名鉄のバスハイクの案内を見て「あ 行こう」と思った。問題は 日 月の行程。
上司にお願いすると思ったよりあっさり許可が出た。 私が辞めたがっていたことを気にしているのだろうか? ま どっちにしろ 願いは叶った訳で 当日まで気分はるんるん
このキャッチコピー 実は私が言い出しっぺではないだろうか?と密かに思っていた。 もう10年も前になるだろうか? 地元の市会議員さんを知っていて 彼が竹田城址の写真を見せてくれた。 その写真は 高いところに石垣だけが残っているものだったけれど 石垣はとても美しく天空にある様子は存在感たっぷりで 天空の城 そしてマチュピチュみたい(行った事は無い)と思った。
今回そんなキャッチコピーで売りに出してるのは 私のあの一言を 町おこしに使ったんじゃないの? そんな事を密かに思っていた。 実際朝来のホームページを見ても何処にもそんな事は書いてなかったので 私の思い上がりのようだった。 ごめんなさい。 そりゃ あれだけのもの 誰が見てもそんなふうに思えるよね。
娘が京都の北部に住んでいるから 解るんだけれど この辺り霧が出やすいんだよね。竹田城址がひときわ美しさをみせるのは 霧の中にぽっかり浮かぶとき
そんな幸運に出会えるとは思えなかったけれど 播但道路から山の上に石垣が見えてきたときは大感激。
バスは奥まで入れないとのことで 麓の山城の郷で降りて 林道をとことこ歩いて登って行く。
城のすぐしたの駐車場まで着いたら 行きはウサギコース(直登)下りは 亀コースで
竹田城は古城山の山頂部にあり虎臥城と言われている。山名宗全の家臣の一人太田垣の築いた城郭であるが 初めからこのように立派だったわけでは無いらしい。山頂を削り慣らして作った城は初めは砦の様に小さなものだった様だ。
今のような立派な石垣積みの城郭になったのは1600年に廃城になる少し前らしい。
この城の見事さは穴太積みによるところがとても大きいと思うの。 前に坂本へ行ったときに町が美しい石垣であふれていたのを見て穴太衆の技術を知った。
竹田城址の縄張り(平面構造)は中央の最高峰が天守台とし 周囲に本丸 平殿 奥殿 花殿 そしてほんの少し下がったところに支尾根を削って羽根を広げたような南千畳 北千畳 そして花屋敷となっている。 天守台を中心に放射線状に広がっているという印象かな?
ウサギコースは もともとの登城口ではないらしく 空まで続きそうな階段はかなり急 さすがウサギさん。 それでも直登は早い。
すぐに花屋敷に着く。 薬草園があったところだそうだ。(誰だ? 大奥に違いないと思ったのは?)
ここからまず北千畳へ
本丸から見た北千畳方面 三の丸 二の丸を通って 追手門に繋がっている。
ずっと下まで道が続いているのが見えるかな? こちらが亀コースになる。 登城の為の道 これなら馬も登れるかも。 きついけれど
長くなったので 一度切ることにする。 素敵な城址まだまだ見て欲しいからね。