【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

【永岡浩一さんからの通信】

2022-11-23 23:07:29 | 転載
【永岡浩一さんからの通信】


ラジオ関西 ばんばひろふみ!ラジオ・DE・しょー(2022/11/23) 西谷文和 大阪博打場、万博の闇を撃つ、博打場はコロナで斜陽産業、しかし維新と在阪マスコミの結託でバラ色の未来を示すが実態は地獄、ごみで埋め立てた土地の地盤改良と土壌改良に無限の予算を要して時代遅れの万博は確実に破綻、今止めないと関西人全員地獄行きを警告する!


 永岡です、ラジオ関西の、ばんばひろふみ!ラジオ・DE・しょー、今週のばんばん侍はフリージャーナリスト、新聞うずみ火編集委員の西谷文和さんでした。増井孝子さん、露の吉次さんも同席でした。1か月ぶりのスタジオ出演でした…で、今回も頭にくる&怖い内容で、読むと心臓に悪いかも知れませんが、しかし安倍晋三氏は死しても、そして橋下松井吉村氏はもっと悪いのです!



 西谷さん、統一協会の闇、安倍政治の闇の本(https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784889002782 )、まだ止められる大阪カジノ、路上のラジオの採録を中心に出版、今日からネットで買えて、12/3から本屋に来て、統一協会問題、安倍氏銃殺で、様々な人に取材、すずきさん、内田樹さん、名称変更で前川喜平さんに取材、統一協会は質問権で動きがあり、次回に回して、今回は大阪の博打場について、増井さんも止められるかと問われて、西谷さん止められて、夢洲はごみ処分場、85年から、上に建物はアウト、関空は土で埋め立てて地盤沈下、関空ですらジャッキで支えてコストがかかり、夢洲はその何倍もかかり、空港より高層ビルを建てて、数十階のもの、傾いてルーレットの球が飛び出る!無謀な計画で、国が審査、アカンとなると止まり、国もやる方向だが、無茶苦茶。維新と自民党の中、安倍氏と維新はズブズブ、憲法改悪の安倍氏と、博打場作りたい維新のバーター、そして博打場を隠すために大阪万博、しかし博打場は斜陽産業、コロナで一か所に集まれずオンライン、大阪博打場は最初数社参加、最有力のラスベガスサンズは横浜に浮気、破綻、そして3社残ったが、今あるのはMGMとオリックス。松井氏、地下鉄を博打場業者に資金拠出させようとして、数社ならそれは行けたものの、1社になりMGMとオリックスの言い値になり、地下鉄、地盤改良は大阪府市の税金浪費。ばんばさん、ちゃんと説明していないと説かれて、西谷さん、もちろん税金浪費、当初は博打場作り取り返せると見ていたが破綻、中国の富裕層が来ると見ていたが、習近平氏は博打場禁止でマカオすらいけない、当初計画から激変、富裕層はトランプ、ルーレットで数億やるが、標的は大阪だとパチンコの客、パチスロ6400台、カモは日本人。増井さん、ギャンブル依存症が出ると説かれて、西谷さん、投資は回収不能、今年2月に゜基本計画書が大阪府市とカジノ業者で交わされて、土壌改良は大阪府市の役目=土の入れ替えなど大阪+19条に投資リターンに悪影響だと業者は逃げられて、損失は全部大阪府市、液状化したら大阪の負担、跡地は廃墟!になり借金だけが残り、そして地盤改良は税金。

 さらに、2025年に万博、博打場は2029年、その間地下鉄は無用の長物、夢洲にセブンイレブン一軒あり、その従業員しか乗らない。ばんばさん、大阪府市の人がごみを地下鉄に乗り持っていかないかと説かれて、西谷さん、ゴミ袋持ち地下鉄に乗らない!地下鉄は維持費がいり、止めたらレールがさびてアウト、負債は東京五輪の比ではない。

