【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

新聞うずみ火 最新号 2020年4月号

2020-03-30 20:11:04 | 転載

1面~3面
福島市から自主避難 加藤さん「新型コロナ 再び試練」(矢野宏、栗原佳子)
東日本大震災、その直後に発生した東京電力福島第一原発事故から9年がたった。震災から1ヵ月半後、子どもの被ばくを懸念し福島市から京都市に自主避難した加藤裕子さんは、働きながら一人娘を育ててきた。大学生になった娘は今年春から韓国留学を予定していたが、新型コロナウイルスの感染拡大の余波で、渡韓の道を絶たれた。「我が家にとっては二度目の災害」という試練の中で迎えた9年。加藤さんとともに振り返る。

現在進行形のコロナ騒動は加藤さんにとって「3・11」の再来だ。
「情報も入り乱れて、どれが正確なのかがわからない。不安だけが募ります。デマが流れ、食料などがスーパーの店頭から消えたのも似ていますよね。マスクをかけて外出していましたし、『外に出てはいけない、屋内に留まるように』と言われ、子どもたちも外で遊べないのでストレスを抱えていて……」
加藤さんが重ね合わせる9年前。それは2011年3月11日午後2時46分、福島市の勤務先で震度6弱の大地震に遭遇したのが始まりだった。
震災から3日目、電気が復旧し、テレビをつけると、「原発の建屋が吹き飛んだ」というニュースが飛び込んできた。福島第一原発1号機の水素爆発だった。それまでの生活で原発を意識したことはない。自分が住んでいる場所が福島第一原発から60㌔の距離にあることも初めて知った。
やっとつながりはじめたネットにかじりつき、福島県が1時間ごとに発表する放射線量のチェックも始めた。5日目の午後6時40分、福島市の放射線量は24・24マイクロシーベルトと表示された。通常の600倍という数値だった。
… 

4面~5面

原発事故9年 今中さん講演「後始末は百年計画」(栗原佳子)
3月のうずみ火講座は14日、京都大学複合原子力科学研究所(旧原子炉実験所)研究員の今中哲二さんを迎え、大阪市西区の市立西区民センターで開講した。今中さんは、原発の危険性を訴えてきた研究者グループ「熊取6人組」の一人。東京電力福島第一原発事故から9年。「福島第一原発と放射能汚染のいま」と題し、解説してもらった。講演要旨をお届けする。

9年前の3月11日、福島第一原発6基のうち1、2、3号機が運転中だった。原子炉運転員の緊急事態時のスローガンは「止める・冷やす・閉じ込める」。地震で自動的に原子炉に制御棒が入り、核分裂の連鎖反応は止まった。地震でやられた外部電力に代わり非常用発電機が動き出したが、それも津波で水をかぶってしまった。冷やすことに失敗し、閉じ込めることにも失敗した。12日に1号機、16日には3号機が水素爆発した。2号機は1号機が爆発した時に外壁に穴が開き、水素が漏れたため爆発はしなかった。しかし15日に格納容器が壊れたらしく、放射能の放出が一番多かったのがこの日だった。
1平方㍍あたり1万ベクレル以上、セシウム137に汚染された面積は約2万5000平方㍍。本州の約1割にあたる。1万ベクレルという数字は、それなりに無視できない汚染が起きているということ。東京のサンプルもたくさん測っているが、東京もセシウムだらけだ。
事故から1カ月以上たって避難指示が出た飯館村で調査を続けている。人口約6000人の村に3000億~4000億円の除染費用が投じられた。住民のいない村に毎日6000人の作業員が通っていた。それはもうすごかった。去年までの8年間で飯館村の放射線量は20分の1になったが、事故前に比べると10倍~20倍の放射線量が続く。セシウム137は15%しか減っていない。半減期は30年。50年、100年先を考えていかないと村は元に戻らない。
……
6面~7面
大阪の「体験を語る会」3月解散「空襲の語り部続けます」(矢野宏)
「大阪大空襲の体験を語る会」が3月末で解散する。大阪の主婦が「空襲の記録を残そう」と呼びかけて半世紀近く、会員の減少と高齢化で活動そのものが困難になったため。代表の久保三也子さん(90)=大阪市福島区=は一抹の寂しさを感じつつも、「空襲体験の語り部は体が許す限り、続けていきます」と力強く語った。

大阪は太平洋戦争末期の1944年11月から敗戦前日の45年8月14日までに50回を超える空襲を受け、死者・行方不明者は約1万5000人。100機以上のB29爆撃機が来襲した大空襲は計8回を数える。
70年に作家の早乙女勝元さんらが「東京空襲を記録する会」を発足。刺激を受けた大阪府豊中市の主婦、金野紀世子さん(2008年5月に85歳で死去)が翌71年3月、朝日新聞に「大阪大空襲を私たちの手で記録にとどめよう」と投稿。2カ月後、天王寺区の教育会館に15人ほどが集い、「語る会」を発足した。久保さんは金野さんと新聞投稿仲間。金野さんから体験記の整理を依頼され、加わることになった。7月には最初の「大阪大空襲体験記」を自費出版する。その後も会員らが手弁当でコツコツと証言を聞き取り、97年までに体験画集を含めて9冊の体験記を出した。
初代代表だった金野さんは生前、こう語っていた。
「どんな人でも話しながら泣きます。聞きながら私たちも涙が出てきます。涙と一緒の仕事やから、よけいしんどいんですわ。そやけど、風化の一途をたどる大空襲の犠牲者への供養になると思ってます」
語る会では空襲で亡くなった「母子像」の建立や追悼式典の開催にも尽力するとともに、小中高校を回って自らの空襲体験を語ってきた。
……


 99年に金野さんが脳梗塞で倒れ、2001年に2代目の代表となった久保さんは会員名簿を整理し直し、主なメンバーらと証言を語り継いできた。
 久保さんは1929年、4人きょうだいの次女として生まれた。父親はアメリカへの留学経験があり、貿易業などを営んでいた。41年12月に太平洋戦争が始まった時、「戦争が2年以上続いたら、日本は負ける」と語っていたという。
 大阪が最初の大空襲に見舞われたのは45年3月13日。当時、久保さんは府立泉尾高等女学校(現・府立大正白稜高校)3年生だった。福島区の自宅から南側を見ると、B29爆撃機が投下した焼夷弾のリボンが燃え、「火の滝が降ってきたようだった」と振り返る。
 「きれいなもんやなあと思いました。火の滝の下側に浮かび上がっていた家々が次々に消えていくのです」
 13日深夜から14日未明にかけての3時間半で、274機のB29によって焼夷弾1773㌧、6万5000発あまりが投下され、大阪市の中心部、当時の西区や浪速区、南区、大正区などが灰燼に帰した。
8面~9面
最高裁「強制わいせつ罪」で判断「性犯罪 法改正前にも適用」(粟野仁雄)
最高裁判所の判決は、事件発生から年数もたち、関心が薄れていることも多い上、難解などで重要なことでも新聞でもあまり大きく取り上げられないことが多い。しかし、実は国民に大きな影響を及ぼすのである。
日頃、刑事裁判のコメント取材でお世話になっている甲南大大学院の園田寿教授にそうした判断が示されると聞き、久しぶりに最高裁へ行ってみた。
「筆記具とノート以外は一切持ち込めません」。荷物をロッカーに入れて空港のような厳重なチェックを経て最高裁第三小法廷の傍聴席に座った。傍聴者は少なかったが若者が多かった。後で聞けば、司法修習生だったようだ。
午後1時半、宮崎裕子裁判長が4人の男性裁判官を従えて入廷した。傍聴席の人たちも起立・礼をする(強制ではないが事前に職員に求められている)。着座した宮崎裁判長は被告人のいない法廷で「主文。本件上告を棄却する」と言い渡し、1分ほど理由(後述)を述べた後、くるりと背を向けて法廷を去った。
通常の裁判取材では、閉廷すればフリーランスの筆者も新聞記者たちと当事者や弁護人などの関係者を追う。しかし最高裁では法廷の出入りが自由な司法記者会の記者と違い、筆者は一般傍聴人として番号札を持たされており、指示があるまで勝手に退廷もできない。H被告の弁護人である奥村徹弁護士(大阪弁護士会)は出て行ってしまい、雨の中を走り何とかつかまえ、一緒にタクシーで走った東京弁護士会館で解説していただいた。
2016年、奈良市在住の30代の男性H被告が少年に対して文字にするのもはばかられる行為を自ら撮影し仲間に配信したという犯罪である。H被告は同性愛者ではないようだが歪んだ性癖の持ち主でこれ以外にも同様の事件を十数件起こしてきた。実は社会的な地位も高いのだ。
広島県警に逮捕され「強制わいせつ罪」「児童買春」などで起訴され、18年に広島地裁で懲役5年、執行猶予(保護観察付き)3年の判決となり控訴も棄却され上告していた。「よく猶予がついたな」と思うほどのおぞましさだが、奥村弁護士によれば事実関係は争いようもなく、弁護側は上告に際し、奥の手として「違憲論」に賭けたのだ。
さて、最近まで強姦などの性犯罪は被害者の女性や身内が刑事告訴しなければ起訴されず、女性も世間体などから告訴せずに示談金で済まされることも多かった。「親告罪」という。これは同じ罪を犯しても資力のある人間は得するという「社会的不公平」にもつながっていた。
ところが17年7月から施行された改正刑法で、強制性交や強制わいせつの罪は、親告罪ではなくなり、客観的に事実関係が固まれば告訴がなくとも殺人などと同じように起訴されるようになった。
一般的には、改正後の法律を、改正前の事件に遡及(時間的にさかのぼること)して処断することはできない。憲法39条は「何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」と規定して、明確に「法律の遡及」が禁じられている。ところが改正刑法は2条2項の「付則」として「改正前の事件でも告訴なしに起訴できる」となっている。
この「付則」について奥村、園田両弁護士らの弁護団は「憲法違反ではないか?」と問題提起したのである。
H被告の犯罪行為は改正される前年だった。
憲法39条の前半は、事後法があった場合、前の事件に遡及することを禁じ、後半では一度刑罰を受けた人が同じ犯罪で二重に処罰されることを禁じている。
「二重処罰禁止」は1980年代に起きた「ロス疑惑事件」で、2008年に米国で獄中自殺した三浦和義氏について盛んに取り沙汰されたのを覚えている人もいるだろう。
旧来の「強姦罪」の被害者は女性だけだが、強姦罪が改正された新たな「強制性交罪」では成人男性や少年も加わった。だからといって既に刑事起訴されていたH被告を検察が改めて「強制性交罪」で起訴することはできないわけだ。さらに「旧法」の強姦罪時代だったから「強制わいせつ罪」で済んだのだ。
……

