Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

てっぺんを歩く旅 礼文島Ⅰ

2011-08-16 23:35:07 | 山歩き

何年か前朝寝ていると 旅行中のはずの息子から電話「今利尻岳の頂上 今から降りるよ。」 へ~~? 起きて調べると 上りに6時間が標準時間の山だとか 電話の向こうは大興奮の様子だった。 息子初めての登山で登った山。

「どうしてもお母さんにも登って欲しいから」 ま 今の健康状態では無理ですけれどね

利尻登山は無理でも 礼文と 利尻 出来るだけ歩いて確かめよう・・・と言うことで家族4人の旅行。 嬉しい話です。こんな日が来るなんて

Ferry

一日目は礼文 宿は島でただ一つのペンションうーにー 

息子は花礼文にしたかったらしいけれど 何しろ4人分だからね  で う~に~ 香深港の高台にある。

大忙しの移動だったので あまり食べていなくて おかしボリボリ。。。。 なんだか欲求不満

Kafuka
香深港についた頃には おなかぺこぺこ

港煮立つ背高のっぽのホテルが花礼文

中腹にある 水色の建物が(見えるかっ!)う~に~

えらい違いや

それでもご飯おいしかったよ。

Zensai

Misosiru何のスープかなと思うでしょ?

味噌スープ。 変に洋風にすること無いのにね。

Uni_2出ました ウニ 蝦夷バフンウニです。

とても甘くて味が濃い。

これは後でウニご飯にして食べます。

後ろにあるのは 刺身 あんど春雨入りサラダ

面白い取り合わせです。

お刺身を食べた後 ドレッシングをかけて食べます。

Unigohan_2
ほれ ウニご飯

おいしそうでしょ?

昔息子がまだ学生だったのでお金もなく 手のひらに入るような小さなウニをやっとこ思いで買ってきて とても大事そうに差し出して 一緒に食べよっ!って言ったときのことを思い出す。

Karei
カレイのフライ

魚が新しいからでしょうか? 本当においしかった。 時々唐揚げにするけれど こんなに身のほっくりした魚なら 良いね。

Nukahokke糠ホッケのマリネ

ヘシコの様な物かと思ったら 全然しょっぱくなくておいしいの

礼文の名物は ウニとホッケ。。。らしい。

Korokke_3
う~に~のお遊び料理だそうな

ジャガイモコロッケ ハッシュポテトの味がなかなか良い。

ウニのいがいがは パスタを揚げた物

Dezato
最後に チーズケーキが出た頃にはおなかいっぱい。

くるし~ぃ

一流ホテルのような華やかさは無いけれど おいしくて素敵な宿でした。

Asagohan
朝ご飯も礼文の幸てんこ盛りでした。

また来られるかな?

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最北端の地 稚内 

2011-08-16 20:24:28 | 旅行記

「お母さん マイルが貯まったから 利尻 礼文行くよ。 休み取っといて。」

いきなり言われた6月のある日  何言っているの? そんな簡単に休み取れないよ。日にちも締めにかかっているし・・・・ぶつぶつ

恥ずかしい話だけれど 礼文 利尻がどこにあるか 長いこと知らなかった。北方領土の一部?ぐらいに思っていた。

Hikouki

愛知県から礼文 利尻へ行くには 飛行機が一番楽なのだけれど 一日一便しか無くて とても中途半端な時間。 まず稚内に降りて そこから礼文に向かう方法を取った。 稚内から礼文はフェリー  礼文から利尻までフェリー 

帰りは利尻から千歳まで飛行機 更にセントレアまで飛行機を乗り換え。。。 案外遠いのである。

稚内での滞在時間はフェリー出発時間までの わずかとなる。 レンタカー借りて急げ-

いやいや 急ぐとおまわりさんに追いかけられるよ。 去年道南で痛い目に遭った。 私のゴールド免許証が 青色に変わった原因になった北海道。

アハ やっぱりいた 草むらに隠れていた。 北海道は 反対車線でも捕まえに来るからね

Ohotuku
海岸線にはオホーツクの海が広がっている。 すごい オホーツクだよ

ソ連を意識せざるを得ない。 日本の果てまで来ている。

Souyamisaki宗谷岬 最北端の地

今日は何となくもやっていて 樺太見えない。

Souyamisaki2_2北緯45度31分14秒

愛知県から見て10度ぐらい違うな。。。と息子と亭主が話していた。

愛知県の北緯や経度を意識したこと無いのでふ~~ん

それより 16度 

涼しいでしょう? と言うよりちょい寒

Mamiyarinzouこの間宮林蔵さんは この海を見ながら何を思っていたんだろう?

世界地図に自分の名前を残したただ一人の日本人

すごい決意だね。 自分のお墓を作って出かけたとか

この岬を見下ろす公園まで行ってみる。 

Kaigunbourou
明治7年 樺太千島交換条約により樺太全島はロシアの土地になってしまって宗谷海峡での日露の関係はとても張り詰めた物だったらしい。

ロシアの動きを観測するために作られた望楼

国境の監視所の役割を務めてきた建物です。長い間の風雪に耐えてきたがっしりした物でした。

Hi祈りの塔

大きく翼を広げたツルのように見えます。

1983年に起きた大韓航空機墜落事件で犠牲になった人々を弔うための塔だそうです。

確かにありました そんなことが

考えられない事件にショックを受けました。

大急ぎで次行くよ

本当はこのあたり歩いて回ろうよ 「フットパス」なる提案があるのだけれど 仕方ない。またの機会に。

Usi_3
どこまでも続く緑の平原

「阿蘇みたいやねぇ」と。。。

牛さんのんびり 草を食んでいる。 どうしてか同じ方向を見て

Daiheigen

Nosyappu稚内からフェリーに乗って二時間ほど ノシャップ岬を回って西側に出る。

礼文へのフェリーは揺れるよ~と聞いていたけれどさほどではなく。。。

退屈だけが敵だった。

コメント (2)
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