 ばんばさんは大阪府民、市民ではないが、黙っていられない、こんなあほに大阪府民の人は反対しないのかと説かれて、西谷さん、五輪で神宮外苑の開発で立ち退きや、再開発道路で穴が空くと市民が抗議するが、夢洲は無人島でクレームは今なし、ばんばさん、土壌改良など大阪の人は許すのかと説かれて、西谷さん、万博が隠れ蓑、しかし博打場は不要不急、病院など必要不可欠ではなく、博打場は赤字、東京五輪は大赤字+逮捕。そして情報公開を求められた藤永のぶよさんに西谷さん取材、文書が出てきて、夢洲は4区、1区はごみで埋め立て、2,3区に博打場と万博だが、浚渫土砂、それは早い話ヘドロ、80年代の映画泥の河そのもの、そしてPCBは環境基準の28倍、水銀は基準の25倍と判明=猛毒、そして泥で沈むもの。関空は山の土で、何重にも危ない。そしてIR推進局がボーリング調査して、N値(63kgの重りを70cmから落として30cm沈むのに何回やらないといけないか)はわずか5、それほど柔らかく、砂場なみ。10階建てのビルに20、20階のビルに50はいり、藤永さんの情報公開でやっと出たが、大阪府市は黙り、さらに在阪マスコミも報じない。今裁判になり、もっと資料を出せ、しかしN値5に建物なら、1本1億円の杭を何百本!も打たないとならず、沖縄の辺野古は90mの水深で軟弱地盤改良は物理的に無理、やったら無限に、少なくとも兆単位の費用がかかり、そして夢洲も同じ、杭は税金=大阪市破産、兆単位の浪費、即止めないとえらいことになる。

 ばんばさん、それを大阪府市が黙って犯罪行為だと説かれて、西谷さん、大阪府市は維新が強く、博打場と万博で当選、後は野となれ山となれ!超危ない、大阪の財政破綻。ばんばさん、反対意見はあるととかれて、西谷さん、博打場の是非を問う住民投票に21万筆の市民の署名が、神戸空港の是非を問う住民投票みたいにテレビが大きく報じなくても集まり、それほどみんなやばいと思うのに、大きく報じられず、藤永さんが情報公開しないと闇の中。ばんばさん、やっている人は心が痛まないかと怒られて、西谷さん、内心アカンと思っても、声に出すと松井氏、吉村氏に左遷されるので声を上げない。

 ばんばさん、何があっても誰も権力者は責任を取らないと説かれて、西谷さん、その通り、「この国は責任を取らない」、戦争、原発事故、五輪、国葬etc、他方コロナでPCR検査は充実させない、国民のためのものにはちゃんとせず、国民に害をなすものはやりたい放題、パリは万博をやめて、大阪当選、これで札幌五輪はダメ。西谷さん、今年2月にドバイ万博に行き、ドバイもドーハも金持ち、ところが祝日に万博はガラガラ、アメリカパビリオンは、西谷さん60歳以上なのでタダでは入れるのに5分と待たず入れて、70年の月の石のような目玉なし、娯楽は50年で激変、70年の万博は月の石のアメリカパビリオン、ソ連のものも大人気、今はネットで見られて、高い金を出していくものなし+少子高齢化、今の高齢の大阪、神戸市民が5時間並べない、倒れる+入場料6000円、ドバイみたいに高齢者タダは期待できず、どころか建設費高騰で6000円でも赤字、さらに万博の敷地は浚渫土砂、シドニー五輪も同様のものの始末に120億円かかり、大阪万博は同様、万博協会は夢洲ごみの塊と熟知、そして夢洲は大阪梅田から地下鉄できても1時間程度かかり、だから地下鉄旅費も高い。愛知万博はトヨタがあっても足りず、公営ギャンブルの予算で補填、ましてや今の大阪、神戸には金を出せる余裕のある企業なし+円安と物価高、子供も少ない。増井さん、月の石のような目玉はあるかと説かれて、西谷さん、ない、空飛ぶ車は月の石にならず、第一みんなネットとSNSで万博は現地に行かず楽しめて、ましてや6000円の高い入場料、地下鉄延伸に1200億円、無限の浪費、これを黙って許したら関西人全員あの世行きとして時間になりました、これ、大阪のメディア、特にテレビは維新と大阪博打場、万博はバラ色と、まさに太平洋戦争の大本営発表、この前のオリックスバファローズの御堂筋パレードもダウンタウンと松井氏、吉村氏が万博の宣伝に悪用、そんな余裕があったら神戸でオリックスバファローズの日本一セールさせろ(笑)。ともかく、こんなアホなことを許したら関西人全員地獄行き、止めないといけません、これも拡散してください、以上、西谷さんのお話でした。

 

色平哲郎氏からのご紹介

2022-11-23 22:20:44 | 転載
色平哲郎氏からのご紹介


有機農業研究会、若月俊一はその創設者の1人「農村は都市の母



「君には言論の自由がある。だが、言論の後の自由は、保証できない。」

イディ・アミン・ダダ(ウガンダ大統領)


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有機農業研究会、若月俊一はその創設者の1人「農村は都市の母」


