満を持して熊本に帰ってきた。
この一か月間、福岡に潜伏(?)していた。
滞在していた旅館にて
さあ、反撃開始!
といっても、
この熊本にドッカリ居座るのではない。
今までは静かに動きを止めていた。
誰から何と言われようが、静観を決め込んでいた。
だから、これからはタビストらしく動きに動きまくるのだ。
水を得た魚のように。
フリートークもだいぶ片付いてきた。
西原村までもう10往復くらいは必要だろうけど。
今日もこれからボランティの方々がお手伝いに来てくださる。
助かる―。
何ともありがたい。
感謝!感謝!大感謝!
"Scrap & Build"
常に破壊の中から創造は始まる。
破壊は一瞬である。
創造には想像を絶するほど時間がかかる。
では何を創造するのか。
buildの部分が問題なのだ。
今まであったものと同じものを作り直すのではあまりにも能がない。
さて熊本大地震はボクを含め多くの人々に破壊をもたらした。
これからどう生きるかという命題を突き付けられた格好だ。
復興、復興、ガンバレ、ガンバレと叫びのはいいが、
その姿が見えてこない。
カラ元気に聞こえてしょうがない。
熊本城はシンボルである。
シンボルの復元も結構だが、
もっと根本的にやらなければならないことがあるはずだ。
被災者のの生活の確保だ。
つまり広義のライフラインの充実だ。
今、あらゆる面でパラダイムシフトが起こっている。
この現象に気付く核付かないかで、方向性は180度違ってくる。
未だに高度成長期時代やバブル時代の再来を望む時代錯誤の人たちがいる。
破壊の後にはあたかもバブルが来るかのように。
いわゆる膨大な需要が生まれると勘違いしている。
投資や消費が伸び、所得が増えて景気が良くなるという
20世紀型教条主義的古典経済学から脱却できない古い頭の持ち主だ。
インフラ整備に伴ういわゆるゼネコン主導型の景気対策に期待しているのだろう。
こういう人たちが未だ蔓延って熊本を牽引しようとすること自体、
熊本の再建、発展を大きく阻害している巨悪の根源である。
希望的観測としてはいいのだろうが、愚かな妄想に過ぎない。
基本的にこういう考えの持ち主は未だに物欲に長け、
金儲け主義の人たちが多い。
個人的に商売に専念されること自体は何ら否定しないが、
こういう古典派を排除しないと、
真の熊本のこれからの発展はあり得ない。
それではこれからの熊本の発展のためにはどうすればいいのか。
キーワードは「2S+O」である。
一つ目のSは、Soft。
世はhard から soft へと移行している。
IT業界ももそうだ。
アプリの開発がシステム作りにつながる。
箱物Hardより、その内容Softがより重要となる。
もう一つのSは、Spiritual。
ひところはやった占い的なスピリチュアルブームとは違う。
新しいスピリチュアル文化が生まれている。
それは、瞑想を基盤とした、氣であり、
姿として、座禅であったり、ヨガであったりする。
それは人から占いめいたものを聞くのではなく、
呼吸法を通じて自然のエネルギーを受けて自らつかみ取っていくものである。
Oは、昨日のベタOversea(海外志向)である。
人の判断も、見かけよりその人の生き様に焦点が当たるだろう。
すなわち、赤裸々に見せる可視化現象。
積極的に見せる見世物文化の時代なのだ。
自ら発信し、実況中継をしていく。
広告媒体を使わず、
SNSなど無料の媒体で、
個人個人が素人でも発信できる時代である。
しかも、世界中のあらゆるところから。
個人の個性が光る時代だ。
人と同じでなければ叩かれた没個性の時代は終焉し、
人と違うことが賞賛される時代に移行している。
もちろん奇を衒うようなパフォーマンスはすぐに見破られ、長続きはしない。
いわゆる一発芸的一過性に終わるだろう。
だが、それでも形を変え、地に足を付けて表現すれば
マスコミなど表に出ない形で十分に生き延びて行けるのだ。
人の敷いたレールに乗るのではでなく、
自分でレールを敷きなさい。
人の作った土俵の上で勝負するのではなく、
自分の土俵を作りなさい。
自分の好きなこと、得意なことを好きなように作って表現する。
一人一人がアーティストになれる時代が到来している。
アーティストとしての生き様を可視化させる。
それがこれからの人生を謳歌する生き方なのだ。
自らの生き様こそ熊本発展の原動力となる。
よろしければクリックしてくださいネ。
にほんブログ村
この一か月間、福岡に潜伏(?)していた。
滞在していた旅館にて
さあ、反撃開始!
