「嫌なら買わんでよか」
「気に食わんなら来んでよか」
笑顔一つ見せない。
交渉事もしない(できない)。
まさに殿様商売。
※ 殿様商売とは、
商品知識や客とのかけひきなど、もうけるため の努力・工夫に気を使わない商い方を皮肉っていう語。
鷹揚(おうよう)に構えて商売上の工夫などもせず, 利益にあまりこだわらない商売のやり方を軽蔑していう語。
これが熊本人の商売(ビジネス)のスタンスだった。
ボクの祖父母方の家は熊本随一の繊維問屋であり、
そこで中学生まで育ち、店頭で店の手伝いをしていたから、
そうした光景を目の当たりにしてきた。
そしてそれが商売の仕方として当たり前だと思っていた。
大阪の大学に行き、
学校には行かず、バイトばかりしていた。
海外に行くためだった。
あらゆるバイトをしながら、大阪商人のやり方を学んだ。
「もうかりまっか」
「ぼちぼちでんな」と。
総合商社に入り、
東京で商社マンとしてのスキルを身につけた。
その商社マン魂は今も脈脈と生きている。
49歳で熊本に帰り、
アジアを中心にビジネスを手掛けた。
そんな中で、熊本の多くの会社社長や商売人と係ってきた。
インドの会社とのジョイントベンチャーも手掛けた。
数人の人には現地を案内した。
商品分野としては様々だ。
納豆、サツマイモ(からいも)、焼酎あるいは米、
トマト、スイカ、シイタケ(キノコ)、メロン、ニンニク、
牛肉、コーヒー、着物、バイオマス、発電システムなどなど。
カフェ、日本語学校もオープンさせた。
まるで節操のない取り扱いだが、
「ラーメンからミサイルまで」と揶揄された商社マンとしては至極当然の行動である。
さて、前置きが長くなったが、今日の本題に移ろう。
熊本復興。
とりわけ熊本経済復興。
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雄姿よ再び
道路や家屋など物理的なことはお上任せでもやれるかもしれない。
だけど、こと経済に関してはそうはいかない。
ヤッパリ、民間がやるしかないのだ。
熊本に至っては、地場の大企業はない。
中小企業や零細企業、はたまた、これから起業する人たちが頑張るしかない。
上記の様々な商品の中でうまくいっているのは着物関係だ。
納豆やサツマイモなどの農業関係はいまいち動きが鈍い。
そんな中の震災だった。
納豆メーカーやサツマイモをはじめ農業関係は甚大な被害を受けた。
あの時海外に進出しておけば、と思える企業も数社ある。
とにかく腰が重い。
現地へ行かない
踏ん切りがつかない。
臆病なのか。
保守的なのだろう。
進取の気鋭に乏しい。
これまで、多くの分野で種まきをしてきた。
咲いた花もあるけど、枯れてしまったあるいは枯れかけているものも多い。
そもそも政府の手掛ける地方創生とやらで成果が出ているところはほとんどない。
熊本でも例外ではなかった。
地震が起きようが起きまいが、
熊本経済は下降していた。
それが今急降下だ。
ここでスロットルを全開にしないと墜落することは必至だ。
とにかく機首を上に向けなければ。
そのためには、今一度目を海外に向けることだろう。
インバウンドだけでなく、
このさい思い切ってアウトバウンドに転向しなければならない。
そのためにも、未だ残る殿様商売気質を悔い改める必要がある。
井の中の蛙、お山の大将を脱却して
遅ればせながらも国際社会に進出しなければならない。
なぜなら、
もはや熊本は限界政令指定都市になろうとしているからだ。
超高齢化、人口減少は加速するだろう。
県民の価値観が一変して低欲望社会になった。
いくら頑張っても消費が伸び悩むことは見えている。
そうすれば財政難となって県は疲弊の一途をたどるだろう。
もはや躊躇している時間はない。
国がいくら地方創生をさけんで景気浮揚策を打っても
それが熊本経済に及ぼす効果はたかが知れている。
ひところ、町おこし、村おこしと称して
一村一品運動や熊本も日本一運動を繰り広げたことがあった。
これもコミュニティビジネスやご当地ブーム同様、地域を元気にする効果はあっても、
県のGDPを押し上げるほどの効果はなかった。
国は、地方創生として1000億円の予算をつけるらしいが、
1000億円のおカネを1800の市町村に配っても、
各市町村に1億円もいき渡らない。
これは単なる選挙対策としてのパフォーマンスに過ぎない。
国を相手にしていても埒は開かない。
個人、企業が自分たちでどうすればいいかを自分の頭で考えなければならない。
そのためには、「考えられる人、方向を示せる人、構想を練られる人、実行に移せる人」が求められる。
こういう人材が今の熊本にいるのか?
