【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

【孫崎享のつぶやき】2021-08-12 11:252

2021-08-12 13:54:25 | 転載
秀逸の“帰省ネタ".菅首相等の五輪強硬時の嘘と詭弁発言を”帰省強硬“に置き換え記載。 ブラックユーモアの秀逸作。具体例「中止の考えはない。強い警戒感を持って帰省に臨む」 「帰省を中止することは一番簡単なこと、楽なことだ。帰省に挑戦するのが国民の役割だ」



 安倍政権、菅政権の特徴は嘘と詭弁である。
 こうした中、「お盆休みを前に菅政権の閣僚らは帰省を控えるよう国民に訴えている。 西村経済再生相は10日、「帰省をして家族で集まるのは絶対に避けていただきたい」と求め、田村厚労相も同日、「感染が拡大している。帰省はできるだけ控えていただきたい」と呼びかけた。だが、リスク評価も不十分なまま、開催ありきで五輪を強行した不満は、国民の間にくすぶったままだ。そこでSNS上では、五輪開催の〝菅話法〟とも言うべき言い回しの〝帰省強行ネタ〟で猛反発している」(東スポ)。


紹介されている〝帰省強行ネタ(出典2NN,3ニューノーマルの名無しさん2021/08/12(木) 10:21:14.85ID:1w/dV/jL0>>29>>35>>46>>75>>85


国民1「中止の考えはない。強い警戒感を持って帰省に臨む」
国民2「バブル方式で帰省する。感染拡大の恐れはないと認識している」
国民3「帰省を中止することは一番簡単なこと、楽なことだ。帰省に挑戦するのが国民の役割だ」
国民4「安心安全な帰省に向けて全力で取り組む」
国民5「コロナに打ち勝った証として帰省する」
国民6「(帰省は)今更やめられないという結論になった」
国民7「『帰省するな』ではなく、『どうやったら帰省できるか』を皆さんで考えて、どうにかできるようにしてほしいと思います」
国民8「もしこの状況で帰省がなくなってしまったら、大げさに言ったら死ぬかもしれない。それくらい喪失感が大きい。それだけ命かけて帰省する為に僕だけじゃなく帰省を目指す国民はやってきている」
国民9「家族に感動を与えたい。帰省はコロナ禍収束の希望の光」
国民10「我々は帰省の力を信じて今までやってきた。別の地平から見てきた言葉をそのまま言ってもなかなか通じづらいのではないか」
国民11「(帰省中止要請は)自主的な研究の成果の発表ということだと思う。そういう形で受け止めさせていただく」
国民12「言葉が過ぎる。帰省中止を決める立場にない」
国民13「帰省が感染拡大につながったエビデンスはない。中止の選択肢はない」
国民14「(帰省について)政府は反発するだろうが、時間が経てば忘れるだろう」
国民15「帰省することで、緊急事態宣言下でも帰省できるということを世界に示したい」
国民16「帰省について限定的、統一的な定義は困難」
国民17「実家を訪問するという認識。帰省するという認識ではない」
国民18「帰省に反対するのは反日的な人たち」
国民19「帰省しないのはより悲しいこと。COVID-19に負けたということは世界に知らしめたくない」
国民20「菅首相が中止を求めても、帰省は実現される」
国民21「実際帰省したら、帰省に反対していた国民もやっぱり帰省して良かったと言い出すに違いない。」
国民22「予見できないアルマゲドンでもない限り帰省できる」
国民23「菅義偉首相や東京都の小池百合子知事を含め、オールジャパンで対応すれば何とか帰省できると思う」
国民24「安全、安心な帰省を実現することにより、希望と勇気を政府の皆さまに届けられると考えている」
国民25「(帰省の意義について)コロナ禍で分断された家族の間に絆を取り戻す大きな意義がある」
国民26「帰省を反対している政府を見返したい。そういう人たちに思い知ったかと思ってもらいたい」
国民27「地方と東京が世界中の人々に対して、日本人がどのように頑張ってきて、この状況でも頑張って帰省しているのか示してもらおうと思った」
国民28「日本はこの程度の『さざ波』。これで帰省中止かというと笑笑」
国民29「7月20日に〈ラムダ株を国内で発見〉したが、盆明けまで公表しないつもりだった」
国民30「不要不急かどうかは本人が判断すべきだ」

【孫崎享のつぶやき】五輪と菅内閣支持率と自民党総裁

2021-08-10 16:57:06 | 転載
【孫崎享のつぶやき】
菅内閣支持率激しく下降。コロナ対応への厳しい批判で「五輪で政権浮揚」の菅首相目論見外れる。世論菅氏の続投望まず。自民党どうする。後継の支持高い順石破、河野、小泉。現在自民牛耳る3A(安倍、麻生、甘利)+S(菅)には石破、河野なら権力移譲。容認困難
2021-08-10 08:427



1:菅首相の目論見は外れた。

 菅首相は、五輪を開催することで結果的に国民は熱狂し、それが「菅政権」支持に回ると踏んだ。
 この考え方を示したのは、:7/21(水) ウォール・ストリート・ジャーナル日本版の「五輪開催でも日本は安全」と題する記事で次の記述がある。
「菅氏は目下、政治的に非常に厳しい状況に置かれている。毎日新聞が先週末に行った世論調査によると、選挙を今秋に控え、菅内閣を支持しないとの回答は62%に上り、1カ月前の調査から7ポイント上昇した。一方、支持するとの回答は30%にとどまった。他の世論調査でも同じような結果が出ている。また、日本国民の約3分の2は、五輪を楽しめるとは思っていないと回答した。
 ただ菅氏は、競技が始まり、国民がテレビで観戦すれば、考えも変わるとして自信を示した。」

2:菅氏の判断は半分あたっている。日本国民の東京五輪については、開始前、半数以上が、中止ないし延期であったが、終了直後の世論調査は肯定的である。

・朝日世論調査:
「東京オリンピックを開催したことは、よかったと思いますか。よくなかったと思いますか。」〈8月7、8日実施〉
よかった56▽よくなかった32
・JNN(TBS系)8/7・8/8実施
「開催してよかった」25%、「どちらかといえば開催してよかった」36%、「どちらかといえば開催すべきでなかった」24%、「開催すべきでなかった」14%。「よかった」「どちらかといえば」をあわせると61%。


3:しかしコロナの拡大でコロナ対応には厳しい評価が行われている。

・朝日世論調査:新型コロナウイルスを巡るこれまでの政府の対応を評価しますか。評価しませんか。 
評価する23(26)▽評価しない66(65)
・JNN新型コロナウイルスの感染拡大について、これまでの政府対応を評価するか
「評価する」は先月よりも9ポイント下落し29%。「評価しない」が先月より11ポイント上昇し62%だった。

4:ここより内閣支持率には厳しい結果が出た。

・朝日菅内閣。
支持する28(31)▽支持しない53(49)
JNN菅内閣の支持率は前の月より一気に10.1ポイント下落し32・6%と過去最低を更新した。不支持率も9.2ポイント上昇し63.5%に。


5:菅加首相の続投に関して

朝日:菅首相の自民党総裁としての任期は9月末までです。菅さんには、総裁に再選して首相を続けてほしいと思いますか。続けてほしくないと思いますか。
 続けてほしい25▽続けてほしくない60

6:ポスト菅政権について

・ JNN: トップ3は石破元幹事長20%(先月16%)、河野行革相17%(先月18%)、小泉環境相12%(先月12%)と、石破氏と河野氏が入れ替わった。以下、安倍前総理10%(先月12%)、菅首相5%(8%)、岸田前政調会長4%(3%)

7:こうした世論の動向に対して自民党はどうするか

 まず、菅首相の続投に対し世論は極めて否定的
 朝日調査で続けてほしい25▽続けてほしくない60
JNN調査で菅氏は石破元幹事長、河野行革相、小泉環境相、安倍前総理の次である。
では自民党は、菅首相を排し、世論が好意的な石破、河野、小泉に出来るか。
現在自民党を牛耳っているのは3A(安倍、麻生、甘利)+S(菅)とこれとは異なる方向の二階である。彼らにとって、石破、河野になることは権力を明け渡すこと。この選択は難しい。

オリンピック運営とコロナ禍対応の矛盾~報道特集2021.8.7~

2021-08-07 21:05:02 | 言論と政治
報道特集2021.8.7
「オリンピック運営とコロナ禍対応の矛盾」

❶政府は、「自宅療養」と打ち出した。だがすでに実施される自宅訪問自体がどのくらい病床看護と同様の困難さをはらむことか

❷女性マラソンの出発時刻が前日に急な変更。午前7時出発が6時に1時間オリンピック委ははやめた。競技に備えて万全の準備を蓄積してきた選手たちの落ち着かない気持ちを感じる。1時間くらい、と思ったのだろうが、選手にとりそれがどんな影響となったか。