10面~11面
ヤマケンのどないなっとんねん「『泥縄』の強気リーダー」(山本健治)
安倍首相をはじめ何としても改憲を進めようとしている連中が、あらゆる機会を改憲の契機にしようとしていることについては、誰もが危惧してきたことである。
前号でもふれたが、今回の新型コロナウイルス肺炎流行に際しても、それに対する感染チェック、感染者医療体制確立、対応ワクチンや薬品の可及的速やかな開発、また、学校の一斉休校、自宅待機・出勤停止などによる収入の減少、イベント自粛・中止などに伴う失業、全世界的経済危機の進行による生活危機に対する具体的かつ有効な政策はまったく不十分なまま、憲法に緊急事態条項を新設するよう改憲すべきだと言い立て、新型インフルエンザ等特別措置法を改正し、与党と維新、立憲、国民などが賛成して、首相が「緊急事態宣言」できるようにした。
このもとになったインフルエンザ等特別措置法は、新型インフルエンザ流行に対し、国民を守るためとして2012年4月、当時の民主党政権のもとで成立し、5月に公布された。今回と同じように、法律学者や日弁連、基本的人権制限を危惧する市民などが反対の声をあげ、こんな法律を作るよりいつでも誰でも感染チェックができ、感染がわかった場合には安心して医療を受ける体制を確立すべきで、当然のことながら有効なワクチンや薬の開発に力を入れるべきだという声があがった。
しかし、当時の民主党政権は、東日本大震災、それに伴う福島原発事故への対応が後手後手に回り、対応したところで的外れで、国民から厳しい批判を受け、政権は崩壊寸前といっていい状態だった。そんな状態で新型インフルエンザが流行してパンデミックになるとどうしようもない。そうならないように緊急事態対応ができるようにということで、急きょ、特別措置法を成立・公布させたものである。
昨年末に新型コロナウイルスによる肺炎が中国で発生、日本国内でも1月半ばに流行が明らかになったものの、すでに指摘した通り安倍首相は正月気分のまま、また、憲政史上最長の首相になったことに酔いしれていたのか、対岸の火事だと見て、連日、お友達と会食したり、ゴルフしたりしていたのだが、中国での流行は収まるどころか、どんどん拡大し、それが日本にも蔓延して、クルーズ船や中国滞在者、中国や中国人と濃厚な関係を持っている者だけではなく、一般でも感染者が出てくるようになって、首相の対応に対する批判が出始め、支持率も下がってきて、ようやく危機感を持ち始めたのだった。
そして、中国で感染者が7万~8万人、死者も3千人、日本国内でも、クルーズ船も含めると感染者は千人近くになり、死者も60人近くになってくると、今度はパニックに陥ったかのように、ここ1、2週間が感染が押さえ込めるか否かの分かれ道だと言って、維新の大阪府知事・大阪市長が学校一斉休校と言い出した途端、文科大臣らと何も相談しないまま、「学校一斉休校」だと言い、北海道知事が「緊急事態宣言」を発して、メディアに好意的に取り上げらると、オレも「緊急事態宣言」だとばかりに、特別措置法をつくって「緊急事態宣言」できるようにしたいと言いだした。
立憲や国民の幹部たちは、かつて自分たちが政権にいた頃に、先に記した「インフルエンザ等特別措置法」を成立させ、公布しているのだから、それを使えばいいではないか、安倍内閣は9条の解釈改憲や法律拡大解釈による拡大運用はよくやっている。検事の定年延長も閣議決定も解釈変更の正式手続きなど経ずに、口頭で変更しましたというようなことでやっているではないか。我々の政権のもとで成立公布した法律名は「インフルエンザ等特別措置法」で、わざわざ「等」を入れているのは、後に似たようインフルエンザが流行しても、国会で新たな法律を作らなくても、ただちに対応できるようにという意味もこめられているのだから、新たに法律を作らなくてもいいではないかと主張していたが、安倍首相としては民主党政権のもとで作られた法律など使いたくないと、やはりメンツにこだわったとしかいいようがないが、まったく新法ということもできないので、「インフルエンザ等特別措置法改正」とした。
……

12面~13面
世界で平和を考える「イラク最前線報告」(西谷文和)
2月3日から19日、イラク及びホルムズ海峡取材を敢行した。トランプ大統領がイランのソレイマニ司令官を暗殺してから1カ月が経過していた。米国とイランの緊張が一気に高まるなか、実際に殺し殺されるのはイラク人なのである。戦火の中で女性や子どもたちはどんな暮らしを余儀なくされているのか? 派兵された自衛隊はどんな活動をしているのか? 自衛隊が活動する地域は本当に安全なのか? など、シリーズでお伝えする。

