季節はどんどん進んでいくのに 未だに3月を振り返っているという情けない有様です。
かたづけないと先へ進めないので しばらくご辛抱願います。
3月30日 かねてからの約束でKさんと足助に行くことにしていた。
目的はカタクリ
しかしそれだけではいかにもつまらないだろう・・・・と言うことで 黍生に登って 展望を楽しみ飯盛山でカタクリを鑑賞 その後真弓山に行って 足助城に登城しようと 文字で見るとやけに豪華でタフな計画になった。
去年一人で登ったときは登山道入り口が解らなくて探したけれど 今年は大丈夫。 強いて言えば ピストンでは無い山歩きをしたいのだけれど 車の回収に坂道登らないと行けないしなぁ
こんな所に畑・・・と思うような奥まった所に段々畑が
畑を右に見て登り始めます。
すぐにこんなトンネルに入っていきます。
左が明るくなってきたと思ったらすぐに鉄塔です。
こういうの景観が悪いからと嫌う人もいるけれど 作業の人がしょっちゅう入っていると言う事で 和つぃの用に一人歩きが多い身としては有り難い。 良く整備されていますから。
花の無い時期ですが スミレが可愛らしい。
種類は全く分かりません。 私に解るのは エイザンスミレと シハイスミレぐらい
スミレは節操が無いから すぐに誰とでも交配する・・・・と誰かが言っていました。
去年子狸を驚かせてしまった場所です。
今日は 子狸浮かれて出てきてはくれませんでした。
お天気は良いし 緑は美しいし るんるんです。
ウグイスカズラでしょうか?
見た目鶯とは全く関係ないようですが 鶯の鳴く頃に咲くとか 鶯が隠れるための藪になるとかの意味からこの名前があるそうです。
可愛い花です。
稜線にでたかと思うくらい空が近くなってきました。
でも まだ左側から現れる小さな沢を合わせて上って行きます。
あららぁ 登山道のど真ん中に フタバアオイ?
踏みつぶされては大変と思われたのでしょうか? 竹をたてて守ってありますよ。
花は・・・・・・めくってみたけれど まだの様でした。
こんなのも
ホコリタケ タヌキノキンチャクですね?
突っついてみたんですけれど ミイラにおなり遊ばしていて 埃のホの字も出てきませんでした。
また暗くなってきました。
水音が聞こえてきます。
荒れているようですが 倒木や枯れ葉が水を浄化しているんですね?
透き通った綺麗な水です。
大きな岩の下に樋が付けられていて 水が飲めるようになっていました。
ここを通り過ぎると少し急登が続きますが たいしたことはありません。
突然林道に出ます。
登山道西口 登山道東口とあります。 この二つの道を使って周回が出来るようです。
今回は(今回も)西登山口で登っていきます。
この辺は もう黍生城の虎口になっているように思います。
フィックスロープが続く道を上って行きますが すぐに道は平らになります。
ずっと 甘いんだけれどちょっと変な匂いがしています。
正体はこれ
可愛い花だけれどねぇ
早春の花アブラチャンも 黄色を主張して居ます。
本丸あたりを見上げます。
もう少しです。
登り口から 二の丸と思われる曲輪が見えます。 ベンチを作る作業中でしょうか? 丸太がいっぱい並んでいました。
黍生山 到着~~
標高374メートルの里山です。
尾張国山田重直の六男重長がこの地に移住してきてこの山に城を作ったのが足助氏の始まりだそうです。
黍生城は足助氏の始祖の城です。
この地域で一番高い場所です。
地元の人々は3月3日のお酒やお菓子を持ち寄ってここで飲み食いをするという習慣があったとか
その習慣は4月の初めになりますが今でも 続けられているそうです。
城の縄張り図です。
豊田に住んでいた頃 足助は陸の孤島のように思っていて 閉ざされた場所のように思っていました。
ところがこの山に来ると びっくりする様な展望が得られて 足助の人々は この場所で遠くをじっと見つめていたのだと感じました。
南を見れば 豊田や 岡崎(たぶん)が見えます。
山越に 海さえも見えるような気がします。
大きな岩を回り込んで東を見れば 塩の道がずっと飯田の方に繋がっているのが見えます。
今日は春霞で クリアでは無かったのですが じっと見ていたら おお~~っ
恵那山に 大川入山・・・・・
えーっと
すると ご褒美のようにすっと空がクリアになって アルプスが・・・・・
すご~い あっという間に消えてしまいましたけれど
足助のお殿様が この場所から見ていたものはなんだったのかなぁ? そんな事を想像しながら 次の山に向ったのでした。