❸弁当廃棄 13万食

報道では最初の400食のことだけ知らされていた。だが番組取材はずっと廃棄は続き13万食と衝撃的な実態が組織現役職員の勇気によってあきらかになった。

❹[一時金はだします]「給付金はだします」

国会で首相や担当者は何度も言い切った。現実はほとんど出さないで抗議があったときに出すくらいのもの。復興金も給付金も、行政の詐欺行為だ。

❺核兵器投下で、原爆によっていまにおよぶ原爆小頭症児の問題をうんだ。広島、長崎の悲劇が福島原発事故の被害とともに、忘れられない日本人全体の今後に続く問題だ。丸木夫妻や大江健三郎氏を批判する意見もあるが、「原爆の図」や「ヒロシマノート」は忘れられない歴史文化と考える。

❻無題詩

原爆によって強く被害をうけたかたが妹にあたる女性の勇気と見識、家族へのいたわりによって

ひとつの人間像を提起している


それは
新しい時代をつくりあげる人間らしさの人間と思う

激しい物理的暴力の時代に

その困難な課題を克服するひとびとが生まれてきた

【色平哲郎氏のご紹介】 国民を見捨てた菅首相…「自宅療養」への方針転換で、これから起こる「大変な事態」

2021-08-05 19:04:10 | 転載
【色平哲郎氏のご紹介】
国民を見捨てた菅首相…「自宅療養」への方針転換で、これから起こる「大変な事態」3/939f4e830bbc4aa2eb0176e0029c9f88.jpg" border="0">


 戦争文学の傑作、大岡昇平の『野火』の主人公は野戦病院に送られる。血だらけの傷兵が床にごろごろしている前で、彼は軍医に怒鳴りつけられる。肺病なんかで病院に来たことを理由に。それでも何とか入院するものの3日で追い出される
▼隊に戻ると、病人を抱える余裕はないと分隊長から言われる。「病院へ帰れ。入れてくんなかったら、幾日でも坐(すわ)り込むんだよ」。病を得ても入れない野戦病院。そんな場面がいま頭にちらついて仕方ない。政府が打ち出した「入院制限」のためだ
▼感染者が急増する地域では中等症の患者であっても、重症化のリスクが低いと判断されれば自宅での療養を基本とする。そんな方針が唐突に示された。感染の拡大に病院の収容能力が追いつかないからだという
▼東京都の局長が「不安をあおらないで」と発言したのは、つい先週だった。菅首相も重症者の数が抑えられているとして楽観ムードを振りまいていた。先のことを考えようとしない人たちばかりが対策を担っているのか
▼中等症という文字だけを見ると間違えてしまう。呼吸困難や肺炎を伴う場合が多いのだ。病状がさらに悪化したときに、迅速に入院ができるのか。それを差配する保健所は過大な負担に耐えられるのか
▼事態はここまで深刻なのに、政府が1回目の緊急事態宣言よりも緩い対策しか取っていないことも解せない。もはや自分で自分を守るしかないのか。指導層の方針が当てに
ならないのは、戦争のときと同じである。

(朝日新聞2021/8/5天声人語)


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国民を見捨てた菅首相…「自宅療養」への方針転換で、これから起こる「大変な事態」

「神奈川モデル」が示唆すること   山岡 淳一郎 ノンフィクション作家

2021年8月5日 現代ビジネス  https://bit.ly/3Cgf6J8


唐突な方針転換

新型コロナウイルスとたたかう砦=医療提供体制が、第五波の感染爆発で突き崩されようとしている。

8月2日、政府は、急激な感染者増による医療崩壊を懸念し、入院制限を打ち出した。コロナ感染患者への対応を入院主体から自宅療養へシフトする重大な方針転換が、準備らしい準備もないまま唐突に決められたのである。

これまで感染者で38℃以上の発熱や呼吸苦の症状などがある中等症患者はもとより、軽症でも65歳以上の高齢者や、妊娠中の女性、基礎疾患のある人たちの入院は原則的に認められていた。無症状または軽症の人は宿泊(ホテル)療養が可能だった。

ところが、8月2日の関係閣僚会議の後、菅義偉首相は、感染者の急増地域での入院は「重症患者や重症化リスクの特に高い方」に絞り込み、それ以外は「自宅での療養を基本」とする、と表明した。発熱や呼吸苦があろうが、重症化リスクが特に高くないと判断されたら自宅療養となる。宿泊療養も「家庭内感染の恐れなどの事情がある人」に限定された。

田村憲久厚生労働大臣は、同月3日の記者会見で「フェーズが変わり、在宅での対応を考えざるを得ない状況」「中等症以上の症状の人が入院できる病床を常に確保しておくことが重要だ。病床にすぐに入ってもらえる余力を持てるよう対応しないといけない」と述べた。

菅首相に協力を求められた日本医師会の中川俊男会長は「医師が判断して入院が必要だということになれば、もちろん入院でいいと確認しましたので、全国の皆さん、現場でいろいろ心配していると思いますが、大丈夫です」と応じる。


まるで「現状追認」の方便

と、まぁ政府中枢も、医師の代表も呑気なものだ。感染力が非常に高いデルタ株への置き換わりと、人流の抑制不足で感染爆発が起きている渦中で、しかもワクチン接種で病院、診療所が大童(おおわらわ)のときに自宅療養への支援は容易ではない。そもそも重症化リスクの基準は明示されておらず、自治体など現場の裁量に任される。不安と混乱を招きそうだ。

いま、首都圏は感染者の急増で入院調整が追いつかず、連日、大勢の患者が自宅療養を強いられている。政府の方針転換は現状を追認するための方便のようだ。

今年4月、第四波で大阪府が医療崩壊に陥り、自宅療養中の患者が次々と亡くなった。地元の診療所長に「なぜ、往診をしないのか」と聞くとこんな答えが返ってきた。

「一番の不安は、コロナの患者さんを診た経験がないことです。一応、診療のガイドラインはあって、軽症、中等症Ⅰ・Ⅱ、重症の分類基準はあるけど、それは机上論。軽症者が肺炎起こして、あっという間に中等症、重症に変わる。コロナの治療経験がある医師にレクチャーを受けて肌感覚で理解できないと手が出せません。

もしも往診した患者さんが悪化したら、どの病院がバックアップして受け入れてくれますか。診療所で重症患者は診られません。責任とれない。訴訟になったら潰れます。見通しも立たないのに不可能ですよ」

全国各地の医師会で、同じような懸念が浮上しているだろう。

一方で、現実に病床は逼迫し、自宅療養者は増え続けている。8月3日、東京都では入院・療養調整中の患者8417人を含む1万4019人が自宅療養を余儀なくされている。自宅に留め置かれた患者にどう医療を提供するかは重要なテーマだ。


「地域療養」モデルを作った神奈川

神奈川県のやり方

じつは、政府の方針転換を先取りするかのように「地域療養」のモデルを作っている自治体がある。神奈川県だ。自宅療養者のうち悪化リスクがある人、悪化が疑われる人を対象に、地域の訪問看護ステーションの看護師が毎日、電話で健康観察を行い、必要に応じて対面で症状を確認する。

その看護師からの相談を受けた医師は、オンライン診療や検査を行い、患者に入院が必要と判断したら入院調整へと移る。地域療養モデルは、藤沢市で先行実施し、鎌倉、横須賀、平塚、三浦、厚木……と各市へと拡がっている。


図「地域療養の神奈川モデル実施スキーム」

上記の図は神奈川県のサイトより引用


神奈川県では、この地域療養モデルに先立って、昨年12月、全感染者への「入院優先度判断スコア」を導入している。年齢や妊娠の有無、基礎疾患、CTの肺炎像、血中の酸素飽和度などの項目ごとにスコア(点数)をつける。スコア3以上が地域療養モデルの見守り対象となり、5以上が入院と判断される。これらのシステムづくりを主導した藤沢市民病院副院長で神奈川県医療危機対策統括官の阿南英明氏は、判断目安になる入院基準の必要性をこう語る。

「個々の現場に判断を委ねると、大混乱が起きます。普通の病気と違って、コロナでは最初に発熱外来で患者さんを診る医師、入院先で受け入れる医師、それぞれに看護師もいて、その間に保健所の保健師さん、医師資格のある保健所長も絡みます。多くの人が入れば、必ず、意見の相違が生じる。何でも現場判断というのは簡単ですが、一定の基準が必要なのです。同じ物差しで判断できるようにしなくてはいけません」


