【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

しんぶん赤旗電子版に見る「アフガン現状」究明と探求

2021-08-17 21:08:03 | 転載と私見
第一部
アフガン政権崩壊 米の報復戦争に“参戦”
自衛隊海外派兵路線 総括を
2021年8月17日しんぶん赤旗電子版【2面】
*地図は記事と無関係の世界地図より転載

 2001年9月、米国はアフガニスタンへの報復戦争を「テロとのたたかい」と称し、同盟国に参戦を呼びかけました。そうした中、米側から「ショー・ザ・フラッグ(旗幟〈きし〉鮮明にせよ)」と迫られた日本政府は、自衛隊派兵を決断しました。テロ特措法を短期間で成立させ、同年11月から10年1月まで、インド洋で米軍などへの洋上給油を実施。イージス艦や補給艦など、のべ73隻・1万3300人が動員されました。

安保法制の源流
 自衛隊から燃料を受け取った米艦船から発進・発射された戦闘機や巡航ミサイルによる空爆で、多くの民間人が巻き添えになりました。日本は事実上、米主導の多国籍軍の一員であり、「対テロ」戦争の当事者なのです。

 インド洋への派兵を契機に、日米両政府は03年、「地球規模の日米同盟」を宣言。自衛隊はイラクに派兵、さらに、洋上給油が終了した後も「海賊対処」と称してアフリカ東部ジブチを拠点とした派兵と、海外派兵を拡大していきました。

 こうした海外派兵路線をさらに拡大・深化させたのが、安倍前政権が強行した安保法制でした。米軍主導の多国籍軍と渾然(こんぜん)・一体化した「国際治安支援部隊」(ISAF)への参加など、アフガニスタンへの地上部隊派兵まで可能にし、海外での米軍のあらゆる戦争への参戦に道を開きました。

 また、01年9月の米同時多発テロ直後、米海軍横須賀基地(神奈川県)から一時的に退避した米空母を海自護衛艦が脱法的に「護衛」しましたが、この経験を踏まえ、安保法制では「米艦防護」と称して、いつでもどこでも米軍の「防護」を可能にしました。

 しかし、「対テロ戦争」は報復の連鎖を生み、テロをさらに拡大させ、世界を不安定化させました。事実上、米国のかいらい政権だったアフガン政府と国軍は無力であり、あっという間にタリバンの復権を許し、想定外の速さで崩壊しました。

外交による支援
 タリバンが権力を掌握したアフガンがどこへ向かうのか、現時点で予測は困難ですが、軍事力でテロを根絶できないということははっきりしました。外交力・警察力を駆使してテロを抑えるとともに、テロの温床である格差や貧困を解消するための支援こそ決定的に重要です。

 インド洋での給油や安保法制を批判してきた東京外国語大大学院の伊勢崎賢治教授は「『アフガン戦争は日本の戦争』であることを認識し、アフガンに何ができるか考えてほしい」と指摘します。政府は、20年におよぶ違憲の海外派兵路線を総括するとともに、憲法9条に基づいて、アフガニスタンの安定に貢献し、暴力や人権抑圧の復活を許さないための外交的な努力が求められます。(竹下岳)


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第2部
アフガン政権崩壊
対テロ報復戦争の誤り鮮明に 厳しい歴史の教訓
2021年8月17日【3面】しんぶん赤旗電子版

 アフガニスタンの反政府勢力タリバンが首都カブールを包囲して大統領府を占拠し、同国のガニ大統領が国外に脱出して同政権は事実上崩壊しました。この事態が痛烈に示しているのは、テロに報復戦争で対応することがいかに愚かな誤りであったか、です。

 日本共産党は9・11同時多発テロ直後の2001年9月17日、ならびに米軍等が軍事攻撃を開始した直後の同年10月11日、不破哲三議長(当時)と志位和夫委員長が連名で各国首脳宛ての公開書簡を発表しました。

 「国際社会全体に対する攻撃」「世界の法と秩序に対する攻撃」(9・17書簡)であるこの野蛮なテロ攻撃に対処するため、(1)軍事報復ではなく国連憲章と国際法に基づき、(2)米国やその軍事同盟ではなく国連が中心となり、(3)容疑者の告発、必要な制裁措置等、「法による裁き」を通じた解決を強く求めました。

 日本共産党は、報復戦争では「いっそうのテロ行為と武力報復の悪循環をもたらし、無数の新たな犠牲を生み、事態を泥沼に導く危険」(同)があると一貫して警告してきましたが、この警告は不幸にも的中しています。

国際法上道理のない軍事攻撃 大きすぎる犠牲

 国連憲章も国際法も無視したこの軍事報復行動は、アフガニスタンでの民間人死者4万7245人、アフガン治安部隊死者6万6000人、タリバン側死者5万1191人、米軍死者2448人などで、コストは6兆ドルを超える見込みです。

