧熊本藩立学校の熊本洋学校に招かれており、彼の教え子たちの集まりが熊本バンドである。これに対して、札幌農学校でウィリアム・スミス・クラークの教えを受けて改宗した者たちは札幌バンドと呼ばれる。その一人の( N )は、のちに無教会主義を提唱している。彼がキリスト教徒としてとった行動が大きな問題となり、帝国大学教授( O )は論文「教育と宗教の衝突」でキリスト教を激しく糾弾している。
M:1W.E.グリフィス
2H.ケプロン
3L.ジェーンズ
4B.プティジャン
5D.マレー(モルレー)
N:1植村正久 2内村鑑三
3海老名弾正
4徳富蘇峰 5新島襄
O:1姉崎正治 2井上哲次郎
3久米邦武 4田口卯吉
5元田永孚」
(答:M3、N2、O2)井上哲次郎「教育と宗教の衝突」〈い〉〈の〉〈つ〉
M4.ベルナール・プティジャン(フランス語:Bernard-Thadée Petitjean, 1829年6月14日 - 1884年10月7日)は、フランス出身のカトリック宣教師である。パリ外国宣教会会員として幕末の日本を訪れ、後半生を日本の布教にささげた。1865年、大浦天主堂での「隠れキリシタンの発見」(信徒発見)の歴史的瞬間に立ち会ったことで有名。
O1.姉崎 正治(あねさき まさはる、1873年7月25日 - 1949年7月21日)は、日本の文筆家・評論家・宗教学者(インド宗教・神道・仏教・キリスト教・新宗教)。