「責任を押し付けられる」不安

地域の医師が抱く、責任を押し付けられることへの不安、患者が悪化したときのバックアップ体制への懸念などを阿南氏にぶつけると、こう返ってきた。

「私たちが地域療養モデルをつくるときも、地元の医師会の方々とは、その話を集中的に行います。本音で交渉しなくては先がひらけません。開業医の方たちは事業主として診療所を運営しています。自宅療養患者さんの往診・訪問診療に9500円の診療報酬加算がついたところで、責任を押し付けられたくない。

ですから、地域療養モデルは行政の責任でやる。行政の枠組みで設定し、委託事業として医師会にお願いします。これは行政が責任を持ちますから、やってください、とそこまで説得するのです」

神奈川県でも、病床が逼迫している。8月3日現在、自宅療養者は7560人に膨らんでおり、従来の入院スコアに照らせば、間違いなく入院となる患者が病院に入れない。どうやって自宅療養を支えるのか。

「いままでの入院基準の適用が困難になっています、と情報提供をして、ご理解ください、と率直に伝えます。そのうえで、われわれは在宅酸素療法の酸素濃縮装置を数百台、メーカーから提供してもらう契約をいま結ぼうとしています。その酸素濃縮器を自宅療養で使っていただく体制をもうすぐ整える。本当は入院していただきたい。しかし、中等症でも入院できないとなれば、濃縮器で酸素投与をしていただく。実際にそこまで追い込まれたら、やるしかないでしょう」

菅首相はじめ、政権幹部からはワクチンを打った高齢者の重症化率の低さ、死亡者数の少なさが強調される。
だが、感染爆発が続いて入院の制限がされれば、軽症から中等症、重症へとエスカレートする患者は間違いなく増える。死亡者も増加するだろう。しかも、その多くが30~50代の働き盛り。生産年齢世代へのダメージは社会全体の損失となる。コロナとのたたかいは、明らかにフェーズが変わった。自宅療養への対応は急務である。

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【色平哲郎氏のご紹介】「身中の虫」==馬に賭けても人に賭けるな==

2021-08-03 22:52:35 | 転載
【色平哲郎氏のご紹介】「身中の虫」==馬に賭けても人に賭けるな==

今では成長率が鈍り、米国との対立もますます先鋭化しており、指導部は共同繁栄と国家安全というこれまでとは異なる目標を強調しつつある。

プロスペクト・アベニュー・キャピタルを創業した廖明氏(北京在勤)は、「これは中国の政策優先度における分水嶺的転換だ」と分析。「中国政府は最も強い社会的不満を生み出している産業を狙っている」と話す。

共産党の原点を踏まえれば、国内の発展計画と相反するなら指導部にはベンチャーキャピタルやプライベートエクイティー(PE、未公開株)、株式投資家の利益を踏みにじることに抵抗はない。現在の焦点は「三座大山(3つの大きな山)」と呼ばれ、過度に負担がかかっている教育と医療、不動産の支出に移っていると廖氏は指摘する。


https://bit.ly/3imR5s2
中国共産党が原点回帰、投資家の果実縮小か-党大会控え「共同繁栄」


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野口悠紀雄さん 経済学者 
 技術革新、日本は再び跳べるのか
朝日新聞2021/7/31夕刊「いま聞く」

 ■レガシーが強すぎ困難、人々の「不満」を変革の力に

 一昔前は技術で遅れていた中国が、世界の先端を行っています。「リープフロッグ(カエル跳び)」と呼ばれる一足飛びの発展です。日本に巻き返しの可能性はあるのでしょうか。この現象に注目してきた経済学者の野口悠紀雄さん(80)に聞きました。(福田直之)


 遅れていた者が先行者を一気に抜き去るリープフロッグ。カエルが高く跳躍するさまから、こう名付けられた。野口さんは、中国で近年起きた技術の発展の多くはリープフロッグで説明できる、と言う。

 ■「不便さ」が原動力

 「重要なのは中国が遅れていた点。そのため新しい技術を導入するにあたって社会的な制約がなく、積極的に採り入れられました。これがリープフロッグを起こす大事な要素です」

 典型例はIT分野だ。中国では高齢者の多くがスマートフォンを使いこなす。電子商取引やキャッシュレス決済も幅広く普及している。原動力は、それまでの「不便さ」だったという。

 「高齢者でもスマートフォンを使いこなせるのは、固定電話がほとんど普及していなかったから。便利なので登場すると、高齢者にも一気に普及しました。電子商取引は、小売業のネットワークが弱かったため、一気に広まりました。キャッシュレス決済も、中国ではビジネス上の信頼関係が不足していたため、ネット通販大手のアリババ集団が、代金と品物の受け渡しを確実にしようと取り組んだのが原点です」

 野口さんは、技術革新をビル建設にたとえる。「ビルを建てるには更地の方が簡単。既存のものがあれば、ビルは建てにくい。これが今の日本の姿です」

 ■コロナ禍でも不変

 低成長が続く日本では豊かさを感じることは減ったものの、不足を感じることも少ない。たとえば、古くから各地に小売店があり、電子商取引に頼らなくても、多くの人が便利に暮らせる。そんな日本はこの先、リープフロッグできるのだろうか。

 この問いをぶつけると、野口さんはまず、こう力説した。「日本が今の状態から抜け出すには、リープフロッグが必要だと私は思っています。日本がこれから逆転することを心から望んでいるのです」

 続いて出たのは厳しい言葉だった。「現実を見ると、日本はレガシー(遺産)の力があまりにも強く、社会の構造が古い技術に固定されてしまっています。これをどう改革していくかが重要ですが、決して簡単ではありません。非常に難しいと言わざるを得ない」

 技術革新が起きるかどうかは、社会的なニーズに加え、既存の仕組みの強さにも左右される。では、野口さんが悲観的なのは、どうしてなのか。

 「私は去年の今ごろ、新型コロナウイルスは日本がリープフロッグするきっかけになる可能性があると思っていました。日本政府がITをまったく使えないのを見て、社会の現状がどうしようもないと多くの人が気づき、災いを福に転じると期待したのです」

 コロナ禍は、日本社会のデジタル化の遅れをあぶり出した。在宅勤務が呼びかけられたのに、印鑑を押すだけのために出社せざるを得ない人がいた。

 「それから1年。全体として見れば、ほとんど何も変わっていないと言わざるを得ません。大変残念です。在宅勤務が当初要請されたように広がれば、働き方は変わらざるを得ず、成果主義への転換も進んだはず。生産性の向上に大いに役立ったと思います」

 ■デジタル化阻む壁

 経済協力開発機構(OECD)によると、日本の2019年の時間あたりの労働生産性は米ドルベースで調査対象の加盟37カ国のうち20位と低い。主要7カ国の中では、1970年以降最下位が続く。社会の変化を阻んできたものは何か。

 「在宅勤務について言えば、企業で仕事の評価方法が変わらないからです。成果によってではなく、職場に『いるか』どうかによって評価するといったことです。私は、この基準にこだわる人々を『イルカ族』と呼んでいるのですが、イルカ族が横行している限り、事態は変わりません。もう一つは、組織のリーダーがITに無理解であることです」

 こうした問題点は以前からたびたび指摘されてきた。菅政権はデジタル庁を近く設立し、デジタル化の旗振り役にしようとしている。ただ野口さんは、この動きにも懐疑的だ。

 「デジタル化を阻む原因が、『中央政府と地方公共団体の仕組みの不整合』『日本企業の閉鎖性』『組織リーダーの無理解』にある以上、デジタル庁をつくったところでデジタル化が進むことはないと思います。むしろ、デジタル庁が民間へ行政のデジタル化事務を委託する統一的な窓口になることによって、新しい利権構造がつくられていくことを危惧します」

 それでは、日本でリープフロッグを起こすには何が必要なのだろうか。野口さんは、人々の「不満」が変革の力となる可能性に一縷(いちる)の望みをかける。

 「社会の不満がこれだけ高まったにもかかわらず、何も変わらない日本の状況に絶望感を持っています。政治メカニズムが人々の不満を吸い上げる機能をまったく果たしていません。この状況を少しでも変えていくために、マスメディアと学者に託された役割は重要だと思っています」

     *

 のぐち・ゆきお 1940年、東京都生まれ。64年、大蔵省(現財務省)に入省。72年、米イエール大で経済学博士号を取得。一橋大教授、東京大教授などを歴任し、現在は一橋大名誉教授。専門は日本経済論。「『超』整理法」「リープフロッグ 逆転勝ちの経済学」「良いデジタル化、悪いデジタル化」など、幅広い分野の多くの著書で知られる。


