お茶を少々嗜んでいますが、非常に奥が浅く、お茶の稽古をしていますとなかなか人に言えません
自分の茶道の自信のなさは、お点前の手順云々よりも、もっと違う所にあるように思います
一つは歴史に対する無知と知識欲の無さ
例えば、小堀遠州に関しては、遠州流という茶道の流派があるという程度しか知りませんでした・・・30代の頃の事です
スイミングスクールで知り合ったIさんとは、入会したのが同じ時期だった事、似たような年齢の子供がいた事などから親しくなりました
彼女の家に招かれた時、嫁入りタンスに小堀の家紋が彫ってあり、母の好みでこういう拘った事しちゃって😪と、考え方や感覚の違うお母様の事を話題にしたのです
彼女の旧姓が小堀姓だと知りましたが、まさか遠州の末裔というプライドが 彼女のお母様にあることまでは、理解できていませんでした
私がIさんの事を、トトさんに話してもなかなか名前を覚えてくれません
ところがある時、旧姓が小堀だってというと、一発で覚えてくれました
私の父にも、話したことがあります
父もすぐに、徳川家康に仕えた武士で、有名な庭をたくさん使った人だよ・・・そして延々と遠州の話を楽しそうにしてくれました
その後は、京都や日光東照宮などに、小堀遠州が作った庭園を見る機会があったりして、遠州が江戸初期の頃、日本の歴史の中で重要な人物だった事を少しずつ知ってきました
でも、やはり印象の薄い人なのです
で、今日の本題のタイトルの本ですが、小堀遠州のお茶の世界観みたいなものを中心にして書かれた小説といえばいいのでしょうか
時代は遠州の晩年で、遠州が交流があったりした歴史上の有名人が、お茶に絡めて登場する回顧録の形で書かれています
しかも有名な人物ばかり
その中の一人、古田織部のエピソードが斬新で面白いものでした(私だけが知らなかった事なのか、室蘭 麟の作なのかはわかりません)
遠州の茶の師は、古田織部で、織部は千利休の直弟子です
お茶の稽古をしている人は、「泪」という銘のついた茶杓をご存知の方は多いと思います
秀吉に切腹を命じられた利休が、自ら削り、最後の茶会に用いた茶杓
その茶杓は、織部に形見に渡され、茶杓は窓のついた筒に納められて、織部が位牌がわりに拝んでいたと伝わっています
利休が秀吉に堺に蟄居を命ぜられて、京の聚楽第を出て淀から船に乗るときに、二人の利久の弟子が見送ります
その二人とは細川三斎と古田織部です
で、茶杓は三斎ではなく織部に渡されるのです
織部は二代将軍の茶の指南役も務めるほど家康には気に入られていたはずなのに、やはり最後は切腹となります
織部亡きあと 織部が肌身離さず持っていたであろう「泪」を三斎が欲しがり、遠州が困り果てます
利休、織部と切腹に追いやった「茶杓 泪」は、もう争いの種にならないようにしたいと家康に納めるよう苦心した
と、こういう風に書かれています
他の章も、茶道具と 時の武人や天皇や商人と、遠州を絡めて書かれています
遠州について、もっと深く掘り下げた描写が欲しいなと思うものの、バラバラの知識をまとめるのには、とても良かったし、愉しめました
ところで、利休が削った最後の茶杓「泪」は、まだ現存しています
愛知の徳川美術館の所有で、利休の命日の前後だけ一般公開されているそうです
一度はこの目で見てみたいものです