Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

世界文化遺産の里 美濃市を歩くⅠ

2015-04-06 22:23:55 | まち歩き
本当は卯建のある町とか書くべきなんでしょうが 去年ユネスコの世界文化遺産に美濃和紙が登録されましたので

「お母さん 誕生日プレゼント第二弾」とか言って使いかけのそれも一枚しか残っていない青春十八切符を差し出す息子。
暇も無いし 何時何処へ行ったものやら・・・・
思案して 掛川城方面か 美濃和紙の里へ行くかって密かに思っていた。
丁度あさひさんが瓢ヶ岳の帰りに寄ったよ・・・と
やっぱこっちぃ~~~~

相棒がそれを聞きつけて「僕も行く」と「一枚しか無いよ」 
金券ショップで探すも一枚と都合良く残っている物は無く 実費で付いてくると・・・・・金魚の糞


東海道線で岐阜まで行って そこから美濃太田に
前は美濃太田から北濃まで 越美南線としてJRが運行していたけれど 長良川鉄道に第三セクター化
本当は美濃から福井まで繋ぐ計画があったそうで残念です。


一駅一駅は歩いても行けるほど近いのですが 沢山の駅を経て付いたところが美濃市
子供の頃の印象から見るとかなり寂しい駅で ちょっと驚き
どうしたことか?


昔岐阜からは わざわざ美濃太田まで行かなくても 名鉄美濃町線が走っていて 岐阜からは近い町でした。
遠足にこの町の小倉山にも行きました。
その美濃町線も もう営業を終えているのだそうです。
何とも寂しい。
出かけた時間が早かったこともあって 街は閑散としています。
観光客もいない。


見所の町並は もっと先にあるようです。
人混み嫌いだけれど あまりに人がいないと 美濃市が消えてしまったようで寂しい。


観光客を意識してか 町の人のセンスか 街には芸術的な飾り物がいっぱいです。


美濃とは言え 雪は少々降ります。
そのせいでしょうか?ひさしはとてもしっかりしています。


雰囲気のある町並です。
金森長近が統治していたと聞いて解る気がしました。
高山を治めていました。郡上八幡もそうです。 越前大野にもいました。
どの街も城下町が似ているような気がします。
城の北には長良川が流れているので川湊を作ります。
長良川は子供の頃 良く水害の起きる川でした。
ここでも同じだったようで 水害を避けて丘の上に城下街を作ったところ 水利が乏しくなります。
そのために防火や類焼防止を考えなくてはならなくなって 家々に卯建がもうけられるようになったそうです。


他所の街でも 卯建は見かけますが 昔は火事は本当に怖い物だったのでしょうね?
ここまでくっつけて家建てなきゃ良いのに・・・・


家の経済力を誇示するためにだんだん凝った装飾になったようです。


屋根神様も 祀られています。
秋葉様とありました。 火防ぎの神様ですね?
どうやってお詣りするでしょうね?  毎回梯子? お供え物は?


犬矢来もありますよ
犬の用足しをさせないための物ですが 窓際に距離を置く事で家の中の会話を聞かれない等の防犯の意味もあるのだと聞いた事があります。


和紙問屋 今井家です。

灯り取り
父の実家が町屋でしたので こんな灯り取りがありました。 子供心に羨ましい家だと思いました。


帳場 


街ぐるみでおひな様の展示をしています。
お家によってはかなり古いものがありました。


ウナギの寝床の様な町屋には 奥に中庭が有ります。


水琴窟がしつらえてありました。
キンコン カンコン・・・・ 綺麗な音が響いていました。




酒屋で お酒を買います。
相棒の絶対譲れない習慣です。
銘柄は百春


天麩羅と デザートも付いた素敵な食事を頂いて 次へ向います。





コメント (2)
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