――長野だけでなく、日本でやっと広がり始めた。

千葉県のいすみ市や宮崎県の綾町、大分県臼杵市が有名だが、意外に知られていないのは、佐久市(旧臼田町)が日本の有機農業の発祥の地の一つであること。1970年代に日本有機農業研究会ができるが、佐久総合病院の故・若月俊一さんが、その創設者の1人になり、医者の立場から当時の農薬に対して「農薬中毒」があると警鐘を鳴らした。生ゴミの大地への還元や食べものと健康とが表裏一体であることなど、SDGsで言われていることをすでに見通していた。県で有機の担当になって、有機プラットフォームを立ち上げる候補地として佐久に白羽の矢を立てたのはそのため。佐久もビジネスとしての有機農業が発展する候補地の一つだと思う。

https://www.asahi.com/articles/ASQCP759YQCLUOOB00N.html
有機農業はあたり前の時代 持続可能な食と農へ、吉田太郎さんに聞く


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「農村から見つめた医療」佐久病院創立50周年、信濃毎日新聞1994年12月16日

途上国に経験伝え 都市との連携も 若月俊一インタビュー(抜粋)と「佐久病院に望む」


農村には何といっても重みがある。農村は都市の母です。基本的に、農村を大事にしてきたことには間違いはなかったと思うし、これからも大事だと思う。都市だけではやっていけない。最近は一極集中とか地方分権とか、偉い人は言うが、あまり信用できない。農村を大事にしなければという言葉も出てきているが、農村住民のレベルを上げる「住民参加」の考えがない。それでは本当の民主制は出てこない。医療でも「地域医療」という言葉は使うが、地域とは何か、が分かっていない、、、

農村の問題を国際的な視野で論じなければならない。一番大きな問題は開発途上国と先進国との関係だと。私は中国の農村医学会の名誉顧問もやっているが、中国農村にもいま問題がある。社会主義から開放経済への変化には気を付けないといけないのではないか。9億の農民がどんどん都会へ行く。そういう意味で、日本のわずかな経験だが、私どものよかった面、失敗した面の情報を交換しあうことも大切、、、

医療はやはり変わってきている。「与える」ものではなくなっています。住民自身が「選ぶ」時代ですね。私はそれでいいと思う。

21世紀には都市と農村の問題も、分けて考えられなくなっているでしょう。農村医学は都市医学と連携していかなくてはならなくなる。いや、都市と農村の格差をなくして考えていかねばならなくなる。
農村という言葉にこれからもこだわるが、こだわり方が違うんです。農村にこだわりながら、視野を広くして、別の言葉で言えばこだわらないで、両者のレベルを同じにして論じていくことが大切ではないですか、、、

人間の自由な考え方、自由に生きることを大事にすることですね。その場合、人間は欲得で生きているんだと考えることです。いわゆる実利主義です。しかし、単なる欲得ではなく、そこに社会性、歴史性とか、ヒューマニティーが入ってくると思うのです。


ーー佐久という地域で50年間やってきて、若い世代にどう託していくんでしょうか。

死という問題についてーー主にがんの告知の問題に絡むことですがーーお話がありましたが、宗教のことも含めどうするか。医者は今までだって死とは直面してきたわけです。そっけなく「ご愁傷さまでした」と言って済ます問題ではないことは確かです。もっと真剣に取り上げなければならない。若い人とよく話し合いたい問題ですね、、、

いったい人間とは何か、その向こうにある生活とは何かをつかまないで、本当の医療はできっこない、、、


ーーそして、次に問題になるのは、いかによりよく生きるかということです。

生きようという意志はどこから出てくるか。リハビリをやると体はよくなる。これを精神的にもできないか。この学問が足りないんですよ。私の勘ですが、生きようという意欲があることが大事なんです。
できるだけ働き、社会的問題に関心を持ち、コミュニケーションを持ってしゃべったり、書いたりすることです。


ーー最後に、改めて50年を振り返って、節目になったことは何だったとお考えですか。

最初は農村医学の問題ーー胆虫症とか「こうで」(過労で手首がはれて痛む)や「冷え」などに取り組んだことですね。そして農村医学会をつくったことです(米国で1946年、長野県で1947年に発足)。二番目は高度成長になった時、経済的な力を利用して病院を大きくしたことですね。それが地域のため住民のためになると、無理してもやった。でも、やってよかったと思っています。

