橋から向こうへの道は。。。あらら まるで車でも走れそうな様子。はて? ケーブルカーの駅があったわけでも無いし。。。
と思っていたら あはは やっぱりすぐに山道になったよ。
相変わらず律儀にも町石と仏様のセットが並び 壊れてしまった町石は 新しく作り直して・・・
お陰で自分の位置が何となくみえて安心だけれどね。
12町過ぎて突然の展望
もっと晴れていたら 青く光っていたかも。。。
ちがうかぁ ちょっと肌が違うね?この木には可愛らしい山の守番が・・・
篤志家によって再現されたとのことで 感謝の意を込めた碑まで建っていた。
何じゃ? これは
これは旅館の跡地なんだって
こんな山の上に旅館があった。当時は全国にも知られる有名な旅館だったそうで 本館と別館に別れていて 100畳敷きの大広間もあり 和洋食のメニューは鳥羽の新鮮な魚介類で整えられていたとか。。。
伊勢神宮のそばに東風屋って言う少し高級な料理屋があるけれど ここが元だったのかしら?
昭和19年 ケーブルカーが廃止になって 旅館に来る人もいなくなり 喫茶だけでしばらくやっていたらしいけれど39年に火事で焼けて 本当に廃業
宇治岳道と朝熊岳道の分岐では ケーブルカーが無いと人が訪れることは無理があるな。残念。
ケーブルカーの駅からとうふ屋を経由して金剛證寺までを走っていたらしい。
伊勢神社の内宮から朝熊山までごとごと登っていたボンネットバスもあるよ。
いずれももう残っていない。 乗ってみたかったな。今はみんな車で上れちゃうから 商売にはならないの分るけれど・・・
ちょっと昔を懐かしんでみたり さみしさに浸って見たり 宇治岳道のさきを見つめて あの先にはどんな道が開けているんだろうと 思う。