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「CIP症候群」を警戒せよ

(CIP三徴候とは : Complacency, Ingratitude, Provincialism)


1994年に86歳で亡くなった秋元寿恵夫(あきもと・すえお)ドクターは、戦時中、「731部隊」に強制徴用されている。
そこで人体実験を見聞したことが、秋元ドクターの生き様に深刻な影響を及ぼした。のちに病態生理研究所を立ち上げ、臨床検査法を確立し、検査技師の教育・育成に心血を注がれた。原水爆禁止運動にも積極的に参加している。が、常に人体実験の過去が脳裏から離れなかったようだ。

秋元ドクターは、懺悔の気持ちをこめて『医の倫理を問う-第731部隊での体験から』(勁草書房)を著した。

その著書のなかで、ロックフェラー財団の医学部長グレッグ博士が46年3月にニューヨーク市のコロンビア大学医学部医学科の卒業式で行った講演を翻訳し、紹介している。

グレッグ博士は、優秀とされる医学校の卒業生が社会に出て活動する過程で「身中の虫」として常に心せねばならない要素として「うぬぼれ Complacency」「忘恩 Ingratitude」「地方人気質Provincialism」をあげ、これらを医師に限らずエリートなる人々が陥りやすい病いに見立てて「CIP症候群」と命名。
世の中に出てからも「CIP症候群」には用心しろと警鐘を鳴らしている。

具体的には「うぬぼれ」とは、その字義のとおり、優秀とされる学校を卒業した者が抱きがちな自己満足感。自信過剰になる一方で育ちのよさ特有の「けだるい無気力」にもつながると述べている。

「地方人気質」とは、狭くて自分の立場に凝り固まる傾向で、コロンビア大学などの場合では「医者としてのそれ、ニューヨーク子としてのそれ、及びアメリカ人としてのそれ、というふうに三重のものとなっている」と痛烈に批判している。

都会育ちであろうが、井の中の蛙は狭い地方人気質にとりつかれているのだ。

「忘恩」とは、深く物事を考えずに何でも鵜呑みにすることから生じるようだ。

グレッグ博士は、大学が医学生を教育する総コストに対して授業料は「七分の一以下」と概算し、医学生は大きな利益を享受していると指摘したうえで、次のように語っている。

「この並外れた利益を諸君にもたらしてくれた人々は、いまはすでに親しくことばを交わせる間柄からはほど遠い世代に属している。またこのような計算は、医師に託したそのあつい信義に対して、いつかは諸君が報いてくれるであろうと期待していた人々に、深く頭をたれて感謝の意を表するのもまた当然であることを思わせるに十分であろう。

いわば諸君は賭けられているのだ。それも六対一の勝負で。諸君は必ずや自分が受け取ったものを、のちに社会へ引き渡す立派な医師であることに、 多くの人々が賭けているのであるから、どうか諸君、下世話にいう『馬に賭けても人に賭けるな』の実例にならぬように十分に心掛けていただきたいのである」

エリート医師を養成するといわれる大学の卒業式で、馬より劣る人間になるな、と言っているわけで、そのシニカルで旺盛な批評精神には脱帽するばかりだ。
日本の国立大学医学部の卒業式で、これだけのスピーチができる「教授」がはたして何人いるだろうか。
米国の懐の深さを感じざるをえない。

さて、秋元ドクターは著書の「あとがき」をこう書き結んでいる。

「ひとりでも多くの若い諸君に、この新刊本(『医の倫理を問う』)と併せて『医療社会化の道標~25人の証言』(医学史研究会・川上武編 1969年 勁草書房)とを読まれるようおすすめしたい。
なぜなら、現在わたくしたちが置かれている社会のありようは、無念なことながら、またもやあの当時に逆戻りしてしまったので、二度とふたたびあのような無法な暴力は絶対に許すまいと、決意を新たにする上でも、 これらの書物で当時の状況を正確に知っておくことがどうしても必要になってくるからであり、それがまた本書のしめくくりとしてのわたくしの切なる願いともなっているのである」


この本が、世に出たのは1983年だった。
もう20年以上も前なのだが、日本の社会はさらに「逆戻り」の度を深め、抜き差しならない地点にきてしまった感を禁じえない。

(佐久総合病院 色平哲郎)


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東京五輪、国家の思惑 
  東京大学大学院情報学環教授・吉見俊哉さん

今回の東京五輪は安倍政治、ひいてはこの20年ほどのこの国のあり方そのものだと思う。ノスタルジーと嘘で塗り固められた開発への執着と現実の否認。
朝日新聞2021/8/3

画像)「東京という都市はブラックホールです。東京を立派にすればするほど、地方は貧しくなる」=瀬戸口
翼撮影

 五輪選手たちの健闘をよそに、新型コロナ感染拡大が日本の首都を脅かしている。もしコロナ禍に見舞われていなかったら、五輪は日本に益をもたらしたのか。今回の五輪を「敗戦処理」と表現する社会学者の吉見俊哉さんは、東京という都市の実相を研究し続けてきた。これからの東京はどこへ向かうべきなのかを尋ねた。

 ――開催前から、今回の東京五輪を批判していました。

 「多くの意味で、1964年の東京五輪の『神話』から抜け出せていないことが最大の問題です。根本的な価値観の転換もなく、前回の延長線上で、2020年東京五輪を迎えてしまいました。6月の党首討論で五輪の意義を問われた菅義偉首相が、女子バレーの『東洋の魔女』などを挙げて前回の東京五輪の思い出を長々と語ったことがその象徴です。一国の首相ですら、半世紀以上前の成功体験しか語ることがない。なぜ東京で再び五輪をするのか、誰も分からないまま突っ走ってしまった。開会前から、敗戦処理をしているようでした」

 ――当初は東日本大震災からの「復興五輪」とうたわれました。

 「13年に開催権を獲得する際に使われた『復興五輪』という言葉には深刻なうそが含まれていました。それは、震災の被災地は東北なのに、東京で開催するという点です。首都圏の1都3県は総人口3600万人を抱える世界最大の都市圏です。日本の資本の半分近く、情報や知的活動の大半が集中しているのに、さらに五輪のために資源を投下してインフラ整備を進めた。東北の復興という目的とは完全に矛盾していました。被災地の人々は『復興五輪』というスローガンはだしに使われただけ、と見抜いています。本当に東北の復興を目指すなら、東京への集中を逆に抑えるべきでした」

     ■     ■

 ――なぜ日本は東京で再び五輪をしようと考えたのでしょうか。

 「理由は三つあります。一つ目はノスタルジー。64年の五輪の成功イメージは、メディアなどで繰り返し語られてきました。普通は時間が経つにつれて露出量が減るものですが、90年代半ばから再び増え始めました。バブル崩壊後に経済が低迷し、年配者を中心に『未来を向いていた60年代』を懐かしく思い出したからです。前回の五輪がそのシンボルとして神話化され、誘致時の国民の支持につながりました」

 「二つ目は、東京都の悲願ともいえる臨海副都心の開発です。80年代から90年代にかけて鈴木俊一都知事は、湾岸地区の開発を目指し、世界都市博を計画します。青島幸男知事が中止を決めて計画は止まる一方、六本木や丸の内などは2000年代に再開発が進みました。取り残された湾岸という不良債権を何とかしようと、五輪誘致で一気に開発推進をもくろんだのが、石原慎太郎知事でした」

 ――残る三つ目は、国家の思惑でしょうか。

 「その通りです。日本では都市開発に巨額の国家予算を投入するため、いつも五輪が利用されてきました。五輪というイベントで国民の同意をとりつけ、特定の都市への集中投資を可能にする。64年の東京五輪が原型です。その後、72年に札幌冬季五輪、88年の夏季五輪ではソウルに敗れたものの、名古屋が手を挙げました。98年には長野冬季、そして2008年夏季には大阪が立候補しています」

 「振り返れば、日本という国は10年に1度、五輪をやろうとしてきた。これは偶然ではありません。国家として『システム化』されているということです」

 ――五輪が「システム化される」とは、どういう意味ですか。

 「カナダ生まれのジャーナリスト、ナオミ・クライン氏は、テロや災害など大きなショックのさなかに乱暴に政策が変更され、新自由主義的な施策が断行されることを『ショック・ドクトリン』と呼びました。同様の意味で、日本では『お祭りドクトリン』が行われてきたと私は考えています」

 「五輪に代表されるメガイベントを成功させるという名目で一気に物事を進める。日本では途上国のような開発独裁は成立しませんが、『お祭り』と結びつけることで可能になる。この仕組みがシステムとして繰り返されてきたのです。この方式は、ソウル五輪や北京五輪にも引き継がれており、いまや東アジア型五輪とも言える仕組みになっています」

