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ベック式!難単語暗記法ブログ

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総合・地域史 地中海世界 ★★ ギリシアとローマ

2017-12-06 | 入試問題+ゴロ合わせ
2009 京都大学

【問】次の文章の[   ]の中に適切な語句を入れ、下線部(1)~(8)について後の問に答えよ。

 古代の地中海地域を中心に文明を築いたギリシア人とローマ人には、市民権を持つ都市の正式構成員が主体となる政治体制を樹立するなど、共通する面も多かったが、他方ではまったく性格の異なる政策を実施するなど、注目すべき相違点もみられる。
 (1).古代ギリシアの代表的なポリス、アテネでは、民主政の発展によって成年男性市民の総会である民会が国政の最高決定権を有しまた市民は一部の特別職を除いて誰でも公職に就くことができ、公職者はくじで選ばれ、日当が支払われた。参政権は市民の成年男性に限られており、女性や在留外国人には与えられなかった。しかも、(2).紀元前5世紀中ごろの立法によって、アテネ市民の両親から生まれた子でない限り市民権は与えられなくなった

 ローマの場合も、共和政の時代は、市民の集会である民会で国家の公職者が選出され、参政権を持つ者も成年男性に限られていた点は、アテネと同様であった。しかし、(3).ローマ市民の中でも貴族が公職を独占的に保持して権力をふるい貴族主導の政治体制をとった点は大いに異なる。また、(4).ローマ人は征服活動を進める過程でローマ市民権を他の諸部族、諸民族にも与えたため、(5).政治的特権であるローマ市民権を持つ市民団は、故地ローマ市はもとより、イタリアをも越えて拡大した

 対外的な活動においても、ギリシア人とローマ人の違いは注目に値する。両者とも(6)地中海を自由に航行し、植民活動や都市建設をおこなっている。しかし、ギリシア人の場合、植民によって建設された都市は母市から独立したポリスとなったが、ローマ人が建設したり植民したりした都市がローマ国家から切り離されることはなかった。また、ギリシア人は広大な植民活動をおこなったが、植民市はおおむね故地と気候や風土の似た海岸部に建てられたのに対し、(7).ローマ人の場合、ヨーロッパの内陸部にも征服地を広げ、イタリアとは気候や風土の異なる地域にも都市を建設した。このため、(8)ローマ人の国家は、地中海沿岸にとどまらず、ヨーロッパの中央部、さらにはブリテン島やドナウ川下流域にまで広がり、ヨーロッパの広大な地域に大きな影響を残すこととなった。

(1) 
アテネとともに古代ギリシアを代表するポリス、スパルタは、市民間の平等維持や厳しい軍事訓練などを定めた独自の国家制度を完成させた。この名称を記せ。
(2) 
この法律を提案しアテネ民主政の黄金期を築いた政治指導者の名を記せ。
(3) 
貴族の権力から平民を守るために前5世紀に設置された公職の名を記せ。
(4) 
前l世紀の初めに、イタリア半島の都市へのローマ市民権付与をめぐって生じた戦争の名を記せ。
(5) 
政治的特権であったローマ市民権は、保持者の増大につれて特権としての価値を減じていった。
 (ア)
キリスト教のローマ帝国東部への伝道に活躍し、キリスト教を世界宗教とするために最も大きな役割を果たした人物は、属州で逮捕されたが、ローマ市民権を有したために首都ローマの皇帝の裁判に上訴することができた。この人物の名を記せ。
 (イ)
紀元3世紀の初めにはローマ帝国内のすべての自由民にローマ市民権が与えられた。この措置がなされた当時の帝国の状況を正しく説明した文章を、次の(a)~(d)より1つ選んで、記号で答えよ。
   (a)
オクタウイアヌスが内乱に勝利し、新しい政治体制を導入した。
   (b)
デイオクレテイアヌス帝が混乱した帝国を再統一し、様々な改革を断行した。
   (c)
門閥派と民衆派の政治権力をめぐる争いが激化した。
   (d)
五賢帝時代も過ぎて、国境外の諸民族の侵入や皇帝位をめぐる争いが頻発するようになった。
(6) 
ローマ人の地中海進出以前ギリシア人とともに地中海での交易や植民に活躍し、カルタゴなどの植民市を建設した民族の名を記せ。
(7) 
初代皇帝アウグストゥスの治世に、ローマの3軍団がゲルマン人の部隊によって全滅させられ、ローマの内陸部征服計画は頓挫することになった。この戦いの名を記せ。
(8) 
ローマ人が進出する以前のヨーロッパ中央部には、前5世紀から前1世紀にかけて独自の性格を持つ鉄器文化、ラ・テーヌ文化が広がっていた。
 (ア)
この文化の担い手となった民族の名を記せ。
 (イ)
この文化の担い手である人々がローマの支配下に包摂されるようになる大きな契機は、ユリウス・カエサルの遠征である。彼がこの遠征について自ら書き記した作品の名を記せ。
 

解 答

5 ア
リュクルゴス制 ペリクレス 護民官 同盟市戦争 パウロ 
5 イ 8 ア 8 イ
 d  フェニキア人 トイトブルクの戦い ケルト人 『ガリア戦記』

※別解:問7:トイトブルク森の戦い

解 説: 

問3.前494年 〈ローマ、聖山事件~護民官の設置〉
良くしまっせと 護民官
494年 聖山事件 護民官 

問4

前91 〈同盟市戦争〉

悔(く)いすら残る 同盟し。

前91 スラ  同盟市戦争  市民権 

問7のトイトブルクの戦い(トイトブルク森の戦い)は教科書・用語集にないが、アウグスティヌスがゲルマン人に敗れた戦いとして有名。アウグスティヌスの派遣した将軍ウァルスの率いるローマ軍が、現在の北ドイツのウェストファリア地方にあったトイトブルクの森で、アルミニウスという指導者に率いられたゲルマン人に敗れ、3個軍団が全滅した。その知らせを受けたアウグスティヌスが、泣きながら「ウァルスよ、余の軍団を返せ!」と叫んだというのは有名なエピソードである。この戦いの敗戦でローマとゲルマン人の境界はライン川とドナウ川を結ぶ線に確定した。

急(きゅう)会う、逃げる 遠い森。

9年  アウグストゥス 

     アルミニウス ゲルマン人 トイトブルク森の戦い


問8の問題文の“ラ=テーヌ文化”は教科書では取り上げられないが、スイスの遺跡から名付けられたヨーロッパ鉄器文化後期の文化で、ケルト人の文化とされている。(ア)ケルト人はゲルマン民族以前に西ヨーロッパに広く分布した原住民。
 
コメント
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