2月9日、北イラク・クルド人自治区のバーリカ避難民キャンプに入る。この地域には巨大な難民キャンプが点在しているのだが、大きく分けて①IS(イスラム国)の大虐殺から逃れてきたヤジディー教徒のクルド人たち ②同じくISの恐怖政治から逃れてきた、主にシーア派のイラク(アラブ)人たち ③シリア内戦で故郷を奪われたクルド人たちに分けられている。
今回はシリアから逃げてきた約1万人ものクルド人が居住するバーリカキャンプで子ども服を配布した。
難民たちの生活はすでに5年以上が経過していて、キャンプ内には病院や小学校、食料品や衣服を売る店までそろっている。北イラクの冬は寒い。昼間でも粉雪が舞い、朝晩の気温は氷点下まで下がる。一番大事なことは風邪をひかな
いこと。医薬品が十分でないし、人々はお金がないので病院に通うことはできない。世界は今、コロナで大騒ぎしているが、ここの人々は「普通の風邪、普通の下痢」で命を落とす。
小学校で子ども服と兵庫県の中学生たちから受け取った草木染めのハンカチを手渡す。「ハリガート、ヤバーン!」。大きな声で日本への感謝を口にしてくれる。
10日、北イラクのスレイマニア市からイラク中部のトゥーズフルマートゥー(以下トゥーズと略)を目指す。 トゥーズはアラブ・クルドの混住地域で、イラク中央政府軍(アラブ)とペシュメルガ(クルド軍)のにらみ合いが続き、治安が急速に悪化した地域だ。約3時間のドライブでトゥーズの入り口に到着。ここで護衛の兵士と待ち合わせ。ドライバーと通訳もライフル銃で武装する。
羊がのんびりと草を食み、遊牧民が追い立てる。のどかな風景の中に基地が現れる。ペシュメルガ144番地だ。ジャマール司令官がインタビューに応じてくれる。
現在の状況は?
「私たちは2017年10月にここまで撤退した。以来ずっとイラク軍とにらみ合いが続いている。その隙に乗じてISが復活してしまった」
クルド独立の住民投票後に状況が変化した?
「そうだ。クルドの独立を認めないイラク中央政府が軍事介入して、トゥーズの中心街を奪われた。性急な住民投票をするべきではなかった」
ここで少し解説。現在のイラクは三すくみ状態。IS掃討作戦で米軍の指揮のもとに共同戦線を張っていたイラクとクルドが、掃討後に分裂。独立(つまり領土の分割)をめぐって睨み合っている。その結果「治安の空白地帯」ができてしまった。
「治安の空白地帯」はどこに? どれくらいの広さで?
「トゥーズのバクダッド側とクルド側の間の「国境地帯」に約37㌔、幅が4~8㌔。その空白地帯にISが小部隊に分かれて潜入してきた。昨日もISの仕掛け爆弾で我々の兵士3名が重傷を負った」
ソレイマニ司令官の暗殺後、事態は?
「悪くなった。アメリカとイランの緊張が高まり、クルド軍の後ろに米軍が、イラク軍の後ろにイラン軍がついている。この緊張関係はしばらく続く」
ソレイマニ司令官は良くも悪くも「IS掃討作戦」の責任者であった。イラク軍とクルド軍は司令官のもとで動いてきた。その人物が「暗殺」されて、イラクとクルドの間にさらに亀裂が深まる。その結果、漁夫の利を得たのがISなのだ。
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14面~15面

ゴジラと憲法「犠牲者の無念 胸に刻む」(高橋宏)
新型コロナウイルスの影響で、世界中が大混乱となっている最中、9年目の3・11を迎えた。『シン・ゴジラ』において、血液凝固剤でゴジラを凍結し、ひとまず危機を回避した後のラストシーン。主役の矢口蘭堂(長谷川博己)は凍結したゴジラを見つめながら、自らの進退について「今は辞めるわけにはいかない。事態の収束にはまだ程遠いからな」とつぶやく。ゴジラによる被害を、東日本大地震・大津波、そして福島第一原発事故による被害に見立てると、この台詞は私たちに現実を突きつけてくるものだ。
関連死を含めた死者・行方不明者は2万2000人余り。政府発表でも4万7000人もの人々が9年たった現在も避難生活を余儀なくされている。数字には出てこない「自力避難」をしている人々を含め、9年前に日常生活を奪われ、今も苦しみ続けている人々の数は計り知れない。政府は2020年度を「復興・創成期間」の最終年度と位置づけてインフラ整備の完了を目指しているようだが、人々や地域社会の「復興」は置き去りにされ、「創成」どころではないのが現実だ。
何よりも、福島第一原発事故が被災地に重くのしかかっている。巨費を投じた「除染」で放射線量の数字を下げて次々と避難区域を解除してきたが、肝心の事故処理は未だに「現場検証」の域を出ず、遅々として進んでいない。除染で生じた1400万立方㍍という途方もない量の放射性廃棄物の処分、日々たまり続ける放射能汚染水の処分も、まったく目途が立っていない。
残念ながら被災地から遠く離れた関西では、そういった状況がほとんど伝わってこない。そもそも9年前の原発事故被害が、どれだけすさまじいものであったのかも、人々の意識の中で薄れてしまってはいないだろうか。
3月8日、公開された映画『FUKUSHIMA50』を見てきた。上映中であるため、詳しい内容に触れることはできないが、様々な評価がある中で一つだけ言えることは、制御不能となった原発の恐ろしさは十分に伝わってきた。そして、一般人の年間の許容線量(1㍉シーベルト)で考えれば、ほぼ一生分の被ばくをわずか20分程度でしてしまう決死の作業がなければ、東日本が壊滅するような事故になっていたことを改めて思い知らされた。
私が最も懸念するのは「最悪の危機を乗り切った」という点が強調され、現在進行形の福島第一原発事故が「過去の出来事」と印象づけられはしまいか、ということだ。事故の教訓を十分に活かすことなく、未だに原子力利用に固執し、次々と原発が再稼働されている現実を見る時、再びあの惨事が繰り返されないと誰が言えよう。
この連載で2年間、ゴジラを通じて日本国憲法について様々なことを考えてきた。特に、1954年公開の第1作『ゴジラ』を重点的に、この映画に携わった人々がゴジラにどのような思いを託し、ゴジラを通して何を訴えたかったのか、私なりの解釈で伝えてきたつもりである。今一度、その思いや訴えと、現在の日本の状況とを照らし合わせてみたらどうであろうか。
2001年公開の第25作『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』は、ゴジラを戦争犠牲者の残留思念の集合体と位置づけた、金子修介監督の異色作である。その中で、伊佐山嘉利(天本英世)という老人は、ゴジラがなぜ日本を襲うのかを問われ「人々がすっかり忘れてしまったからだ。過去の歴史に消えていった多くの人たちの叫びを、その無念を!」と訴えた。これは、まさに現在を生きる私たちに突き付けられた言葉ではないだろうか。
……

16面~17面
新型コロナ特措法「強権的首相への危惧」(矢野宏)
新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、首相が緊急事態宣言できる「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の改正案が3月13日に成立、翌日施行された。宣言が出れば、集会や移動の自由など私たちの権利が制限される。なぜ、政府・与党は成立を急いだのか。自民党がまとめた改憲4項目の一つである「緊急事態条項」導入への布石ではないのか。時事通信社解説委員の山田恵資さんに疑問をぶつけた。

緊急事態宣言の前提となるのは①国民の生命や健康に著しく重大な被害を与えるおそれがある場合②全国的かつ急速なまん延により国民生活と経済に甚大な影響を及ぼすおそれがある場合の二つの要件を満たしたとき。首相が緊急事態を宣言すると、都道府県知事を通じて住民に外出自粛を要請したり、学校や興行施設などに催しの中止を指示したりすることができる。
また、臨時の医療施設を開設するため、土地や建物を所有者の同意なしに使うことも可能となる。
「安倍首相が直ちに緊急事態宣言を行う可能性は低い」と山田さんはみており、その理由を二つ挙げる。
「一つは、すでに可能性が小さくなっていると見られるとはいえ、東京五輪の開催について、自ら駄目押しをする形になること。二つ目は、コロナ対策の初動の遅れを認めることになるからだ」と指摘する。
改正案を成立させる狙いは何だったのか。
「民主党政権時代にできた緊急事態宣言を盛り込んだ特別措置法をもう一度、新型コロナでリセットすることで、『やっている感』を出すことができ、同時に野党の分断を招くことができる。さらには、憲法改正による『緊急事態条項』の明記への布石、地ならしをするという思惑が安倍首相にあったのではないでしょうか」
思い出されるのが、自民党の伊吹文明元衆院議長の発言。「(新型コロナの感染拡大は)緊急事態の一つの例。憲法改正の大きな実験台と考えた方がいいかもしれない」
自民党の改憲項目である緊急事態条項の導入を念頭に置いた発言だった。
緊急事態条項とは、大災害や武力攻撃を受けるなどの「緊急事態」になった場合、内閣に強大な権力を与えるもの。ポイントは二つ。
一つは、国民の権利を守るための制度ではなく、国家を守るための制度であること。二つ目は、政府に権力を集中させて、国民の人権を制限すること。
思い出されるのが、2013年8月に麻生副総理がこぼした発言だ。
「憲法も、ある日気がついたら、ドイツのようにワイマール憲法がナチス憲法に変わっていたのですよ。誰も気がつかないで変わったんだ。あの手口を学んだらどうかね」
ナチス憲法というのは存在しない。ただ、当時、世界で最も民主的な憲法と言われたワイマール憲法がありながら、なぜ、ナチスの独裁政権が生まれたのか。
実は、ワイマール憲法に「緊急事態条項」があった。「公共の安全・秩序に重大な障害が生じる恐れがあるときに基本的人権を停止できる権利を大統領に与える」
ヒトラーはそれを2回使って、独裁政権を手にする。
1933(昭和8)年、ナチスは選挙で第一党となり、ヒトラー内閣が誕生する。とはいえ、過半数に届かず、不安定な政権運営を強いられたため、国会を解散する。選挙運動のさなか、ヒトラーは1回目の緊急事態条項を使い、反政府を訴える政党の集会やデモ、出版をことごとく禁止した。
さらに2月27日、国会議事堂が放火される。ヒトラーは「共産党のテロだ」として、2回目の緊急事態条項を使う。ナチス以外の国会議員や支持者が次々に逮捕状もなく、拘束された。その結果、選挙で過半数を制したナチスが強行採決して成立させたのが「全権委任法」だ。
第1条 立法権を国会に代わって政府に与える
第2条 政府立法が憲法に優越し得る 
ヒトラー政権は好き勝手な法律を次々に作り、それは憲法よりも優先された。こうして、世界一民主的な憲法の下で、合法的に独裁確立したのである。
戦前、日本にも緊急事態条項があった。その一つが緊急勅令。天皇が法律に代わる命令を出すことが認められていた。その結果、治安維持法にも死刑が認められ、政府に反対の声を上げる人たちは次々と牢獄へ入れられた。
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18面
映画「子どもたちをよろしく」救いの手 現実のものに(矢野宏)
元文部科学省官僚で京都造形芸術大学教授の寺脇研さん(67)が統括プロデューサーとして、これまで向き合ってきた子どもたちの実態を表現した映画『子どもたちをよろしく』が完成、注目されている。虐待やいじめ、自殺など、子どもたちを取り巻く現状は厳しさを増している。寺脇さんは「本当の貧困がここにある。一人でも多くの人に見てもらって何かしなければと感じていただければ、結果的に子どもたちが救われる」と訴えている。
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19面

