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なぜ心を病むのか

2013年12月19日 | 健康
心を病んでる人がやたらと多い。

身近な人の中でも、増えているようだ。


何故だろうか?


現代病のひとつ、ストレス社会の落し子などで片付けられるほど事は単純じゃないはずだ。


生活習慣、ライフスタイル、考え方に問題があるのかもしれない。



いずれにせよ、最近がっかりさせられることが多い。


平気で約束を破ったり、プッツンしたり、

義理を欠いた行動をとる人が多すぎる。


これも心の病気の延長線上にあるのではないだろうか。


自己中てきな考え方をしている割に、周りの目を必要以上に気にする。

そして自己嫌悪に陥り、自爆する。


こういうパタ-ンが多いのではないだろうか。



心を病んでいる人の特徴は、

なんといっても取り越し苦労が多いことだ。


まだありもしないことを、ああなったらどうしよう、こうなったらどうしようと心配する。

そして、人の目を異常に気にする。


総じて人間関係を上手く築くことが下手である。

周りの目を気にする割には、根回しといったことが下手だ。


話を、いつ誰にどこでどういうふうにするのかということに

的確な判断力に乏しい。


それで自らトラブルを引き起こす。


自己嫌悪に陥るだけならまだ自己責任で片付けられるかもしれないが、

自分の不都合を相手に責任転嫁されるので困る。


やると約束しておきながら、平気でドタキャンする。


約束したじゃない!((`・ω・´))と攻め寄れば、

約束した覚えはないだとか、

やるとは言っていないだとか、


そして、認識の違いは残念だと、被害者ぶる。



約束の意味がなくなりつつある。

これもfacebookの弊害の一つだろうか。


イベントを立ち上げ招待状を送る。

参加ボタンをおして置きながら、連絡もせずにスッポかす。


一見繋がっていそうで連帯感が薄い。

いや、連帯感はあっても、責任感がない。


気楽に参加することができる代わりに、気楽にキャンセルもできると思っているのだろうか。


逆に参加ボタンを押してもいないのに、いきなり現れたりもする。

参加するのだからいいだろう、と言わんばかりだ。


これも責任感の薄さを物語る。


そうした一連の希薄さが、ひいては自分の存在感さえも薄めてしまうのであろうか。

自分なんかいなくても地球は回る。

そうして自傷行為に走る。


最大最悪の自傷行為が、自殺だ。



人に対しては軽く、自分に対しては重く考えるのだろうか。

本当は逆が良い。


他人に重く、自分に軽い。

これは他人に厳しく、自分の甘いとは似て非なる。


あくまでも他人を尊重し、

自らの気を楽に考えることだ。


つまり「尊重・気楽の精神」が人を救うのかもしれない。