 無関係の人々の犠牲が拡大し、テロ根絶のための大義を損ない、国際社会に分断と亀裂をもたらし、さらにテロが拡散する。20年にわたる報復戦争の犠牲ははかりしれません。

 テロに対してであれ、大規模な軍事報復に訴えることは、今日の国際社会が承認している原則に合致しているものではないことを、国際社会の教訓として、いまこそ肝に銘じるときです。

 報復戦争は、アフガン自身による政治解決の道を事実上、困難にしてしまいました。新憲法採択、大統領選、議会選等、タリバンを軍事力で排除したのちに政治解決に向けた動きが始まりましたが、戦争のつけは大きく、失敗となりました。

 タリバンが再び攻勢を強めるなか、20年9月からのアフガニスタン政府とタリバンとの間の和平交渉も行き詰まり、今日の“カブール陥落”を招くことになりました。

裁きも真相解明もなく

 報復戦争によって、裁きを通じた正義ももたらされることはなく、真相解明もなされないままです。テロ犯罪の容疑者は、被害を受けた国に引き渡して裁判にかけるのが、確立された基本的なルールです。9・11テロ後の安保理決議も「テロ実行犯と組織者、後援者に法の裁きを受けさせるために緊急に協力」(決議1368)することを求めていました。

 本来なら、国際社会が共同で対処し、国連のもとに特別の国際法廷を開設することも含め、裁きを通じて事件の真相を解明することを追求できたはずです。

 米国のオバマ政権(当時)は11年、パキスタン領内にいたテロ首謀者と目されたビンラディン容疑者の殺害作戦を実施し、真相解明の道を閉ざしました。今でも暗殺を“手柄”のように誇っていますが、テロ根絶に向けた国際協力と取り組みにどんな貢献となったのかは、疑わしい限りです。

 正義を無視した軍事攻撃が社会にもたらした傷痕はいまだに鮮明です。テロ根絶で結束できたはずの国際世論に亀裂が入り、イスラム諸国やイスラムの人々から武力行使に反対の声があがる一方、欧米諸国ではイスラム教に対する偏見や差別が社会問題化し、いまだ克服の途上です。

アフガン再建に向けた重い責任

 米軍の撤退自体は、「米史上最長の戦争」となったアフガニスタン介入への米国民の強い批判と不満を反映したものです。ブリンケン国務長官は「この数十年の海外軍事介入、とりわけアフガニスタン、中東をみれば、大規模介入をすればその後に想定以上に厳しい事態が伴う」ことを学んだと述べています(3月3日)。

 しかし、国際的な批判を無視して勝手に戦争を始め、勝手に帰っていくのは、結局、すべて米国の自己都合にすぎません。「責任ある撤退」(バイデン大統領)といくらいいつくろっても、現在の混乱を引き起こした大国の責任は絶対に免れません。オバマ政権は一時、アフガニスタン駐留米軍を10万人規模にまで増派しましたが、当時、副大統領として推進したのはバイデン氏自身です。

 米軍占領下でも、アフガニスタンの人々は新しい国づくり、地域づくりのために、治安、インフラ整備、女性や子どもたちの教育などで少しずつ前進を図ってきました。引き続く貧困、コロナ禍のもと、米国など大国のエゴ、政府側とタリバンの和解交渉の崩壊で、最悪の被害者となるのはアフガンの庶民であることも明白です。

 米軍と、集団的自衛権を援用した北大西洋条約機構(NATO)による軍事攻撃に加担した諸国は、結局、アフガニスタンの国造りも国際社会の協力のあり方もゆがめてしまった重大な責任を免れることはできません。米国をはじめ国際社会は、今度こそアフガニスタン再建に向けた特別に重い責任を果たさなければなりません。
 (小林俊哉・党国際委員会事務局次長)



私見
 アフガンのこの実態をどう見るか、さらにこの世界政治に日本国としてどう対応してゆくべきか。いくつもの見解があろう。2012年に中東専門家が書いた「欧米とメデイアに踊らされた民主化革命」と副題のついた書籍『「アラブの春」の招待』を、最近取り出して読んでいる。ベイルートの大学と大学院でまなび、帰国して同志社大学大学院で学んだ重信メイ氏。氏が困難な状況下で、国際的視野で、偏見や差別にも屈折することなく学問を蓄積していることに、私はその姿勢を自分の心で判断してきた。
 アフガンの社会と国家に専門的な素養はない私だが、欧米先進国の情報以外に、「国際社会には別の視点がある」ということを大事に思う。とくに中東に、中村哲氏が医師としてアラブへ旅立ち、そこで行った社会的活動とジャーナリストとして発信した足跡を思う。
 今回いち早くアフガンの政変にあいついで実態をほりさげた日本共産党の実践的知識人の論考は、なにも知らない私にとって、貴重な問題解明の入り口となるだろう。