世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

地に足を付けて

2016年06月09日 | 熊本地震
阿蘇・西原村に今週から帰ってきている。

熊本地震で被害が最もひどかった地域の一つだ。

今は唯一我が家といえる場所になった。


        この時季アジサイが心を癒してくれる

しかしながら、依然として土砂災害の危険性があり

雨が降ればすぐに避難指示が出される。

その場合はまた車中泊を余儀なくされる。

それを覚悟で帰ってきた。

いまだに身体に感じる余震は一日1~2回あるが、

やはりぐっする寝れる場所には違いない。

もう震度3程度の揺れには慣れ切ってしまったせいもあるのだろう。

片付けはまだまだ手付かずだが、

ひとまず地に足がついた感じだ。


ここにはメインの建物が3棟ある。

築120年になる母屋のアジアン雑貨の店(Dream Catcher)は未だ休業中である。
(屋根がほんの一部損傷)



シェアハウスとして貸している宿泊棟(納屋を改装しもの)の住人は、

今月で引っ越していく。
(こちらの建物はほとんど無傷)




敷地の山の方に10年ほど前に建てたカントリーハウスがボクのねぐらである。

今後、状況が安定すれば、阿蘇瞑想センターとして運営してく計画を立てている。
https://www.facebook.com/asomeditation/


ここに帰ってきたといっても、

今日から広島に一泊の予定で行く。

4日目にしてまたまた熊本脱出である。

さらに一日置いてネパールへと旅立つ。


そういう意味では、

実質的に地に足はなかなかつかない。

だいいち、タビストにとって

地に足を付けるということは自殺行為に他ならない。


地に足がついていないとお叱りを受けるのは無理ないことだ。

それがタビストに課せられた宿命なのだから。


【追記】

地に足をつけるとは、どういうことなのか。

ボクの解釈では、大きく二つの意味を持つ。


まず一つ目は、物理的意味合いであって、

ちゃんとした定職を持ち、

一つ所に住居を構えて落ち着いた生活を送ること。

この意味では、ボクは全く地に足がついていない。

あっちフラフラ、こっちフラフラ、今や失業中。


二つ目は、精神的意味合いである。

つまり、自分の信念を持って、ぶれないこと(揺るがない)を意味する。

ボクの信念とは、

難事にあっても決して浮足立たず(動じず)、

自分のタビストとしてのライフスタイルを堅持しつつ

愛する人はもちろん、

一人でも多くの人のために寄与することである。

ひいてはみんなが仲良く、

世界平和につながるよう貢献することを目的としている。
(ボクを嫌う人はいても、嫌いな人はいない)


その具体的手段の中で、

試行錯誤を繰り返し、失敗もし、

自分の至らなさから迷惑もかけることがあることは

心苦しく思っている。


それでも、ボクの信念に揺るぎはない。

とはいえ未だ勉学、修行の途上にあることは否定できない。

ボクの生き方に完成という文字はないからして、

死ぬまで未完成のままで終わることは免れない。

なぜなら、死ぬまで進化(成長を伴った変化)し続けるからである。

体力は落ちても、

気力と脳力は老いてますます磨きがかかっている。

精力もまた然り。(蛇足=言わんでもいいこと)


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