洪性翔さんが半生記「絵と食材で日韓朝往来」(栗原佳子)
20面
読者近況(矢野宏)
加賀翠さん・亮君、内山正之さん、徐翠珍さん

21面
経済ニュースの裏側「金融機関の危惧」(羽世田鉱四郎)
正月明けに、ターミナル駅近くの駐輪場に自転車をとめ、ふと目にしたポスターに衝撃を受けました。「銀行の店舗を閉鎖し、隣駅の店舗に統合します」。しかも、都銀トップの三菱UFJ銀行です。
マイナス金利の影響
銀行の利ザヤは、2016年2月の「マイナス金利政策」の導入に伴い、さらに縮小しています。金融機関は、日銀の当座預金に、一定額の預け入れを義務付られています。「マイナス金利政策」は、その上限を超えた分にマイナス金利を適用し、民間への貸出を促すものです。 全国銀行協会の資料によれば、貸出金利の平均は14年3月期(116行)1・29%、15年3月期1・21%でした。マイナス金利政策の導入後は、18年3月期(115行)に1%を割り(0・99%)、19年9月期には、さらに0・95%へ低下しています。有価証券の運用益などを加えた「総資金利ザヤ」も同じで、18年3月期では、「逆ザヤ(=赤字)」が、大手銀行3行、地銀6行、第二地銀7行含め16行に及んでいます(東京商工リサーチ)。
邦銀、リスク運用に不慣れ
都銀は4割を海外業務で稼いでいますが、リスク運用に不慣れです。直近でも、みずほ銀行が外債で1800億円の損切をしました(19年3月期)。また、巨大な資金量を持つ農林中金やゆうちょ銀行も心配です。農林中金などは、以前より海外のヘッジファンドを中心にカモにされていると揶揄されています。いま懸念されているのはCLO(ローン担保証券)です。信用力の低い米国企業向けの貸付債権を束ねて証券化したもの。いわばサブ・プライムローンの企業版。リーマン・ショックを引き起こしたサブ・プライムローンは、住宅ローンなど個人向けの貸付が中心でした。
……

22面
会えてよかった 屋宜光徳さん③(上田康平)

23面
落語でラララ「初代 桂文治」(さとう裕)
私の小中学校時代、昭和30~40年代、関西に落語専門の寄席小屋はなかった。とはいえ、寄席自体がなかったわけではない。大阪道頓堀に角座が、梅田や難波、京都には吉本の花月があった。神戸には神戸松竹座、天王寺の新世界には新花月があり、こちらは松竹芸能の寄席だった。
当時も今も、寄席は漫才が主流、落語は色物扱い。昭和40年代に若き笑福亭仁鶴や桂三枝(現・六代文枝)が、ラジオやテレビで活躍しだすと、落語界に入門者が殺到、あっという間に若い噺家が激増した。結果、各地に地域寄席が生まれ、上方落語協会の島之内寄席が六代目松鶴の肝いりで誕生。が、2006年に天満天神繁昌亭が出来るまで、上方落語の定席は関西にはないままだった。
では、上方落語の定席(寄席)は、いつ頃生まれたのだろう?
話は江戸・元禄時代にさかのぼる。京阪に露の五郎兵衛、米沢彦八が出現して上方落語が誕生するが、初代彦八の死後、大坂の落語界は衰微したという。と、京都に2代目米沢彦八が突如出現。この2代目は初代とつながりがあるのかないのか、はっきりしないようだが、なかなかの芸達者で京都で人気者になる。2代目彦八の弟子たちが名跡を継ぎ、4代目彦八まで確認できるという。しかし、この後しばらく、上方の落語界はどんな人が活躍したのか、あまりよく分からない時代が続く。
……

24面

100年の歌びと「I LOVE YOU](三谷俊之)
アイ・ラブ・ユー 逃れ逃れ辿り着いたこの部屋/何もかも許された 恋じゃないから/二人はまるで捨て猫みたい

バブル時代が崩壊に向かった1991年ーー日本はまだ目がくらみそうなまぶしさに彩られていた。2年前の89年1月、昭和天皇が逝去し、元号が昭和から平成に変わった。消費社会が膨れ上がり、モノがあふれ、企業の国境を越えた活動は当たり前になった。地価や株価が狂騰し、投機が過熱。海外の土地や建物、ゴルフ場にまで波及した。日本企業がハリウッドの映画産業を買収し、アルマーニなどのインポート商品が飛ぶように売れた。3K労働が嫌われ、外国人労働者が急増、中流意識が国民の9割を占めた。CMでは「24時間タタカエマスカ」とあおり、世間では人をネアカ・ネクラで分別し、異常に明るく、陽気で、浮き足立った狂騒のなかにいた。
政治と企業の醜聞も重なっていた。リクルート事件で竹下首相が退陣。幼児連続誘拐殺人事件が発生し、若者のオタクな存在が注目された。川崎市近郊で浪人生が金属バットで両親を殴り殺した。校内暴力も多発した。教育現場は沸騰する消費社会や風俗と学校を切り離すことに必死だった。細かな校則がつくられ、生活指導が強化された。日常の中で教師たちは無防備に消費社会を受け入れながら、生徒たちにはその社会から切り離すことが可能だと信じていた。
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25面
坂崎優子がつぶやく「個人データ集約慎重に」
個人データをスコア化し、点数に合った特典を提供する「信用スコア」事業が日本でも始まりました。大学の講義でこの事業について様々な角度から話をし、学生に考えてもらいました。
 今の大学生は小さい頃から無料のネットサービスに慣れ親しんでいるせいか、個人データを利用されることには寛大な世代です。そんな彼らでも、講義後の感想を読むと、多くが「怖さ」を挙げ、利用したくないと答えていました。
日本は人を格付けすることに抵抗のある人が多いといわれます。そのため、どの企業も「うちは信用スコアではない」と信用スコアと呼ばれることに抵抗しています。日本でこの事業が米国や中国のように広がっていくかは未知数です。
ただ、米国の金融スコアのように「金利での優遇」に魅力を感じる人が多くなれば、広がっていくでしょうし、中国のように便利さの積み重ねで、スコアが市民権を持つ可能性も否定できません。
中国では、気軽に使えるスマホのアプリでスコアが作られるので、米国以上に生活に浸透しています。物やサービスなどを多くの人と共有するシェアリングエコノミーが盛んな中国では、サービス利用時にデボジット(補償金)が必要です。スコアを利用するとそれが不要になるなど、利便性が高まり利用者が増えました。
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26面~29面
読者からのお手紙&メール(担当・矢野宏)
銀行に求められた
在留カードの提示