はっきりいって、いない。
蔓延っている古い、石頭のおじさんたちがシニアリティ(年功序列)をチラつかせながら、
ない知恵を絞ってもなにも出てこない。
今こそ熊本は、
よそ者、若者、バカ者、変人、外国人を受け入れ
胸襟を開いて酒を酌み交わすべき時なのだ。
そして、
もっともっと「世界」に目を向けなければならない。
世界のマーケットを見て、研究しなければならない。
地方、企業、個人、それぞれが世界を視野に入れて、
「これだけは世界でトップだ」と胸を張れるものを作っていくことが求められている。
もはや待ったなし。
背水の陣を敷いて、
地方、企業、個人、それぞれがこの未曽有の危機に備えるしかない
いみじくも大前研一も言っている。
地場産品を、国内で販売するだけでなく、海外に輸出して稼ぐ。
それから、観光客や企業、ビジネスマンや技術者、つまり人・モノ・カネが海外から入ってくる仕組みを作ることが必要だ。
中央・東京依存型の経済から脱し、地域が直接海外経済とつながるというやり方に転換しないといけない、と。
熊本経済再建の秘策は海外進出にしかない。
そのために、
小生も老体に鞭打って一肌脱ぐ覚悟はできている。
熊本人としての矜持をもって、
熊本への恩返し、御奉公として。
よろしければクリックしてください。
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「気に食わんなら来んでよか」
笑顔一つ見せない。
交渉事もしない(できない)。
まさに殿様商売。
※ 殿様商売とは、
商品知識や客とのかけひきなど、もうけるため の努力・工夫に気を使わない商い方を皮肉っていう語。
鷹揚(おうよう)に構えて商売上の工夫などもせず, 利益にあまりこだわらない商売のやり方を軽蔑していう語。
これが熊本人の商売(ビジネス)のスタンスだった。
ボクの祖父母方の家は熊本随一の繊維問屋であり、
そこで中学生まで育ち、店頭で店の手伝いをしていたから、
そうした光景を目の当たりにしてきた。
そしてそれが商売の仕方として当たり前だと思っていた。
大阪の大学に行き、
学校には行かず、バイトばかりしていた。
海外に行くためだった。
あらゆるバイトをしながら、大阪商人のやり方を学んだ。
「もうかりまっか」
「ぼちぼちでんな」と。
総合商社に入り、
東京で商社マンとしてのスキルを身につけた。
その商社マン魂は今も脈脈と生きている。
49歳で熊本に帰り、
アジアを中心にビジネスを手掛けた。
そんな中で、熊本の多くの会社社長や商売人と係ってきた。
インドの会社とのジョイントベンチャーも手掛けた。
数人の人には現地を案内した。
商品分野としては様々だ。
納豆、サツマイモ(からいも)、焼酎あるいは米、
トマト、スイカ、シイタケ(キノコ)、メロン、ニンニク、
牛肉、コーヒー、着物、バイオマス、発電システムなどなど。
カフェ、日本語学校もオープンさせた。
まるで節操のない取り扱いだが、
「ラーメンからミサイルまで」と揶揄された商社マンとしては至極当然の行動である。
さて、前置きが長くなったが、今日の本題に移ろう。
熊本復興。
とりわけ熊本経済復興。
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雄姿よ再び
道路や家屋など物理的なことはお上任せでもやれるかもしれない。
だけど、こと経済に関してはそうはいかない。
ヤッパリ、民間がやるしかないのだ。
熊本に至っては、地場の大企業はない。
中小企業や零細企業、はたまた、これから起業する人たちが頑張るしかない。
上記の様々な商品の中でうまくいっているのは着物関係だ。
納豆やサツマイモなどの農業関係はいまいち動きが鈍い。