     ■     ■

 ――64年の東京五輪では、「お祭りドクトリン」によって何が行われたのでしょうか。

 「東京をより速く、高く、強い都市にすることが前面に打ち出されました。川や運河にふたをして首都高速道路が造られ、路面電車のネットワークが廃止されました。当時、都民の多くは反対していましたが、住民の暮らしよりも経済発展が重視された。開発の結果、東京という都市は著しく効率的になった半面、無味無臭の街になってしまいました」

 「東京が、明治時代から続く『軍都』だったことも再開発には好都合でした。明治維新で薩長が江戸を占領し、中心部から離れた現在の港区、渋谷区のような西南部に軍事施設が集中しました。敗戦後は米軍に接収されて、代々木のワシントンハイツなど米軍施設になります。しかし、反米意識を抑えたい米国の意向で、こうした施設は徐々に返還され、国立代々木競技場などの五輪施設に生まれ変わりました。六本木や原宿は流行の先端を行く街となり、東京五輪神話へとつながっていきます」

 ――前回の五輪というお祭りが終わった後も、東京への一極集中は止まっていません。

 「明治以降の近代化は、地方から人や資源を東京に集めることで成し遂げられました。地方には江戸時代から多くの藩校が整備され、人的なポテンシャルが蓄積されていたのです。しかし、地方から収奪するこのやり方は、少産少子化でもはや限界を迎えています。にもかかわらず、日本は2020年の五輪で一極集中をさらに加速させようとした。これは自殺行為です」

 「今回の『敗戦』で日本ではもう誰も五輪をやりたいとは思わなくなるでしょう。政治家がいくら開催を唱えても、国民の支持は得られない。お祭りドクトリンの化けの皮はすでに剥がれています」

 ――東京を、国際的な情報・金融都市にして世界での競争に打ち勝とうという動きもあります。

 「うまくいかないでしょう。戦後の日本経済はタテ方向の『垂直統合』を得意とし、それで成長を成し遂げました。親会社から孫請けまでの連携を緻密(ちみつ)に組み立て、質の高い大量生産を実現する。この垂直統合の中心地が東京でした。しかし、90年代以降のグローバル資本主義では、ヨコ方向にネットワークを作り、状況に応じてかたちを変えていく『水平統合』が主流です。日本は、この変化に乗り遅れています」

 「では、東京が水平統合の中心となるべきかといえば、違います。むしろ東京以外の拠点都市を多核分散的に作っていく方がいい。グローバル都市に数千万の人口は必要なく、福岡や仙台ほどの規模があれば十分です。垂直統合の頂上である東京を強くするだけではふもとがやせ細り、地方の可能性を潰します。いま日本全体を見ると、東京がむしろ最大のリスクなのではないかと思います」

     ■     ■

 ――今回の五輪はコロナ禍に見舞われ、目算が崩れました。

 「パンデミック(感染大流行)は、大都市ほどリスクが高まります。100万人あたりの感染者数でみると首都圏が異様に多い。他方、オンライン化により東京都心のオフィス空き家率が上昇している。本社機能の地方移転が始まり、人口も郊外に逆流する動きが起きています。こうした一極集中と逆の動きは、過去30年にはなかった。将来的にどんな東京があり得るのかを考えるうえで、とても重要なことが起きています」

 「今回の五輪は『半世紀前の栄光よ再び』ではなく、あの時に失ったものの復興を目指すべきでした。これからは未来の方向を逆にしていくことが、東京の可能性を開くのではないでしょうか」

 ――未来の方向を逆にする、のですか?

 「猛スピードで回転を上げて、拡大していくのではなく、都市の生活の速度を遅らせるのです。より愉(たの)しく、しなやかに、末永く循環する都市を目指す。巨大再開発は必要ありません。東京は、意外に古いものが残っている。この多様性が強みです。前回の五輪以降の再開発で西南部には超高層ビルが林立していますが、東北部はそれほど変化していません。首都高速をとっぱらい、水辺を呼び戻し、路面電車を復活させれば、各地区が独自の魅力を放ち始めるでしょう」

 ――東京以外の都市はどうすればよいのでしょうか。

 「多様性を生かす循環都市は、日本全国の都市で適用可能なモデルです。スピードや効率で競うのではない。ひとつひとつの都市の核は小さいが、宝石のような輝きがある。その宝石が数珠つなぎになる日本にこそ、未来があると考えています」(聞き手・真鍋弘樹)

     *

 よしみしゅんや 1957年東京都生まれ。主な専攻は社会学、都市論、メディア論。東京大学副学長など
を歴任。著書に「五輪と戦後」「東京裏返し」など。


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少年院・茨城農芸学院の日々:1 
 送致に「ホッ」、もとは被害者
        編集委員・大久保真紀
朝日新聞2021/8/2夕刊「現場へ!」

 「むしろホッとした。このままではダメだとわかっていたから」

 茨城県牛久市にある少年院「茨城農芸学院」の面会室。私と向かい合って座る少年(19)が、家庭裁判所の少年審判で少年院送致と言われたときの心境を語った。

     *

 少年は17歳のころから、家出を繰り返した。寒さに震えながら公園で寝泊まりし、食べるものを手に入れるために万引きをした。ショッピングモールでおにぎりや飲み物を盗んだり、すし屋で無銭飲食をしたりして2度逮捕された。

 幼いときに父母が離婚、精神疾患を患う母に引き取られた。母に暴力を振るわれ大けがをして保護され、小学1年から児童養護施設に入った。

 そこも安心できる場所ではなかった。年上からいじめられ、殴られた。殴り返すようになった。

 中学3年のとき、先輩の顔を数発殴り、児童自立支援施設へ移された。2年ほど生活して、大工をしていた祖父に引き取られた。が、まもなくして祖父はけがをして働けなくなり、年金生活に。「お前がいると金がかかる」「大変だ」と繰り返し言われた。

 通っていた通信制高校の先生に相談すると、祖父に「家のことを外で言うな」と怒られた。だれにも相談できなくなった。18歳で少年院に入った。

     *

 少年の話を聞きながら、私は思った。もっと早くだれかが手を差し伸べていたら、彼が非行をすることも少年院に入ることもなかったのではないか、と。少年たちは加害者となって、いまは少年院に送致されているが、もともとは「被害者」なのだと感じた。

 私が少年院の取材をしようと考えたのは、少年による非行も凶悪事件も減っているのに厳罰化を求める声が世の中で大きくなっているからだ。どんな少年が少年院に入り、どんな矯正教育が行われているのかを知りたいと思った。

 茨城農芸学院には、発達の課題や知的な制約があるなど他人とのコミュニケーションに課題を抱える男子が収容されている。

 最近の在院者数は70人前後で、基本的には三つの寮に分かれて集団生活をする。午前6時45分の起床から午後9時15分の就寝まで、食事、農園芸作業、勉強、体育、入浴など日課はすべて時間で区切られ、基本的に私語は禁止だ。

 作文を書き、本を読み、教官と面接する。自分の生い立ちや家族への思いなどを整理し、自分の犯罪行為を見つめる。毎日日記も書く。指先まで伸ばして整列し、大きな声で返事をする。何をするにも申告しなければならず、勝手に動くことはできない。

 規律、規則に縛られた生活だが、この少年は「寝るところと食べるものがあるだけで幸せだと感じる」と言った。

 少年院が刑務所と違うのは、番号ではなく、教官も院生も名前で呼び合い、人間的な関わりの中で教育が行われていることだ。

 少年も教官が自分の話を真剣に聞いて助言してくれることが心に響いたという。「ひとりで抱え込まず相談していいんだと思えた」

 ある教官は言う。「信頼関係がなければ少年たちには何を言っても無駄。彼らは聞く耳を持てない。『信用できる大人』という思いが生まれると変わってくる」(編集委員・大久保真紀)


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日本育ちのミャンマー人映像作家「解放を」 仲間ら動く
朝日新聞2021/7/26

 クーデターで国軍が権力を握ったミャンマーで、6歳から日本に暮らし、日本の永住資格を持つミャンマー人の映像作家の男性が政治犯として拘束されている。日本の友人らは男性が手がけた映画の上映会を手始めに、解放のために何ができるかを模索し始めた。

 最大都市ヤンゴンのインセイン刑務所に拘束されているのは、モンティンダン=本名・テインダン=さん(37)。友人で自らも国軍に4月から約1カ月拘束されたジャーナリストの北角裕樹さんらによると、4月に逮捕され、北角さんに映像を売って得た2千ドルでクーデターに反対するデモを支援したとして起訴された。北角さんによると、映像や金銭のやりとりはなかったという。

