ボクの故郷(ふるさと)熊本が今厳しい試練にさらされている。
あの2度の大地震から2か月が過ぎても、今尚続く余震。
2000回にも及ぼうかというその数も過去に例がない。
加えて梅雨とはいえ、狙い撃ちされたかのような大雨と雷。
ボクの家(阿蘇・西原村)も土砂災害の危険性があるため避難指示が出ていて現在帰れない。
ボクは早々に県外、海外へと逃亡しているが、動けず留まる人も多い。
人にはそれぞれの抱えている事情があるのだから。
ボクが今いるネパールも決して安全とは言えない。
熊本大地震のちょうど一年前、
ここカトマンズ周辺ではマグニチュード7,8という規模の大地震が起き、
多くの家が崩壊し、
9000人近い人が亡くなり、未だ行方不明になっている。
その傷跡もまだ生々しく残り、
経済的復興もおぼつかない状態が続き、
多くの人が喘ぎ苦しんでいる。
その現状を目の当たりにし、ただただ愕然とする。
日本に来たいという人も多いがそれもままならない。
同じように、現地に残って何とか再起を図ろうとする人もいれば、
脱出して活路を見出そうとする人もいる。
仕事などの経済的事情、家族(子供や親)の事情、身体、健康上の理由などなど様々だ。
だが言えることは、
どちらにせよ決して楽な道はないということだ。
幸いボクには柵(しがらみ)がほとんどない。
中国人のアーティストが撮ってくれた
今のところ有難いことに健康上の問題もない。
自ら動ける。
精神的にも身体的にも障害がない。
加えて経済的にも何とか凌げる状態なのだ。
一時的だが、被災したことで一定の猶予を頂いたおかげで。
そうしたアドバンテージを生かさない手はない。
将来を見越し、別のリスクを冒してでもやりたい夢がある。
残されたモノを工夫し、活用し、
自分の培った経験と能力を活かしてできることを最大限やり抜く。
ボクには、世界のどこでも生きていけるという強みがある。
ここでなければならない、
これがなければダメだという拘りがない。
ただ、今この状況で何をなすべきかという判断の下で行動している。
好奇心の趣くままに、直感に従って。
その総合的判断から、今ボクはネパールにいて
瞑想という厳しい修行を行っている。
ボクの生きるコンセプトは、二つ。
楽しむこと。
寄与すること。
どこにいても試練はある。
だからどんな試練さえも甘んじて受ける覚悟はできている。
楽な道などどこにもない。
あるのは自分が楽しいと感じる道だけだ。
これこそがタビストの本懐(My long-cherished ambition)と言えるものだから。
「故郷は遠くにありて想うもの
ただ有り難きかな」 by Asay
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「ふるさとは遠きにありておもうもの」室生犀星
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて 異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
[小景異情ーその二] より
あの2度の大地震から2か月が過ぎても、今尚続く余震。
2000回にも及ぼうかというその数も過去に例がない。
加えて梅雨とはいえ、狙い撃ちされたかのような大雨と雷。
ボクの家(阿蘇・西原村)も土砂災害の危険性があるため避難指示が出ていて現在帰れない。
ボクは早々に県外、海外へと逃亡しているが、動けず留まる人も多い。
人にはそれぞれの抱えている事情があるのだから。
ボクが今いるネパールも決して安全とは言えない。
熊本大地震のちょうど一年前、
ここカトマンズ周辺ではマグニチュード7,8という規模の大地震が起き、
多くの家が崩壊し、
9000人近い人が亡くなり、未だ行方不明になっている。
その傷跡もまだ生々しく残り、
経済的復興もおぼつかない状態が続き、
多くの人が喘ぎ苦しんでいる。
その現状を目の当たりにし、ただただ愕然とする。
日本に来たいという人も多いがそれもままならない。
同じように、現地に残って何とか再起を図ろうとする人もいれば、
脱出して活路を見出そうとする人もいる。
仕事などの経済的事情、家族(子供や親)の事情、身体、健康上の理由などなど様々だ。
だが言えることは、
どちらにせよ決して楽な道はないということだ。
幸いボクには柵(しがらみ)がほとんどない。
中国人のアーティストが撮ってくれた
今のところ有難いことに健康上の問題もない。
自ら動ける。
精神的にも身体的にも障害がない。
加えて経済的にも何とか凌げる状態なのだ。
一時的だが、被災したことで一定の猶予を頂いたおかげで。
そうしたアドバンテージを生かさない手はない。
将来を見越し、別のリスクを冒してでもやりたい夢がある。
残されたモノを工夫し、活用し、
自分の培った経験と能力を活かしてできることを最大限やり抜く。
ボクには、世界のどこでも生きていけるという強みがある。
ここでなければならない、
これがなければダメだという拘りがない。
ただ、今この状況で何をなすべきかという判断の下で行動している。
好奇心の趣くままに、直感に従って。
その総合的判断から、今ボクはネパールにいて
瞑想という厳しい修行を行っている。
ボクの生きるコンセプトは、二つ。
楽しむこと。
寄与すること。
どこにいても試練はある。
だからどんな試練さえも甘んじて受ける覚悟はできている。
楽な道などどこにもない。
あるのは自分が楽しいと感じる道だけだ。
これこそがタビストの本懐(My long-cherished ambition)と言えるものだから。
「故郷は遠くにありて想うもの
ただ有り難きかな」 by Asay
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「ふるさとは遠きにありておもうもの」室生犀星
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて 異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
[小景異情ーその二] より