尹敏哲(ユン・ミンチョル)
2月下旬、地元のK銀行から「重要なお知らせ」通知が届いた。「在留カード等のご提示のお願い」と題した文面には、「外国籍のお客さまに在留期限が超過していないか確認するため、在留カードや通帳、印鑑などを持って3月27日までに持参せよ」とあり、期日までに確認できない場合は「口座の利用ができなくなることもございます」という念押しまで記されていた。
早速、K銀行に電話し、「ニューカマーを除けば、在日の多くは父母や祖父母が昭和の初期に来日しており、我々は『永住者』であるため、そもそも在留期限なんてない」と説明。在留カードなどを確認する理由は何かと問うと、「マネーロンダリング対策のため」との返答。思わぬ言葉に、「当方の口座残高はすべて数万円から30万円以内で、残高や振込履歴を逐一把握している銀行が、どうしてこんな少額の残高で当方がマネーロンダリングをすると疑うのか、それなら日本の大企業や大金持ちも疑うべきではないか」と反論したが、銀行側は「持参してください」の一点張り。
こちらも納得いかず、金融庁に電話したところ、「マネーロンダリングとテロ支援対策を各行に要請している」。説明に「テロ対策」も加わったことに驚愕した。抗議しても、担当者は「具体的な対策は各行任せなので」と逃げの一手だった。
今回のことでいろいろなことが思い出された。
「朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合を占めております。彼らは日本の経済法令の常習的違反者であります」(1949年、吉田茂からマッカーサーへの書簡)、「(不法滞在の外国人は)泥棒やら人殺しやらばかりしている」(2003年、自民党の江藤隆美衆院議員)
記紀神話に基づく「単一民族」を振りかざし、「純潔性」を前面に押し出すこの国の為政者たちに、「みんなちがって、みんないい」と訴えた金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」の詩を贈呈したい。
(これでは、まるで犯罪者予備軍扱いですね。しかもK銀行独自の判断ではなく、金融庁からの指示だったとは、驚きました。尹さんに連絡すると、「銀行の窓口には行かない」そうです。今後、K銀行がどういう対応をするのか。展開を見守りたいと思います。それにしても許せない)
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28面
車イスから思う事「骨の折れること」(佐藤京子)
1月半ばに車イスで段差につまずき、転倒して右手をついた。「痛い、痛い」と思いながら生活をしていたが耐え切れず、病院へ。レントゲンを撮ってもらうと、手首の親指側の端に骨折の線が入っていた。だが、医師は「骨折の痕はあるが、転んでから日が過ぎているのですることがない」と、痛む手には目もくれず湿布薬の処方箋を出した。湿布薬を貼っても痛みは引かなかったが、骨が折れていたのだから仕方がないと納得させていた。
それにしても、普段何気なく使っている右手のありがたさを痛感した。もともと左手は障害の影響でうまく動かない。痛みで5割くらいしか使えない右手と2割ぐらいしか動かない左手で四苦八苦しながら日にち薬を信じていたが、2月に入っても痛みは引かない。仕方なく、別の病院へ行ってみたが、レントゲンを撮ったあとの説明は同じ。右手首に熱を持っていないかを確認しただけで、何の処置もなかった。「痛みを取ってほしい。使えるようにしてほしい」との願いはかなわなかった。いずれの医師も患部を診るよりレントゲン写真だけを見ていたが、電子カルテの弊害ではないか。
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30面
うずみ火掲示板(矢野宏)
新聞うずみ火をご購読いただき、ありがとうございます。新型コロナウイルスの影響で、伝えなければならない大事なニュースが隅に追いやられていますが、それらに光を当てていきたいと思っています。
さて、毎月の新聞発送とともに、購読料振込のお礼のほか、「来月・今月に切れます」「先月・すでに切れました」という通知と振込取扱票を同封させていただき、継続をお願いしていますが、今月は同封できませんでした。
郵便局などで購読料を振り込んでいただくと、ゆうちょ銀行から郵送されてくる振替受払通知書で、皆さんのご継続を確認していました。その郵送が4月1日から有料となるため、振替受払通知書の画像をパソコンで確認する「ゆうちょダイレクト」の利用に切り替えたのですが、2月末に入力ミス。ログインできなくなったため、現在、申請し直しています。
そのため、3月に入って郵便局などで新聞代をご継続いただいた方、新たに購読を申し込まれた方からの振替受払通知書を確認できない状態が今も続いています。申し訳ありません。次号を発送する際、継続のお礼やお願いの通知を同封させていただきます。
また、春は異動の季節。引っ越しされた方は、うずみ火事務所までご一報いただけると幸いです。お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。
30面
編集後記(栗原佳子、矢野宏)
京都・河原町の街角でハンドマイクを握る姿に接したのが加藤裕子さんとの出会いだった。自主避難者の実情を訴え、署名を呼び掛けていた。8年前の春だった。放射線量が高いにもかかわらず、意図的に避難区域に指定されなかった地域がある。そこでもたらされた分断は、いまも当事者たちを引き裂き、苦しめている。 (栗)

森友学園をめぐる財務省の公文書改ざん事件に関連し、2年前に自らの命を絶った財務省近畿財務局職員の「遺書」が週刊文春に掲載され、大きな反響を呼んでいる。元NHK記者で大阪日日新聞記者の相沢冬樹氏のスクープ。手記には「決裁文書の差し替えは事実で、元はすべて佐川氏の指示です。パワハラで有名な佐川氏の指示には誰も背けない」「森友事案はすべて本省の指示。本省の対応が社会問題を引き起こし、うそにうそを塗り重ねるという、通常ではあり得ない対応を引き起こした」とあり、安倍首相の国会答弁とつじつまを合わせるため、本省が改ざんを指示、現場職員が抵抗もむなしく「犯罪」に加担させられていく流れが明らかにされている。手書きの遺書には「これが財務官両王国。最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ」とも。「夫が自殺したのは公文書改ざんを強要されたためだ」として、職員の妻が3月18日、国と、当時の理財局長だった佐川宣寿氏に損害賠償を求める民事訴訟を起こした。「夫が死を決した本当のところを知りたい」という妻の訴えに、政府側の態度は冷たい。安倍首相は自身の責任に関する問いかけには答えず、麻生財務相は「新たな事実は含まれていない」として再調査は考えていない立場を強調し、「遺書を読んだか」という記者の質問に「読んでいない」と答えている。お二人は佐川氏ともども再調査される側だということがお分かりではないようだ。国会の証人喚問で「刑事訴追」を言い訳にして証言を拒んだ佐川氏の再喚問はもちろん、第三者委員会を設立するなどして真相究明すべきだ。あわせて大阪地検特捜部が不起訴にした背景に何があったのかも知りたいところ。ともあれ、安倍政権が内閣人事局を私物化し都合のいい官僚を重用してきたことでこの国の根幹部分が崩壊していることをあらためて突き付けられた。森友問題はもちろん、加計問題も桜を見る会も終わっていない。いや、終わらせてはいけない。(矢)