そんな中の震災だった。
納豆メーカーやサツマイモをはじめ農業関係は甚大な被害を受けた。
あの時海外に進出しておけば、と思える企業も数社ある。
とにかく腰が重い。
現地へ行かない
踏ん切りがつかない。
臆病なのか。
保守的なのだろう。
進取の気鋭に乏しい。
これまで、多くの分野で種まきをしてきた。
咲いた花もあるけど、枯れてしまったあるいは枯れかけているものも多い。
そもそも政府の手掛ける地方創生とやらで成果が出ているところはほとんどない。
熊本でも例外ではなかった。
地震が起きようが起きまいが、
熊本経済は下降していた。
それが今急降下だ。
ここでスロットルを全開にしないと墜落することは必至だ。
とにかく機首を上に向けなければ。
そのためには、今一度目を海外に向けることだろう。
インバウンドだけでなく、
このさい思い切ってアウトバウンドに転向しなければならない。
そのためにも、未だ残る殿様商売気質を悔い改める必要がある。
井の中の蛙、お山の大将を脱却して
遅ればせながらも国際社会に進出しなければならない。
なぜなら、
もはや熊本は限界政令指定都市になろうとしているからだ。
超高齢化、人口減少は加速するだろう。
県民の価値観が一変して低欲望社会になった。
いくら頑張っても消費が伸び悩むことは見えている。
そうすれば財政難となって県は疲弊の一途をたどるだろう。
もはや躊躇している時間はない。
国がいくら地方創生をさけんで景気浮揚策を打っても
それが熊本経済に及ぼす効果はたかが知れている。
ひところ、町おこし、村おこしと称して
一村一品運動や熊本も日本一運動を繰り広げたことがあった。
これもコミュニティビジネスやご当地ブーム同様、地域を元気にする効果はあっても、
県のGDPを押し上げるほどの効果はなかった。
国は、地方創生として1000億円の予算をつけるらしいが、
1000億円のおカネを1800の市町村に配っても、
各市町村に1億円もいき渡らない。
これは単なる選挙対策としてのパフォーマンスに過ぎない。
国を相手にしていても埒は開かない。
個人、企業が自分たちでどうすればいいかを自分の頭で考えなければならない。
そのためには、「考えられる人、方向を示せる人、構想を練られる人、実行に移せる人」が求められる。
こういう人材が今の熊本にいるのか?
はっきりいって、いない。
蔓延っている古い、石頭のおじさんたちがシニアリティ(年功序列)をチラつかせながら、
ない知恵を絞ってもなにも出てこない。
今こそ熊本は、
よそ者、若者、バカ者、変人、外国人を受け入れ
胸襟を開いて酒を酌み交わすべき時なのだ。
そして、
もっともっと「世界」に目を向けなければならない。
世界のマーケットを見て、研究しなければならない。
地方、企業、個人、それぞれが世界を視野に入れて、
「これだけは世界でトップだ」と胸を張れるものを作っていくことが求められている。
もはや待ったなし。
背水の陣を敷いて、
地方、企業、個人、それぞれがこの未曽有の危機に備えるしかない
いみじくも大前研一も言っている。
地場産品を、国内で販売するだけでなく、海外に輸出して稼ぐ。
それから、観光客や企業、ビジネスマンや技術者、つまり人・モノ・カネが海外から入ってくる仕組みを作ることが必要だ。
中央・東京依存型の経済から脱し、地域が直接海外経済とつながるというやり方に転換しないといけない、と。
熊本経済再建の秘策は海外進出にしかない。
そのために、
小生も老体に鞭打って一肌脱ぐ覚悟はできている。
熊本人としての矜持をもって、
熊本への恩返し、御奉公として。
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