 父の仕事で6歳で来日し、茨城県の小学校に入学。映画が好きで、中学生の時に子役養成学校に通い始め、俳優を目指した。高校卒業後、日本映画学校(現・日本映画大学、川崎市)で演出などを学び、映画の助監督などをしていた。

 友人らには「ダン」と呼ばれる。ずっと日本で暮らしてきたが、2018年に公開された日ミャンマー合作映画の製作に関わったことをきっかけに、日本と行き来しながら母国でも映像や映画に関する仕事を始め、ヤンゴンに会社を設立。昨年には短編映画を完成させ、ミャンマーの映画祭などで賞を得ていた。

 そんな矢先に今年2月、クーデターが起きた。1カ月ほど前からヤンゴンに滞在していたダンさんは市民らのデモの様子を撮影。デモに参加していた若者らとも親しかったことから国軍の取り締まりの対象になったとみられている。

 ヤンゴンでは4月17日に日本人外交官らが住むコンドミニアムに軍人や警察が踏み込み、外交官宅に押し入る事案があったが、事情を知る住民らによると、この時に国軍側が捜していたのがダンさんだった。ダンさんはこの日に市内のホテルで逮捕されたという。

 翌日に逮捕された北角さんは5月に刑務所内でダンさんに再会した。ダンさんは元気だったが、軍の施設で拷問を受け、虚偽の供述調書にサインさせられたと話していた。「頑張ろうな」と励ましあったが、「自分はミャンマー国籍なので日本大使館は助けてくれないのではないか」とも語ったという。

 ダンさんの裁判は継続中で、最高で禁錮3年が科される可能性がある。現地の人権団体によると、24日時点で5360人が政治犯として拘束されたままだ。

 日本外務省はダンさんについて、「認識はしており、この方も含めた拘束者の解放を(国軍に)働きかけている」としている。

解放へ仲間が動く

 日本映画大学で24日、ダンさんが06年に卒業制作として監督・脚本を担当した映画「エイン」の上映会が開かれ、大学関係者や在学生、ダンさんの同期生ら約70人が参加した。

 エインは「家」を意味するミャンマー語。家族でミャンマーから来日したものの、学校でいじめられ、日本社会になじめない少年が、弟とともに家出して海に向かう途中で様々な大人に出会い成長する物語だ。

 上映後にあったシンポジウムで、作品の指導をした天願大介学長はダンさんが「自分のことを書きたい」と言って脚本を仕上げたと明かした。ダンさんについて「同世代の日本人と同じ感性がある」とし、「忘れてはいないし、心配しているということを本人に伝えたい」と述べた。

 北角さんも登壇し、「一刻も早い釈放を求めたい。まずはダンさんのことを多くの人に知ってもらうことから始めたい」と話した。ダンさんは日本国籍ではないものの、日本政府にも支援を働きかけたいとの考えを示した。

 上映会に参加した同期生の稲垣壮洋さん(42)は「(ダンさんは)日本とミャンマーの架け橋になりたいと話していた。参加できなかった他の同期にも今日のことを伝える」と語った。自分たちに何ができるか考えるつもりだ。

 ダンさんについては、日本映画監督協会(崔洋一理事長)が21日、即時解放を求める声明を出した。(五十嵐誠)


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【孫崎享のつぶやき】 随想58 三島由紀夫著『豊饒の海』、特に『奔馬』

2021-08-02 15:35:14 | 転載
【孫崎享のつぶやき】
随想58 三島由紀夫著『豊饒の海』、特に『奔馬』
2021-08-02 06:423



私は今、『豊饒の海』を読み返している。契機は三島由紀夫のアイヴァン・モリスへの手紙である。
 彼はモリスへの手紙で「これはあなたへの小生の最後の手紙です」と書き、あわせて、「小生はそれ(『豊饒の海』)に、小生が感じたすべてを表現しました。小生は、自分の文武両道を実現するため行動するまさにその日、小説を書き終えました」と記載している。
 三島は1970年11月25日陸上自衛隊の益田東部方面総監を監禁し割腹した。この日、『豊饒の海』の第四部『天人五衰』を編集者に渡す手配をして出かけている。三島が「小説を書き終えました」と述べているので、モリス宛手紙は死の直前に書かれたものである。彼が、「小生はそれ(『豊饒の海』)に、小生が感じたすべてを表現しました」と述べている以上、三島の自決を理解するには、『豊饒の海』を読まなければならない、特に第二巻第二巻・『奔馬』は主人公が治安攪乱のため、変電所を襲い、更に財界首脳の暗殺を企てている物語であり、自衛隊での割腹自殺までの動きに近い。
 彼はこの本で、1876年10月24日熊本で起こった「神風連の乱」を行動の中心に据えている。「神風連の乱」は廃刀令に反対する運動であるが、「刀剣を帯びることこそ、神ながらの“先王の法”に叶う」とした。戦うに刀に固執し、結局敗れる。しかし三島は戦い破れて自刃する姿に美を見出す。「まづ、吉田十郎が、秋の朝風にさらして、原一文字に切り、田代の介錯で身首の所を異にした」と、自衛隊での動きと同じである。
 三島が「自害」する姿に美を見出していたのは間違いない。
 ただここへくる過程で、『奔馬』の主人公は軍との連携を図っている。
 主人公飯沼勲(國學院大學予科学生。剣道3段。昭和の神風連たらんと行動をおこす。。満20歳の年を目前に切腹する)は堀中尉との共謀を計るが、中尉は計画が具体化してくると、「「中止しろ。いいか。俺は計画の粗漏なこと、参加人員の小なすぎること、時期尚早なこと、当初から若干疑問に感じていたことがますます動かしがたいものに。お前らの志は立派だが、それに感じて俺も力を貸してきたが今のまま決行することは絶対に不利だ」といい、「いいか、中止しろ。いいか。どんなノオトの切れ端にでも、俺と滋賀の名を残してはいかんぞ。中止のすすめを振り切ってやる気があるなら、猶更のことだ。早速俺達の名を抹殺しろ」という。これを契機に同志内では「「軍の協力は絶対条件だよ。日本刀と日本精神だけでやるというのは暴挙じゃないかな。精神主義過多はね、警戒すべき傾向だと思ふんだよ」、、明る日には最初の三人につづく脱落者はなかった。その次の日は二派が激しく争って少数派の四人がやめた。又次の日には二人がやめた」と記す。
 三島にとって、自衛隊で割腹自殺は当初の目的ではなかったろう。自衛隊を巻き込み大掛かりな行動を企ていたのでないか。当初は調子よく三島に合わせていたが、途中で自衛隊員が実を引いたのでないか。そして同志も脱落した。こうしたことは三島が予見したことではあったが、最後に死に場所を求め、それを自衛隊東部方面総監室としたのであろう。
「どんなノオトの切れ端にでも、名を残してはいかんぞ」の言葉を守って。

【色平哲郎氏のご紹介】As long as this problem still persists, I willkeep on thinking about it.

2021-08-02 15:24:30 | 転載
ウティナン君の事例から考える外国人定着の問題

日経メディカル 2018/05/31 色平 哲郎(佐久総合病院)

 2国間のEPA(経済連携協定)に基づく外国人看護師、介護士の受け入れが始まって10年が経った。2017年度までにインドネシア、フィリピン、そしてベトナムから看護師1203人、介護士3492人を受け入れている。

 しかし、日本の国家試験合格者の数はガクンと下がる。看護師の場合、2018年には441人が受験し、合格したのは78人(合格率17.7%)。外国人を受け入れて、4~5年間、医療、介護の現場で働いてもらうものの、本人が国家試験に合格できず、帰国するというパターンが多くなっている。

 この政策が導入された背景には、かつて比較的緩やかに運用していた興行ビザの問題があるとされる。20年近く前までは、興行ビザで入国した外国人が入国管理局に申請した仕事とは異なる職に就き、不法滞在化するケースが後を絶たなかった。そこで法務省は、興行ビザの運用を厳格化して受け入れ数を減らす一方で、EPAによる別枠を設けたといわれる。

 20年の年月が経過し、以前のずさんな入管政策の問題は忘れられつつあるように見える。だが昨年末、それを思い起こさせる出来事があった。甲府市で暮らすウォン・ウティナン君の「在留特別許可」の取得を巡る報道だ。

 ウティナン君は、2000年にタイ人の母と父の間に生まれた。両親は離別し、不法滞在のまま働く母と、長野県内の友人宅などを転々としながら暮らした。小学校には通わせてもらえず、テレビや漫画、街の看板を見ながら日本語を覚える。2011年に母子は甲府市に移り、母は支援団体にウティナン君の学習支援を相談。猛勉強が始まり、2013年に甲府市内の中学校(2年次)に編入した。