31面
うもれ火日誌(矢野宏)
2月1日(土)
 矢野、栗原 午後、ソウル在住の元女子勤労挺身隊で「不二越訴訟」の原告の金正珠(キム・ジョンジュ)さんに日本での強制労働の実態を聞く。翌2日帰阪。
2月3日(月)
 矢野 夜、MBSラジオ「ニュースなラヂオ」に出演。新型コロナウイルスの感染拡大について、元外務省医務官で関西福祉大教授の勝田吉彰さんに話を聞く。
2月6日(木)
 矢野 午後、ラジオ関西「時間です!林編集長」。
2月7日(金)
 夜、大阪市此花区のクレオ大阪西で「うずみ火講座」。「元ソウル特派員が見た日韓関係」と題して、朝日新聞記者の武田肇さんに朝鮮半島情勢、日韓関係を語ってもらう。
 高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。
2月8日(土)
 矢野 午後、大阪府枚方市で教職員組合のOG会「しおん会」主催の憲法カフェで「安倍改憲は、何を目指すのか」と題して講演。
2月10日(月)
 矢野 夜、MBSラジオ「ニュースなラヂオ」。「罪と向き合う」と題して、映画『プリズン・サークル』の坂上香監督に話を聞く。
2月11日(火)
 矢野 午後、兵庫県姫路市で黒田雄大さんらが主催した「2・11 信教と思想の自由を守る集会」を取材。
2月13日(木)
 矢野 午後、「ニュースなラヂオ」の北口麻奈さんと大阪・十三のシアターセブンへ。寺脇研さんが統括プロデューサーを務めた映画『子どもたちをよろしく』を試写。
 栗原 朝の便で奄美大島へ。読者の城村典文さん、上島啓さんと陸自奄美駐屯地、瀬戸内分屯地を回る。夜、奄美ブロック護憲平和フォーラム主催の「2020紀元節復活反対集会」で南西諸島の自衛隊配備について話す。
2月14日(金)
 矢野 夜、大阪・十三で元「窓友会」の三好敬子さん、山内睦子さんと会食。
 高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。
 栗原 徳之島へ移動。前日に続いて、夜、奄美ブロック護憲平和フォーラム主催の「2020紀元節復活反対集会」で話す。15日帰阪。
2月17日(月)
 矢野 夜、MBSラジオ「ニュースなラヂオ」。「ハンセン病家族訴訟が問いかけること」と題して、番組ディレクターの亘佐和子さんに話を聞く。
2月19日(水)
 西谷 夜、無事帰国。
2月20日(木)
 矢野 午後、滋賀県立膳所高校で2年生440人を対象に「空襲と人権」と題して講演。8年前に講師依頼をいただいてのご縁、ありがたい。
2月21日(金)
 高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。
2月22日(土)
 矢野 午後、大阪府豊中市のアクア文化ホールで「森友学園問題を考える会」主催の集会「モリ・カケ・サクラ 政治の『底割れ』と社会の『劣化』」。作家の高村薫さんとジャーナリストの青木理さんとの対談でコーディネーターを務める。
2月24日(祝・月)
 矢野 夜、MBSラジオ「ニュースなラヂオ」。「使いやすいノートから知る発達障害」と題して、一般社団法人「Un Balance」代表で自身も当事者の元村祐子さんに話を聞く。
2月25日(火)
 矢野 午後、大阪市中央区の難波別院へ。昨年3月に講師として招いてくれた真宗大谷派の新潟・三条教務所「靖国問題研修会」と大阪教区の有志との交流学習会で「空襲と人権」と題して講演。
2月26日(水)
 午後、うずみ火事務所でお茶を飲みながら交流を深める「茶話会」。埼玉から根橋敬子さんが久しぶりに。
 西谷 昼頃、ラジオ関西「ばんばひろふみ!ラジオDEしょ!」出演。
2月27日(木)
 西谷 午前、ABCラジオ「おはようパーソナリティ道上洋三です」でイラクとホルムズ海峡取材の報告。放送終了後に矢野と会い、ビールではなく紅茶で歓談。矢野は午後、ラジオ関西「時間です!林編集長」に出演。
2月28日(金)
 午後、来社した「郵政産業労働者ユニオン」幹事の田嶋博人さんらと3月5日の講演打ち合わせ。
 高橋 朝、和歌山放送ラジオ「ボックス」出演。

32面
うずみ火講座などのお知らせ(矢野宏)
大阪市を廃止して特別区を設置する「大阪都構想」の賛否を問う住民投票について、大阪維新の会は11月1日とする方向で最終調整していると、各紙が伝えています。この構想は、大阪市を解体して財源も権限も大阪府に吸い上げ、「1人の指揮官(知事)」のもとでやりたい放題できる体制をつくるのが狙いです。
新聞うずみ火では、この構想を考える連続講座を企画しており、「大阪を知り・考える市民の会」代表の中野雅司さんのご厚意で大阪市中央区谷町2丁目の「ターネンビルNo.2」2階をお借りすることになりました。
1回目の講座は4月25日(土)午後2時に開講し、立命館大教授の森裕之さんに「大阪都構想と二重行政のゴマカシを斬る」と題して講演してもらいます。
なお、2回目は5月30日(土)午後2時からの予定です。
【日時】4月25日(土)午後2時~
【会場】大阪市中央区谷町2丁目の 「ターネンビルNo.2」2階・会議室
(地下鉄谷町線「谷町4丁目駅」から北へ徒歩2分、「天満橋駅」から南へ徒歩6分)

外出禁止令下の米国在住日本人が語る、NY「ロックダウン」の真実

2020-03-30 19:33:38 | 転載と私見
2020.03.27
高橋克明著『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』転載

【ニューヨーク、LOCK DOWNのリアル】
日本でも大々的に報道されている通り、現地時間22日の20時より、ニューヨーク州では、外出禁止令が発令されました。新型コロナウイルス拡大により、事実上の都市封鎖、LOCK DOWNということになります。そこから今、3日が経っています。 現在、現地時間の25日の夜8時にこれを書いています。 東京オリンピックが正式に延期になったニュースが流れてきた翌日です。


一昨日(23日)は、米国での1日の死者がとうとう100人を超え、合計500名以上の死者が米国だけで出たことになります。 感染者は4万3000人以上に拡大し、その中でも最も多いのが、ここニューヨーク。 さすが世界の首都。 先進国で最も人口密集率の高い街。 全体の約半数、2万人以上の感染者が出ました。完全に、パニック映画の世界です。有史以来、様々な人類が危機に直面する映画が作られ、見られてきたのは、この日の為の気持ちの覚悟、または予行練習の為だったのではないか、と思っちゃうほどです。

自宅禁止令が発令する約60時間前に、仕事として、タイムズスクエアに写真を撮りに行きました。 編集部から数ブロックの距離なのですが、まるでゴーストタウンでした。 途中、編集部裏の5番街は車1台通っておらず、写真だけ見ても、ここが5番街と言っても信じてもらえないであろう光景。 世界の交差点と呼ばれるタイムズスクエアに到着すると、渡米して20年、見たことがない光景が広がっていました。


目の前に広がる景色は、完全に映画です。 「バニラスカイ」のオープニングや、「アイ・アム・レジェンド」に出てきた光景を現実の世界で見ることになるとは。 不謹慎覚悟で言うなら、「ウォーキング・デッド」のゾンビが今にも出てきそう。 一日十数万人の観光客が行き来する交差点が、今や無人、無音。 その中で無数のオーロラビジョンの電子広告だけが、いつものように流れている空間は、少し異様でした。


これまでの経緯の時系列はざっと以下の通りです。

3月5日、ニューヨーク市長は会見において、最近中国、韓国、イタリア、イラン及び日本を訪問したNY市民は、帰国後14日間、自宅待機すること及び自宅待機中に症状が出た場合は医療機関に必ず連絡することを求める旨発言しました。ちょうど、この3月5日、僕個人は1ヶ月に及ぶ東京出張のフライトが予定されている日でした。 このあたりはアジア圏の方が被害は大きく、「今、あえてこの時期に東京に行くのは不用心ではないか」「わざわざ、今、渦中に飛び込むそれなりの事情を説明する必要がある」というのが、株主、社員、そしてクライアント、取引先の見解でした。 なので延期にしました。 なにより、東京で会う予定になっていたお客さんから次々と、「予定されていたミーティングなんだけど、スカイプでいいかな」と連絡が入り、スカイプだったら、ニューヨークにいたままでも一緒じゃないか、と出張自体を取りやめにしました。 その時は、まだ対岸の火事だったような気もします。


9日、ニュージャージー州バーゲン郡では、感染拡大と初の死亡者が出たことを受け、非常事態宣言を発出しました。

12日、NY州は、500名以上が参加するイベントや集会の禁止。 収容能力が500名以下の施設は収容率を50%に削減するように、と非常事態宣言を発出します。 それに伴い、ブロードウェイのすべての劇場、メトロポリタンオペラ劇場、カーネギーホールでのすべての公演の中止を発表しました。 ミュージカルのない街になってしまいました。このニュースは結構、衝撃でした。 アメリカ人の心がメジャーリーグであるなら、ニューヨーカーのハートはブロードウェイ。 それを、しかも全館クローズするのは、本気だな、と感じました。 本気で、州はできうる限り早期解決に向けて動いているな、と。

16日、とうとう公立の幼稚園、小学校、中学校、高校と学校が封鎖になりました。 うちの4歳児の双子も、幼稚園に行けなくなりました。

19日、州内の全事業者に対して、在宅勤務を促し、出勤者を25%未満に制限することを義務付けると発表しました。 食料や保健関連など不可欠な事業・サービスは除く、ということから、まだ街には人を見かけることができました。 あくまで推奨。 25%と言っても、そこは自己責任なので、厳密に守っている企業がどれほどいたのかはわかりません。