かたづけないと先へ進めないので しばらくご辛抱願います。
3月30日 かねてからの約束でKさんと足助に行くことにしていた。
目的はカタクリ
しかしそれだけではいかにもつまらないだろう・・・・と言うことで 黍生に登って 展望を楽しみ飯盛山でカタクリを鑑賞 その後真弓山に行って 足助城に登城しようと 文字で見るとやけに豪華でタフな計画になった。
去年一人で登ったときは登山道入り口が解らなくて探したけれど 今年は大丈夫。 強いて言えば ピストンでは無い山歩きをしたいのだけれど 車の回収に坂道登らないと行けないしなぁ
こんな所に畑・・・と思うような奥まった所に段々畑が
畑を右に見て登り始めます。
すぐにこんなトンネルに入っていきます。
左が明るくなってきたと思ったらすぐに鉄塔です。
こういうの景観が悪いからと嫌う人もいるけれど 作業の人がしょっちゅう入っていると言う事で 和つぃの用に一人歩きが多い身としては有り難い。 良く整備されていますから。
花の無い時期ですが スミレが可愛らしい。
種類は全く分かりません。 私に解るのは エイザンスミレと シハイスミレぐらい
スミレは節操が無いから すぐに誰とでも交配する・・・・と誰かが言っていました。
去年子狸を驚かせてしまった場所です。
今日は 子狸浮かれて出てきてはくれませんでした。
お天気は良いし 緑は美しいし るんるんです。
ウグイスカズラでしょうか?
見た目鶯とは全く関係ないようですが 鶯の鳴く頃に咲くとか 鶯が隠れるための藪になるとかの意味からこの名前があるそうです。
可愛い花です。
稜線にでたかと思うくらい空が近くなってきました。
でも まだ左側から現れる小さな沢を合わせて上って行きます。
あららぁ 登山道のど真ん中に フタバアオイ?
踏みつぶされては大変と思われたのでしょうか? 竹をたてて守ってありますよ。
花は・・・・・・めくってみたけれど まだの様でした。
こんなのも
ホコリタケ タヌキノキンチャクですね?
突っついてみたんですけれど ミイラにおなり遊ばしていて 埃のホの字も出てきませんでした。
また暗くなってきました。
水音が聞こえてきます。
荒れているようですが 倒木や枯れ葉が水を浄化しているんですね?
透き通った綺麗な水です。
大きな岩の下に樋が付けられていて 水が飲めるようになっていました。
ここを通り過ぎると少し急登が続きますが たいしたことはありません。
突然林道に出ます。
登山道西口 登山道東口とあります。 この二つの道を使って周回が出来るようです。
今回は(今回も)西登山口で登っていきます。
この辺は もう黍生城の虎口になっているように思います。
フィックスロープが続く道を上って行きますが すぐに道は平らになります。
ずっと 甘いんだけれどちょっと変な匂いがしています。
正体はこれ
可愛い花だけれどねぇ
早春の花アブラチャンも 黄色を主張して居ます。
本丸あたりを見上げます。
もう少しです。
登り口から 二の丸と思われる曲輪が見えます。 ベンチを作る作業中でしょうか? 丸太がいっぱい並んでいました。
黍生山 到着~~
標高374メートルの里山です。
尾張国山田重直の六男重長がこの地に移住してきてこの山に城を作ったのが足助氏の始まりだそうです。
黍生城は足助氏の始祖の城です。
この地域で一番高い場所です。
地元の人々は3月3日のお酒やお菓子を持ち寄ってここで飲み食いをするという習慣があったとか
その習慣は4月の初めになりますが今でも 続けられているそうです。
城の縄張り図です。
豊田に住んでいた頃 足助は陸の孤島のように思っていて 閉ざされた場所のように思っていました。
ところがこの山に来ると びっくりする様な展望が得られて 足助の人々は この場所で遠くをじっと見つめていたのだと感じました。
南を見れば 豊田や 岡崎(たぶん)が見えます。
山越に 海さえも見えるような気がします。
大きな岩を回り込んで東を見れば 塩の道がずっと飯田の方に繋がっているのが見えます。
今日は春霞で クリアでは無かったのですが じっと見ていたら おお~~っ
恵那山に 大川入山・・・・・
えーっと
すると ご褒美のようにすっと空がクリアになって アルプスが・・・・・
すご~い あっという間に消えてしまいましたけれど
足助のお殿様が この場所から見ていたものはなんだったのかなぁ? そんな事を想像しながら 次の山に向ったのでした。