 ウティナン君を支援する社会福祉法人「ぶどうの里」の山崎俊二理事長は、母親に「日本の学校に行かせるのはいいけれど、入管に出頭し、彼の国籍をちゃんと取ること」と伝えたという。ところが、2014年に母子が入管に出頭し、在留資格の審理を申請すると「強制退去」の処分を下された。山崎さんたちは「彼を日本に居させるのは私たち周りの大人の責任」と支援活動に力を入れる。

 ウティナン君は、クラスメイトの前で「僕は在留資格がなくて退去強制命令が出た。だけど裁判に訴えてでも残りたい」と告白。日本しか知らず、日本で暮らし続けたいとの思いを訴えた。先生や同級生は、ウティナン君の境遇に涙し、支援を誓う。母子は東京地裁に処分の撤回を求めて提訴した。

 しかし、結果は敗訴。ウティナン君は山梨の県立高校に進み、控訴するが、母は控訴を断念しタイに帰った。母子は引き裂かれ、控訴審でも敗れる。

 一方でウティナン君を応援する署名は地域だけで1万5000筆集まり、カンパも200万円を超えた。2017年に最高裁への上告を取り下げ、入管に在留資格の再審査を請求。そして昨年末、1年間の「在留特別許可」が下りたのだった。

 ウティナン君の事例は、ずさんな入管政策の影響が、日本で暮らす子どもの世代にも及んでいることを示している。「正規」のルートであるEPAの受け入れでも今後、看護師や介護福祉士の国家資格を取得し、就労する外国人本人やその次の世代が社会と共生していけるかが課題になるだろう。現状でも、EPAで受け入れ、国家資格を取得した人たちの3割以上は、帰国したり離職しているという。言葉の壁や子育てなどの問題に直面し、国内の職場から離職するケースが少なくないようだ
(2016年9月18日朝日新聞による)。

 こうした課題は、外国人を受け入れる他の分野でも指摘されている。外国人とどう向き合っていくのか、医療・介護業界に限らず社会全体に問い掛けられている。


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OVER STORY The Nikkei Weekly Week Ending January 25, 1992

AIDS problem spreading to nation's remote rural areas

Local authorities blame prostitution in underworld-run bars

BY MICHAEL SHARI Special to The Nikkei Weekly


http://irohira.web.fc2.com/b78article92.htm


Until 10 months ago, Wanna was selling fresh vegetables
in northeastern Thailand.
Then she sold herself into what a Thai middleman told her
was a good deal.

Today, she and other "hostesses" serve peanuts and beer and
snuggle up to customers in "snack bars" in the quaint Japanese
resort town of Komoro.

"If I catch AIDS, I'll give it to as many men as I can,"
she says with a sarcastic laugh.
・・・


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Holding out a helping hand

"FOCUS"

the Nation 1993 May 8th Saturday

Irohira Tetsuro, a Japanese doctor who set up a special clinic to treat
Thai prostitues and labourers in Japan, recently visited Bangkok.
Pravit Rojanaphruk and Chatkaew Theankaew spoke with him
about the reasons behind his visit.

:::Irohira Teturo (left) thinking hard for a way out of expoitation.:::

'Only later did I learn that it was Yakuza gangsters (Japanese mafia)
who beat her until she was crippled.
If no doctor had taken this case seriously,
the public would never learn what really occurred'


Dressed in a white T-shirt, khaki trousers and sneakers,
with a fanny pack around his waist,
33-year old Irohira Tetsuro could pass as just another Japanese tourist
seeking sunshine and smiles in Thailand.

The relaxed-looking medical doctor from the prestigious Kyoto University,
his wife Kazumi and his 2-year-old son Taku may have preferred
spending more time on the beach sipping coconut juice,
but the family's five-day visit included some important business.

The business was so important that Tetsuro could hardly wait for the chance
to speak be it to academics, representatives of MPs sitting on the Labour
and Social Welfare Committee, Thailand Cultural Committee officials or any
other Thais who share his concern about a problem he has been considering
for years:
"How can we manage to care for Thai girls in Japan with HIV?
Or insane Thai prostitues?
Medically we can, but what then after they are discharged?"
the short-haired Tetsuro asked in broken English,
his voice full of determination.
"Can they continue working as a prostitute?
As a doctor I can not say 'yes' to them.
So we may have to try to send them back to Thailand

I don't mean that we don't need them, so go back to Thailand.
I don't mean that kind of thing, but we cannot take care of them
all after they are discharged.
They may be broke, insane or have cotracted HIV.
How can we solve this problem?

"This is the main purpose I came here for, " the emotional Tetsuro summarized.

Unlike most doctors in Japan who earn fat paychecks and lead comfortable
lives, Tetsuro spends part of his time working at a medical clinic set up
especially to treat foreign prostitutes, labourers and elderly Japanese
farmers at Saku General Hospital situated in a rural farming and
resort city in Nagano Prefecture.
He talks proudly of the non-profit medical services provided by the clinic
in this small city of 44,000- which he asked not be identified so it doesn't
gain notoriety and create a backlash by residents against foreigners-
located more than 200 kilometres northwest of Tokyo in a valley surrounded
by hills and mountains.

"Kyoto University Hospital is reserach-oriented.
Other private hospitals are profit-oriented, but Saku General Hospital is
neither for profit nor research- it's for rural Japanese farmers
and exploited foreigners," Tetsuro said.

In the city where the clinic is located, about 700 Thai girls make
their living by selling their bodies in numerous "snack bars",
a colloquial term referring to houses of prostitution in Japan,
Tetsuro said.
Another hundred Thai men are working there as labourers alongside
Koreans, Iranians, Chinese, Bangladeshis and Africans, he said.

Since October 1991, when Tetsuro established the clinic, he has
cared for more than 100 foreign patients- about 20 of them Thai
prostitutes, the doctor said.
One Thai girl he treated was only 15, he said.

He has a hard time convincing prostitutes who are HIV carriers
to come in for treatment because they fear deportation, he added.

"I tried whatever I could to reach out to owners of snack bars.
But the fact that Thai prostitutes are working and living in a small
city causes a lot of difficult situations for local residents,"
he explained.

After a drastic increase in the number of Thais working- most of
them illegally- in Japan in 1989 and 1990, the Japanese began
to realize that they were living among "strange neighbours", Tetsuro said.

"One day the Japanese woke up and realized that many people
around their neighbourhoods were Thais," he said.
"The langage was strange to them, and the lifestyle was different.
The foreigners' nightlife caused rumours and gossip to circulate
among husbands and youngsters.
It's typical in the Japanese countryside."

Of the handful of Thai prostitutes and labourers the doctor has treated,
some were infected Aids and others were suffering from the potentially
fatal tuberculosis, a disease that many Japanese doctors no longer
know how to treat because it's extinct in Japan, Tetsuro said.

The doctor did encounter one unusual but disturbing case in January.
On a cold winter day, the strong-willed doctor received a phone call
from Yamanashi Prefecture, 180 kilometres from Tokyo, and was told
that a Thai woman was suffering severe back pains and couldn't walk
because the lower part of her body was paralyzed.
The doctor who called Tetsuro said that because she had Aids she
couldn't go in for an operation and asked if Saku Central Hospital
could look after her.

"At the end I had to send back to her back in a wheelchair to Thailand,"
Tetsuro said.
"Only later did I learn that it was Yakuza gangsters (Japanese mafia)
who beat her until she was crippled.
If no doctor had taken this case seriously, the public would never
learn what really occurred."

Udom Sapito, the consul general at the Thai embassy in Tokyo,
described the situation in the city where Tetsuro works as "incredible"
in a January interview he gave to Saiyai, a journal of the Thai
Students' Association in Japan.

"There are about 40 sex-trade agents in that city (where Tetsuro has
his clinic)," Udom told Saiyai.
"About 20 Thai restaurants, supermarkets and snack bars are operated
by Thais.
The chance for female victims to run away is very little- it's incredible."

Work for these women starts at eight in the evening and goes on
until four in the morning, the diplomat said in the interview.
The girls are lured with promises of good financial prospects and
end up selling their bodies to repay the debt incurred for fake passports
and travel expenses from Thailand- an amount that is arbitrarily decided
by their pimps or the snack bar owners, he said.

About 40 per cent of these girls spend from seven months to one year
repaying their debts, Udom said.
For 75 per cent of them, the amount they pay averages about 3.5 million
to 4 million yen (roughly Bt700,000 to Bt800,000), he said.