そして、20日。 知事は、NY州の感染者数が7000人を超えさらに拡大していることを受け、主に(1)原則として全労働者は在宅する、(2)州民は可能な限り自宅に待機する、という行政命令を発表しました。 この行政命令が、3月22日(日)午後8時から発効されたということになります。

その時点で、僕たちマスメディアは事実を伝える、という職務から、発効の除外対象になっていました。 なので、この時点で、タイムズスクエアに足を運んだわけです。 ニュースを伝える仕事のため。 完全防備で行きました。 なので、興味本位で野次馬的に行ったわけではありません。 ある芸人さんがインスタにアップするためだけに、オシャレな感じで、マスクもせずに現地に向かったのとは根本的に違います。


でも、そこからわずか48時間後には、感染者は倍に拡大していました。 仕事とはいえ、街を出歩いたことに少し、ゾッとしました。

22日にクオモ知事が発表したメッセージは、「ヘタしたら、80%の方々が感染する可能性もある。 特に高齢者や現在病気の方々が罹患した場合、死に至る場合もある」というものだったからです。そして、その翌日、日本でオリンピックが正式に延期になるというニュースが飛び込んできました。

、、、そんな歴史的、世界的、国民イベントの延期発表のあとに報告するのもアレですが。 。 w
5月に予定していた、僕の福岡ー広島ー岡山ー京都ー名古屋ー日比谷、の講演会、トークショー、書店サイン会の全国ツアーも、当然のごとく無期延期となりました。 (五輪延期決定の後に書くと、これ以上ないほどしょうもないお知らせだなっww)ただ、すでにFacebook上でチケットを購入して下さった方も多く、お知らせする必要があると判断しました。 それに伴い4月に高田馬場で開催される予定だった某医療系パーティーで1000人の前でスピーチさせて頂くお仕事も飛んじゃった(^_^;) 先々週は、日本から来ていた神戸女子大学生たちの前で、ここニューヨークで講演させて頂くことにもなっていたのですが、土壇場で彼女たちが強制帰国(~_~;) それら、すべての予定が白紙になりました。


では、一切、街には人の姿を見かけることはないのか。ここ数日、僕のツイッター、フェイスブック、ブログでは、日本の多くの方から心配のメッセージを頂きました。中には「食糧を送りましょうか」とか、「子供たちも一歩も外に出れないならストレスも溜まるでしょう」とか。非常にありがたいのですが、今、現在、グロッセリーに食料品は溢れています。 十分な注意のもと買い出しにも出かけられます。 幼稚園の先生から送られてきたEメールは「毎日、少しは外に出て遊びましょう」という内容でした。 ZOOMでの授業は驚くほど充実しています。

おそらく「LOCK DOWN」の概念を日本の方は誤解されている。報道で受ける印象と、実際は違います。20年前の同時多発テロのその日、僕は映画館に行きました。 館内は満員でした。
日本の方の中にはテレビでニュースを見て、街には人間の姿は一人もなく、ガスマスクをつけている当局のスタッフが消毒液を撒き散らし、一般人が道を歩こうものなら、これまた当局の人間が、捕獲し収監するくらいの勢いなのではないか、と。 (さすがにそこまでの誤解をしている人はいないか)確かに、人の姿はまばらです。 マッサージ店や美容院など、お客さんと直接接触するサービス業はどこも営業していません。 レストランもクローズしているところが多い。

ですが、レストランも店内での食事は禁止でも、テイクアウト専門で営業をしているところは結構、あります。 スーパーマーケット、グロッセリー、デリなどの食料品店は、変わらず、営業しています。 食糧の買い込みでの最低限の外出は許可されています。 うちの奥さんもマスクの上からスカーフを巻いて、毎日、買い出しに出かけています。 スターバックスは全店舗閉店ですが、マクドナルドは全店舗、時間制限はあるものの、開店しています。 そのあたりのルールはわかりません。 おそらく企業それぞれの考えとポリシーと主張なのだと思います。 どちらも正しいと、個人的には思います。スーパーや食料品店は、確かに缶詰とシリアル(コーンフレーク)は品薄ですが、従来の食品はすべて従来通り陳列されています。 ないのは消毒液(サニタライザー)くらいなものです。


では、そのまばらな人たちはみんな完全防備かというと、そうでもないです。 マスクをしている人の数は半分くらい。 インフルエンザが流行っている時期の東京の方がマスクしている人の割合は多い気がします。それでも半数はしているので、まったくマスクをする習慣のない人たちのコミュニティーの中では、異様な光景でもあります。

当然のごとく、デリバリーサービスは、かつてないほど儲かっているようで、街はウーバイーツなどのドライバーだらけです。 こんな時期なので、特にありがたがられ、チップに50ドルとか渡される、みたいな話を聞きました。 ニューヨーカーのいいところでもあるのですが、こんな時にはありえない額のチップをはずむそうです。 「助かってるよ!」と。 面白いのは、州も市も公式サイトで、「こんな時だからこそ、みんなデリバリーを頼もう!」と呼びかけていることです。


公式サイトといえば、市長は自身のTwitterで、10日「いいか、この街ではヘイトクライムも差別も違法だぞ。 アジア系のみんな、市は味方だからな」とツイートしました。 市長がわざわざそんなツイートをするということは、それだけこの街のアジア系がヘイトクライムを受ける可能性があったということの裏返しだと思われます。


NY市のデブラシオ市長と、NY州のクオモ州知事は、政策においていつも対立することで有名です。

どちらかと言うと、デブラシオは革新派。 とにかく経済や子供たちの教育を止めるのは最後、という考え方です。 なので、最後まで学校閉鎖に踏み切りませんでした。 やたら、トランプ大統領と気が合うコンサバなクオモは、とにかくすぐに学級閉鎖をしたかった。 結果、二人のそれぞれの妥協点が16日、公立の学校機関すべての閉鎖だったのだと思われます。 タイミング的にはベストだったのかもしれません。

そうは言っても、共働きで4歳児の双子を抱える、我が家としては、幼稚園がクローズするなんて、当初は、とんでもないこと!という感想でした。 言ってみれば、送り迎えさえすれば、朝10時から昼2時まで見ていてくれる、無料の育児所のようなもの。 その時間が丸々、なくなります。 しかも、この時期、電車通勤のベビーシッターさんをわざわざ自宅まで来させるわけにはいきません。 外に遊びに行けない、エネルギー満タンの4歳児の双子と、屋内だけで一日、過ごすのはハッキリ言って、コロナよりも驚異です。

国外への出張も多く、ニューヨークにいる際も、早朝から深夜まで働くことが当たり前の零細新聞社の経営者の僕は、今回、皮肉なことに、朝から晩まで家族と過ごす日々になりました。 コロナ拡大防止の自宅謹慎の副産物として、家族との時間が増えました。 エンドレスに遊んでくれと騒ぐ二人を相手しつつ、2時間でもギブアップ寸前なのに、母はすごいな、と妻に感謝する気持ちまで芽生えました。 これもコロナが産んだ副産物と言えなくもない。

実際、ニューヨークはキャリアを積む街です。 世界一晩婚の街。 子供を産んだ後もすぐに職場復帰する女性が多く、今回の謹慎で、初めて子供達と向き合った、というキャリアウーマンも後を断ちません。 ネット上で「大切なモノにやっと気づいた」と書き込む働く女性が増えたとか。 それだけ非日常の日々、が始まっているということでもあるのですが。

食べ物と言えば「NO KID HUNGRY NEW YORK/お腹を空かせた子供たちをゼロにする)」と銘打って、市が無料で朝食とランチを配っています。 やはり、なにをおいても、子供達を優先する街です。 実際に、一度、フードをもらいに行きました。IDを見せる必要もなく、「子供二人!」という自己申告だけで、二人分の食糧を渡してくれました。 アメリカの素晴らしいところだと思います。 そのカウンターにいたスタッフがマスクをしてないことに少し引っ掛かったけど。 アメリカのバカっぽいところだと思います。 で、ブラウンバッグ(茶色の紙袋)なので、リンゴやらサンドイッチが入っているので、すぐに底が抜けます。 出口で全部、ぶちまけてしまった僕に、黒人の縦より横に長い女性スタッフが、「あなたのせいじゃないから、戻って新しい紙袋もらっておいで!」としつこく言ってきます。 アメリカの素晴らしいところだと思います。 戻ると、新しい紙袋をくれました。 でも、まったく同じ紙袋でした。 アメリカのバカっぽいところだと思います。