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「佐久病院に望む」  日本医師会長 村瀬俊郎さん

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「佐久病院に望む」  南牧村保健婦 菊池智子さん

温かな対応 心の支えに

地域に積極的に出て、要望にこたえてくれる点はとても評価できる。今後の大きな課題であるお年寄りの在宅ケアは、患者や介護者と医師との信頼関係など心の面が大切で、診療所の役割も大きい。
それだけに、常勤体制になって地域になじんでいる医師が数年で代わってしまうのは残念だ。

私が25年前に村に来たころから、早期発見や予防意識の向上を目指した集団検診や、精神科の患者の退院後を考えた地域での支援体制などで、病院などと一緒に取り組んできた。
地域や患者の実情を理解するためにも、それぞれの連携は今後、一層大切になる。

病院が大きくなるにつれ、時々、対応が不親切との患者の声を聞くことがある。病気の時にはだれもが気弱になり、対応一つで救われる。
「農民とともに」をうたい、大学病院とは違うーーとの期待と信頼があるだけに、温かい対応を望む。


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日々につのってゆく言論抑圧のもとにあって、偏狭にして神秘的な国粋思想の圧制に抵抗し、偽りなき現実認識、広い世界的観点、冷静なる科学的精神を大衆の間に普及し、その自主的態度の形成に資することこそ、この叢書の使命であった。

「岩波新書の再出発に際して」1949年3月


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私は爆弾が落ちるのを見た、、、渦まく火焔を見た、、、黒焦げの死体を見た。その死体を無造作に片づける自分の手を見た。死体のそばで平気でものを食べる自分たちを見た。高貴な精神が、一瞬にして醜悪なものにかわるのを見た。一個のパンを父と子が死に物狂いでとりあいしたり、母が子を捨てて逃げていくのを見た。人間のもつどうしようもないみにくさ、いやらしさも見た。そして、その人間の一人にすぎない自分を、私は見た。

『小田実全仕事』第8巻64p


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白豪主義とアボリジニの悲劇

西洋人がオーストラリアを「発見」した段階では、50万人から100万人ほどのアボリジニがオーストラリア内に生活していた。しかし1920年には約7万人にまで減少した。人口減少の最大の要因はヨーロッパ人が旧大陸から持ち込んだ伝染病(天然痘や梅毒、インフルエンザ、麻疹など)の流行によるものと考えられている。それまでオーストラリアは旧大陸とはほぼ隔絶されていたため、アボリジニはこれらに対する免疫を持っていなかったのである。

1788年からのイギリスによる植民地化によって、初期イギリス移民の多くを占めた流刑囚はスポーツハンティングとして多くのアボリジニを虐殺した。
「今日はアボリジニ狩りにいって17匹をやった」と記された日記がサウスウエールズ州の図書館に実際に残されている。

1803年にはタスマニアへの植民が始まる。入植当時3,000-7,000人の人口であったが、1830年までには約300人にまで減少した。虐殺の手段は、同じくスポーツハンティングや毒殺、組織的なアボリジニー襲撃隊も編成されたという。数千の集団を離島に置き去りにして餓死させたり、水場に毒を流したりするといったことなども行われた。

また、1828年には開拓地に入り込むアボリジニを、イギリス人兵士が自由に捕獲・殺害する権利を与える法律が施行された。捕らえられたアボリジニたちは、ブルニー島のキャンプに収容され、食糧事情が悪かったことや病気が流行したことから、多くの死者が出た。

これによりアボリジニ人口は90%以上減少し、ヴィクトリアとニューサウスウェールズのアボリジナルの人口は、10分の1以下になった、、、

多い時期で約3万7千人ほどいたタスマニア・アボリジニは激減した。なお、タスマニアのアボリジニが「絶滅」したという記述をしている書物も多いが、それは間違いであり、混血をしつつも、現在もタスマニアのアボリジニのコミュニティは存在しており、文化伝承や権利運動に取り組んでいる。

特に東海岸沿岸部等の植物相の豊かな地域に居住していたアボリジニは、当初はイギリス移民との平和関係を保っていたものの、後の保護政策に名を借りた強制的な移住もあり、この入植者たちによる
ハンティングという惨劇を語り継ぐ者をも残さず姿を消している。

https://cutt.ly/8MLhlfM


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「しゅうとめが米をかくしもち、嫁に喰わさなかったので、嫁は子をころして喰った。しゅうとめが村の大人(おとな)に報らせると大人らは嫁を淵へ投げて殺した。そのうちしゅうとめは、また子をころして喰った。村人らはついにしゅうとめをくびり殺す」

