世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

地震後の経過

2016年06月04日 | 熊本地震
地震から一か月半余りが過ぎた。

未だに余震が続く。


この間、ボクは何をしていたか。


いきなり車中泊が始まった。

避難所生活。

不安を露わにするお年寄り、

支援物資が届く中、

炊き出しなどのボランティアで動く人々。

ヨガやマッサージを無料で行う人たち。

いろんな方たちとの出会いがあり

たくさんの恩恵を授かった。


そんな中、県外の宿泊施設が無料で被災者を受けてくださることを知った。

さっそくそこに身を寄せお世話になった。

実に有難いことだ。

行政もボランティアの対処の仕方も東北大震災の経験が大きく役立ったようだ。


まずは、現場の中心あり、そして、一歩外から

現実をありのままに観ることこそが、

『量子論』的思考にも適っていた。


そのうえで、疎開先で自分に何ができるかを模索する日々が続いた。

体力的には限界があるが、

精神的拠り所になることはできると確信した。


否応なく強制的に失うものが続く中でも、

むしろ希望の光が見えることを知った。


これまでもいくつかの人的、自然災害を経験してきたので、

既に心の準備はできていた事が幸いした。


まずは、慌てない、身の安全を図ることが第一義だ。

必要以上に恐れることもない。

心の平安を図ることが第二義。


復興より、健康。

自分の精神状態、体調を考慮することが大事だ。

そのうえで、無理なくできることから始めていく。


それを回りの人たちに伝えていく。

そのためにも自分自身がしっかりしなければならない。

妬みにも似た誹謗中傷に耳を貸している暇はない。


自分自身を信じることだ。

どんな事態にも動じないことだ。

そして、そのことをできるだけ多くの人に波及させていく。


普段から自覚的に心の準備をして生きていれば、

何か突発的なことが起こっても、ダメージを最小限に留められ、

むしろ、柔軟に対応すれば、それをバネにしてさらなる飛躍を目指せるということを知っている。


誰にでも災難は起きる。

しかも一定の周期でやってくる。

それが人生のメカニズムなのだから。


新たな人生の飛躍を迎える時は、

決まって悩み、苦しみ、受難の時期が先行する。


だから、今回の地震で自我の執着、自尊心が粉々に砕けたとき、

人生の新たなステージに進むことができると確信したのだ。


なぜなら、

古いものを抱えたまま、新しいものを手に入れることはできないから。


今回の地震は、

自分(自我)の心が執着して、自分では捨てられないものを 捨てさせるために、

手放さざるを得ないような状況を運んできてくれたのだと半ば狂喜せざるを得ないほどだった。

むしろこの興奮を周囲に悟られないように抑えるのに必死だった。

それでなくても、不謹慎と罵られるのだから。


こうして今告白するのも、

これはボクだけでなく、

すべての人に当てはまるいわば宇宙の論理だから、

皆さんが希望を捨てずにこれからの新たな人生に臨んでいっていただきたいからに他ならないからである。


すべては無限の可能性の海の中にあって、

何が起こっても不思議じゃない、という考えを持つことが必要なのだ。

それが本当の意味での『現実』なのだから。


人は、

どうもがいても自分自身が設定した『自分の限界』の中でしか生きていくことができない。

ならば、常に『自分の限界』を広げるような生き方をしてみてはどうだろうか。


『できない』と考えることが未来に起こる確率は限りなく0に近いが、

それを『できる』に変えた途端、それが起こる可能性がこの世界に生まれる。


例え1%でも『できる』という前提をもって、それが現実になる確率を高めていけば、

どこかで必ずそれは、『必然』になる。

その確率を高める方法が、行動を起こすことに他ならない。


今すぐ、行動を起こそう。


週明け(明後日)からボクは西原村に帰ることにした。

復興の目途も立たず、未だに土砂災害の残る現場の真っ只中に。


     この山の亀裂の下に家がある

そこで、新たな人生の幕開けに向かって旅支度をしよう。

夢と希望をバッグに詰め込んで。。



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