自宅に持って帰ります。 妻は買い出しに行くことも限定的な今、すごく助かると言いました。 アメリカの素晴らしいところだと思います。 紙袋を開けてみると、ピーナッツバターたっぷりのサンドイッチと、ブルーベリージャム、べったりのサンドイッチと、砂糖まみれのクッキーと。 。 。 素晴らしくないところです。 でも、子供達を何より優先するところは素敵だなって思います。 この街で子供達を育てることができるのは、幸せだなと思いました。 砂糖まみれのクッキーは僕が食べたけど。


子供達と言えば、今、幼稚園に通園は出来ないのですが、毎朝、ZOOMでクラスメイトとホームルームをやっています。 それぞれの親御さんが膝に園児を乗っけて、HELLO! と参加しています。 お遊戯も充実しています。食べ物と言えば、飲食店にとってはロックダウンそのものが生存危機に直結します。 だって、お客さんがゼロになるのだから。 その中でも、ある意味、僕たち消費者にはラッキー、、と言えば、不謹慎ですが、有名ステーキ店が、あり得ないディスカウントで、デリバリーサービスを始めました。 このままでは仕入れの肉が傷んでしまう。 だったら、タダ同然の額でも売り捌こうというわけです。 ニューヨークの有名老舗ステーキハウス「ベンジャミン」のフィレステーキが90%オフの価格で食べられました。 たまたま、うちの愛犬、名前がみりんという雑種が9歳の誕生日を迎えたので、高級フィレステーキを800グラム誕生日ディナーにしました。 多分、本体(みりん)より日頃は高い価格。 それが1割の値段で手に入りました。


不謹慎と言われるかもしれませんが、そのくらいを楽しみにしていないとやっていられない現状です。世界がこのような状態になると誰が予想したでしょうか。 テレビに出演する占い師が、本物だと言うのなら、絶対、予想出来ていなければおかしいほどの歴史的事件です。


予想と言えば、昨年11月。 東京に行った際に、いつもご挨拶に行く、ベストセラー作家の本田健先生のご自宅にて。 健さんと何気なく、世間話をしていた時のことでした。 「そういえば、来年、とうとう東京オリンピックですね」という話題になった際、何気なく、健さんは「でも、なにがあるかわからないよね。 ちょっとしたら、戦争にならないとは言い切れないし、世界的なウイルスのパンデミックになる可能性だってゼロじゃない」とおっしゃってました。 もちろん、ただの偶然です。 でも「世界的な変革の時期ってなにがあるか、わからないから」とも言っていました。 偶然だとしても、いつも世界に目を向けて、アンテナを張り巡らしている彼にしてみれば無意識的にも、どこかで予見していたのかもしれません。 すごいなと思わされました。

そして、今、これを書いている真っ最中に、知り合いに頼まれて、急きょZOOMにて数十名の方々が参加する中、ニューヨークの今の現状、LOCK DOWNについてお話しさせて頂きました。急きょだったので、それが何の会合かわからないまま、お話させて頂きました。SNSのグループみたいです。他にもカリフォルニア郊外に住まれている方、ロザンゼルス、シアトル、そしてドイツに住まれている、すでに今現在、世界でLOCK DOWNをしてる都市の方々が参加されました。主旨は、彼らによる、これから封鎖される可能性のある日本の他の参加者に対しての現状報告、そして心がまえ。 西海岸やヨーロッパの現状も知ることができ、非常に有意義なZOOMセミナーでした。 だからこそ、この有意義な情報を身内だけでなく、知り合いに伝え、拡散して欲しいと思いました。各国のダウン経験者から、少しずつ買い出しに出かけ貯蔵しておこう、とか、急にダウンした際パニックにならないよう、とか、撹乱する情報を見極めよう、とか、LOCK DOWNそのものに役立つ情報が数多く出てきました。

僕的には、少し、違う角度からお話させて頂きました。それは
ー、死ぬな、ということ。
大袈裟に言ってるわけでも、イタズラに煽っているわけでもありません。 感染そのものについての発言でもない。 今回のパンデミックが収まったとして、確実に訪れるであろう「経済破綻」について、です。 結構、真剣に思っています。今回、個人的に感染以上に怖いのは、エコノミック的に大打撃を受ける個人が日本で続出するのではないか、ということ。 いや、すでに出ていると思います。 僕が零細新聞社の経営者だから特にそう感じるのかもしれませんが、経営者に限りません。 個人事業主、大企業、オーナー、雇われ、サラリーマン。 どの職業であれ、破綻する可能性が出てくるー。
そして、こんな有事によく言われるのが「状況に合わせて、切り替えが必要!」というロジック。 テロであれ、バブルが弾けた後であれ、「その状況に合わせて、今の状況に固執せず、ビジネスモデルをうまく変えて、何とか切り抜けよう」という理論。 業種によっては利益が出ている、という理屈。 もちろん100%賛成です。 それに越したことはない。 でも、全員が全員、そううまく作用するわけがない。 なにより、僕の周囲の経営者で、当たり前ですが、当然、活路を見出すため、方向転換を考え、そっちにハンドルを切っています。 今のままでいいと思う経営者なんて皆無、です。
でも、それでも、うまく行かない場合もある。 1番いいのは、経済破綻が起きないこと。 2番目は、それを利用しモデルチェンジし、うまく切り抜けること。 でも、それすらできなかった場合も出てきます。 少なからず。
その場合、絶対に、ヤケを起こさないでください。 炎上覚悟で言うなら、破産しても「たかが金だ」くらいに思った方がいい。 その場合に限ってだけど。 ニューヨークで、外国人経営者として、紙媒体を運営しているー。 ( ←自分で書いてて嫌になるくらい、ハンデだらけだな・笑)その僕から言わせれば、仮りに一回破綻しても、絶対に活路は見出せると信じています。 絶対に復活できる、と。
同時多発テロの直後に業界に入り込み、イラク戦争真っ最中にメディアカンパニーを立ち上げた。 ブラックアウトで創刊の邪魔をされ、紙の時代はもう終わると言われる中、無料の日刊紙を発刊し続けた。 リーマンショックの影響で、当時雇われ社長だった元の会社と決裂したときは、NYの日系社会で「高橋はもう終わった」とささやかれました。 「ニューヨークBIZ」を創刊した翌年にはサンディにより、オフィス業務はすべてストップ。 歴史上、外国人が最も嫌いな大統領が誕生した際は、せっかく育てた優秀な社員がのきなみビザを拒絶され、強制帰国になりました。 もちろん、それらのたび、売り上げは底辺まで毎回落ち込みました。 毎回、毎回。
プライベートでは、ドSなのに、ひょっとしてビジネスにおいては、オレ、Mなのかな、と最近は自分に感心すらしています。 そんな経緯だったので、調子がいい時があったとしても、いつまでも続くわけがないと、どこかでいつも思ってる。 いつだって、ゼロになる覚悟が出来ている。 毎回、毎回、ゼロにされることに、免疫がつきました。 いつか、息子が大きくなった際、武勇伝として聞かせて、ウザがられるのを楽しみにしている。 ゼロになったとして。 またゼロから始められる。 そう思えるくらいにしておきたい。 絶対に、活路は見出せるからー。 だから、ー、死ぬな。
そして、ニューヨークは、僕が渡米してからの20年間に限ったとしても、いろいろとありました。 なので、今回も乗り越えると思います、結局。 そして、僕たちも。


コロナが蔓延しても、ニューヨークは今年も桜が咲いてます。



高橋克明この著者の記事一覧
全米発刊邦字紙「NEWYORK BIZ」CEO 兼発行人。同時にプロインタビュアーとしてハリウッドスターをはじめ1000人のインタビュー記事を世に出す。メルマガでは毎週エキサイティングなNY生活やインタビューのウラ話などほかでは記事にできないイシューを届けてくれる。初の著書『武器は走りながら拾え!』が2019年11月11日に発売。

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私見

 この高橋克明氏の記事がどの程度、事実を全面的に記述しているか、私にはわからない。けれど、諸外国の実態を、管理され政府の広報として飼育された日本の大手マスコミ以外のメデイアからも情報にふれることが、有効なことだと考える。
 認識は対象の全面的側面に及ぶことによって、偏見や予断から、対象の総合的把握に至ることができる。
だから、私の主義主張や思想信条とは無関係に、多くの情報に接することで、新たな認識に至る道を私たちは獲得できる。それがこの長文記事を転載させていただいた理由である。(終)