といっても、
この熊本にドッカリ居座るのではない。
今までは静かに動きを止めていた。
誰から何と言われようが、静観を決め込んでいた。
だから、これからはタビストらしく動きに動きまくるのだ。
水を得た魚のように。
フリートークもだいぶ片付いてきた。
西原村までもう10往復くらいは必要だろうけど。
今日もこれからボランティの方々がお手伝いに来てくださる。
助かる―。
何ともありがたい。
感謝!感謝!大感謝!
"Scrap & Build"
常に破壊の中から創造は始まる。
破壊は一瞬である。
創造には想像を絶するほど時間がかかる。
では何を創造するのか。
buildの部分が問題なのだ。
今まであったものと同じものを作り直すのではあまりにも能がない。
さて熊本大地震はボクを含め多くの人々に破壊をもたらした。
これからどう生きるかという命題を突き付けられた格好だ。
復興、復興、ガンバレ、ガンバレと叫びのはいいが、
その姿が見えてこない。
カラ元気に聞こえてしょうがない。
熊本城はシンボルである。
シンボルの復元も結構だが、
もっと根本的にやらなければならないことがあるはずだ。
被災者のの生活の確保だ。
つまり広義のライフラインの充実だ。
今、あらゆる面でパラダイムシフトが起こっている。
この現象に気付く核付かないかで、方向性は180度違ってくる。
未だに高度成長期時代やバブル時代の再来を望む時代錯誤の人たちがいる。
破壊の後にはあたかもバブルが来るかのように。
いわゆる膨大な需要が生まれると勘違いしている。
投資や消費が伸び、所得が増えて景気が良くなるという
20世紀型教条主義的古典経済学から脱却できない古い頭の持ち主だ。
インフラ整備に伴ういわゆるゼネコン主導型の景気対策に期待しているのだろう。
こういう人たちが未だ蔓延って熊本を牽引しようとすること自体、
熊本の再建、発展を大きく阻害している巨悪の根源である。
希望的観測としてはいいのだろうが、愚かな妄想に過ぎない。
基本的にこういう考えの持ち主は未だに物欲に長け、
金儲け主義の人たちが多い。
個人的に商売に専念されること自体は何ら否定しないが、
こういう古典派を排除しないと、
真の熊本のこれからの発展はあり得ない。
それではこれからの熊本の発展のためにはどうすればいいのか。
キーワードは「2S+O」である。
一つ目のSは、Soft。
世はhard から soft へと移行している。
IT業界ももそうだ。
アプリの開発がシステム作りにつながる。
箱物Hardより、その内容Softがより重要となる。
もう一つのSは、Spiritual。
ひところはやった占い的なスピリチュアルブームとは違う。
新しいスピリチュアル文化が生まれている。
それは、瞑想を基盤とした、氣であり、
姿として、座禅であったり、ヨガであったりする。
それは人から占いめいたものを聞くのではなく、
呼吸法を通じて自然のエネルギーを受けて自らつかみ取っていくものである。
Oは、昨日のベタOversea(海外志向)である。
人の判断も、見かけよりその人の生き様に焦点が当たるだろう。
すなわち、赤裸々に見せる可視化現象。
積極的に見せる見世物文化の時代なのだ。
自ら発信し、実況中継をしていく。
広告媒体を使わず、
SNSなど無料の媒体で、
個人個人が素人でも発信できる時代である。
しかも、世界中のあらゆるところから。
個人の個性が光る時代だ。
人と同じでなければ叩かれた没個性の時代は終焉し、
人と違うことが賞賛される時代に移行している。
もちろん奇を衒うようなパフォーマンスはすぐに見破られ、長続きはしない。
いわゆる一発芸的一過性に終わるだろう。
だが、それでも形を変え、地に足を付けて表現すれば
マスコミなど表に出ない形で十分に生き延びて行けるのだ。
人の敷いたレールに乗るのではでなく、
自分でレールを敷きなさい。
人の作った土俵の上で勝負するのではなく、
自分の土俵を作りなさい。
自分の好きなこと、得意なことを好きなように作って表現する。
一人一人がアーティストになれる時代が到来している。
アーティストとしての生き様を可視化させる。
それがこれからの人生を謳歌する生き方なのだ。
自らの生き様こそ熊本発展の原動力となる。
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