「天明三癸卯の歳飢渇聞書」


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「天明五年乙巳秋八月十日に陸奥国鯵ヶ沢を経て五所川原にさしかかかる時の見聞である。
飢えた人は村を出て、食物のある所へゆきつこうと放浪するわけである。その途中で、野たれ死した人骨がうず高く積まれてあった光景だ。馬も喰い、子も喰った人間どもが、村々にまだ生きていて、形相はおそろしく、狼のように眼をぎらつかせ、顔がいやに黒かったという」

菅江真澄「遊覧記」


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19世紀のアメリカには「ホームステッド法」というものがあった。一定期間公有地で耕作に従事すると土地を無償で与えるという法律である。自営農になることを夢見て多くの人がアメリカに渡り、西部開拓の推進力になった。マルクスはこれを「コミュニズムの先駆的実践」と高く評価していた。マルクス自身も(果たせなかったが)テキサスに移住するという計画を立てていた。

アメリカにはマルクスの知人・友人が多くいた。1848年の市民革命失敗の後に、官憲の追跡を逃れて多くの社会主義者・自由主義者たちがアメリカに渡ったからである。彼らは「48年世代(フォーティー・エイターズ)と呼ばれた。

内田樹 凱風快晴ときどき曇り「アメリカとマルクス」 週刊金曜日22年11月11日 


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危機を食い止めたのは、大アヤトラの裏方としての姿勢だったと、関係者は語る

バグダッド:先週、イランの宗教学者であるアル・サドル師の声明がイラクを内戦の寸前に追いやった時、それを止めることができたのはたった一人の人物だけであった。92歳のイラクのシーア派聖職者であり、彼が自国において最も強力な人物であることを再び証明したのだ。

大アヤトラ・アリ・シスターニ師は、イラクの街角で勃発した騒乱について、公の場では何も語らなかった。しかし、政府高官やシーア派関係者によれば、破綻を食い止めたのは、裏でアリ・シスターニ師のスタンスがあったからだという。

このおよそ3年間で最も血生臭いイラクの1週間のストーリーは、戦争を始めたり止めたりする権限が聖職者(多くは隣国のシーア派神権国家イランとの結びつきが曖昧)にある国での伝統政治の限界を示すものだ。

この暴力事件は、イランに拠点を置く聖職者がイラクで最も人気のある政治家、モクタダ・アル・サドル師を非難し、アル・サドル師自身を含む自身の支持者にイランの最高指導者の指導を仰ぐように指示したことから始まったものだ。

https://www.arabnews.jp/article/middle-east/article_75591/
92歳のアル・シスターニ師が、戦争に逆戻りするイラクを静かに食い止めた方法
04 Sep 2022


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「病気を治すには貧乏を追放すること」

「五公五民」の言葉が残る江戸時代の重い年貢と何ら変わらず、ロシア帝政時代の農奴にも似た状況に忍従した小作農家もやがて、怒声とともに団結し窮状改善を訴え始める。大正10年代から全国へ爆発的に広がった小作争議である、、、「小作人から田畑をとりあげるな」「小作人を人間扱いにせよ」「小作人の生き血を吸う鬼畜地主を倒せ」

24、25歳の青年が集った車力村農民組合のリーダー岩渕謙一は、村唯一の医院を父親から受け継ぎ、農耕馬にまたがり無休で往診にも出掛けた。患者は小作人の家族。泥田での重労働と過労、貧しい食生活による栄養失調が原因の結核や神経痛、家々で燃料にするサルケ(湿地土壌の泥炭)の煙によるトラホームが多かった。

岩渕は家財を切り売りしながらの無料診療とともに、生卵などを患者に配り、「病気を治すには貧乏を追放すること」を信念にしていった。小作人たちと膝詰めの座談会、研究会を重ね、「挨拶の仕方が悪い」と小作田を取り上げるまでの地主の横暴と闘うため、農民たちの団結と行動を呼びかけるに至った、、、

当時の地主階層は地場の金融や産業をも牛耳り、名士として町村や県から優遇され、地元選出議員や首長などの座を占めた。高額納税者には貴族院議員資格も与えられ、中央でも大きな政治力を誇り、政府もまた国家安定の土台として彼らを保護した。

岩渕謙一医師は最後、地主らが力を持つ村会(現在の村議会)から医師資格剥奪を決議され、車力村から追放同然に退去させられた。農民組合もやがて官憲の露骨な弾圧に遭う。

https://www.dailyshincho.jp/article/2020/01120530/?all=1

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