Those who refuse to obey their mama san's command to sleep with clients
are first warned, then fined increasing amounts ranging from 100,000 yen
(Bt230,000) to 1 million yen(Bt230,000), Udom said.
Eventually, if they continue to infringe on the rules imposed upon them,
they are beaten, forced to take amphetamines or have their hair totally
shaved, he said.

"This brutality, can lead to another thing.
We all know that there are several cases of mama sans being killed,"
said the consul general, who himself physically rescued one girl only
after she had gone insane because of a forced overdose of amphetamines.

Last year 2,605 Thais- 2,192 of the women- who were living illegally
in Japan were sent back home, and each day about 15 to 50 women involved
in the sex industry come to seek help or refuge at the embassy in Tokyo,
Udom said.
In 1991, 47 Thais- 27 men and 20 women- were reported dead from various
causes including accident, suicide, murder, illness and overwork, he said.

Of the 70,000 Thais working among the 123 million Japanese in Japan,
about 50,000 of them are believed to be living in Japan illegally,
Udom said.

But Assoc Prof Surichai Wun'Gaeo, director of Chulalongkorn University's
Centre for Social Development Studies, said the number of Thais in Japan
could be as high as 100,000.

With more and more Thais flocking to Japan, Udom- who calls the sex trade
an international slave trade- said he's concerned about the image of Thai
women among the Japanese.
"I have many female friends who are government officials,
medical doctors and nurses.
They say they are very ashamed of being Thai because Japanese look at
all Thai women as if they are hookers," he lamented.

Tetsuro decided to become a doctor after an experience he had
about 10 years ago.
One winter day while he was strolling around Tokyo's Sanya district,
he was surprised to see young Japanese volunteers from a local Catholic
church offering food and blankets to poor labourers.
Seeing such an act of selflessness was an emotionally uplifting
experience for him, he said.

"At the beginning, I didn't want to be a doctor because a doctor's
society and class are very high and different from other people,"
he recalled.
"But finally, I decided that I wanted to be a doctor for labourers
and prostitutes."

He was admitted to Kyoto University in 1983, and it was during his years
of medical study that he also had the opportunity to travel abroad.
Among the countries he visited were the USSR, South Korea, Thailand,
China and the Philippines, and in the course of his travels he came
to realize that many kinds of social problems existed not just in
less affluent societies but in Japan as well, Tetsuro said.

Tetsuro graduated from medical school in 1990 and started work at Saku
General Hospital that same year.
He set up his clinic at the hospital in 1991 and worked there full time
until this past March when he transferred to Kyoto University Hospital
to further his medical studies.
His colleagues are now looking after the clinic for him,
and when an urgent situation arises they call him.

"I had a chance to solve many foreigners' plights as well as medically
treat them." he said.
"But all of it isn't solving problems at the root-
I can just alleviate them.
Thinking about it over and over again,
I wonder what is the root cause of all this?
What can we do about it?

"Foreigners who come to work in a place they don't really wish to suffer
a great deal.
Partly it's because they can't find peace and prosperity in their homeland.
They can't find stable jobs with a stable income back home.
That's why they chose to try their luck in Japan.
And there may be other reasons as well."

Udom believes the problems occur because young Thais crave
more and more money.
"Let me stress," he said,
"that the Thai mentality overtly stresses materialism."

The consul general, who's had to put up with threats from underground
Yakuza gangsters, pointed out in the Saiyai interview that not all Thai
women who come to Japan are dirt poor or uneducated.

"Some are daughters of government officials with university degrees
but came here because they can only earn a little working in Thailand,"
he said.
"The more they sell their bodies, the quicker they make money.
They came here because they can't live a life without luxuries."

Tetsuro, however, believes the problems are just one part of the exploitative
structure between northern (developed) and southern (undeveloped) countries.

"This is an exploitative interrelationship," he said.
"The relation between Tokyo and the countryside is similar to that
of Tokyo and Bangkok.
And Bangkok to the countryside is the same.
Valuable youngsters go the the northern countries or big cities
so they can get more money and goods.

"I want to tell Thai people that perhaps in five to 10 years, when the Thai
economy grows further, you have to form support groups for Burmese,
Laotians, Cambodian or Chinese working illegally in Thailand.
Ayutthaya was twice ruined by the Burmese, but you should help
and Burmese will be thankful to you.
You will overcome ethnic and racial barriers."

Tetsuro came to Thailand with the hope that his visit would alert Thais
to the problem in Japan and convince them of the need to do something.
He was still speaking as he prepared to leave for the airport.

"I wonder how we can solve all these problems?
As long as this problem still persists, I will keep on thinking about it."

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【永岡浩一さんからの通信】 2021年08月02日 午前 9:44

2021-08-02 15:10:54 | 転載
文化放送ラジオ くにまるジャパン極(2021/8/2) 大谷昭宏 コロナ感染拡大、菅総理はバンザイ状態、専門家の意見を聞いて国民に説得力のある言葉を自分で出せ、飲食店叩きで対処できるものではない、失敗なら菅総理は責任を取るべき、アメリカで五輪どっちらけから商業主義インケツ五輪の破綻を語る


 永岡です、文化放送ラジオの、くにまるジャパン極、月曜日のコメンテイターはジャーナリストの大谷昭宏さんでした。野村邦丸さんの司会、松井佐祐里さんがパートナーでした。大谷さんやはり大阪からリモート出演でした。



 なお、五輪のテレビジャックは常軌を逸していて、一昨日はTBSの報道特集休止、昨日はまともなサンデーモーニングも大半五輪、テレビでやっている内容の9割は五輪、コロナが大変で本来ニュース特番をすべきものをせず、五輪に狂乱する世論が高まるのはテレビがこれほど五輪にジャックされていたら当然、テレビ見ていて怖いとすら思われました。日本政府が、日本の夏の猛暑を詐称など、実質後進国の日本の化けの皮はどんどんはがれて、この五輪はこの国の終わりの始まりだと感じました。

 また、一昨日の吉田照美さんのラジオ・親父パッションやデモクラシータイムスで、五輪のために東京の選手以外のPCR検査数は激減してこの始末、つまり実際はもっとえげつないことではないかと指摘もありました。ラジオやネット番組は貴重ですが、地上波テレビが破滅的、怖いです。



 深読みジャパン、コロナ感染爆発とインケツ五輪が予想通り大谷さんのテーマ、国内で昨日1万人以上感染、4日連続+先週の倍、緊急事態の出たところがエグイ、東京は4日連続3000人以上、首都圏、各地がえらいことになり、緊急事態拡大+延長、各地にマンボウ、邦丸さん、1年前はマスクなしで行けると思っていたが、デルタの猛威、大谷さん、デルタの感染力はえげつなく、一人で8人に感染させる、その倍々ゲーム、あっという間にもっと増加。大阪も4度目の緊急事態。東京にはテレビリモート、大谷さん名古屋もリモート、そして大阪に東京のコメンテイターはリモート、メディアも大変、本当の緊急事態。邦丸さん、菅氏は高齢者がワクチンで何とかなるというが、河野氏、3度目の接種がいると言い出して、コロナは変異が止まらず、デルタを抑えてもまたとんでもないものが出ると説かれて、治療薬もどうかと問われて、大谷さん、高齢者の死亡率は減っているが、40~50代の社会の中枢が重症化、家族を養う世代であり、働き盛りが感染力の強いデルタだと、なまじの対策では無理。産経では帰省・旅行を法的に止めろというものの、庶民はお手上げ、状況から抜本的見直し+片方五輪、東京は休日で3000なら今週は5000もあり得る。イギリスはワクチン7割打ってあれほどの感染、日本も1日2万の感染もあり得て、毎度お馴染み緊急事態の飲食店叩きでは国民は納得しない。

 邦丸さん、法的に私権制限は問題で、時限立法の特措法はどうかと説かれて、しかし法的な拘束、外出したら罰則などあるのか、なら補償は必須と説かれて、大谷さん、難しいが、場合によっては時限立法は必要、その場合補償はなく、災害で被災者に補償しなかったツケ、家が破壊されて出ず、しかし緊急事態、病床の逼迫などの項目で自治体も工夫して、国はここまで追い詰められたら、夜の外出を禁止などしてほしい、それでないと私権制限になると国民に私権制限されないよう協力して欲しい、ワクチンも打って欲しいと国民に国はちゃんと言うべき。国は国民に説得力のあることを言うべき、だと若者はお酒を飲まないようになると説かれました。

 邦丸さん、症状は、中等でも酸素吸入が要り、医療関係者は大変、それをメディアは報じるべきと説かれて、大谷さん、海外在住の日本の医師は、日本の基準は問題と語り、中等でも後遺症がありそこで止めないとならず、感染を徹底的に防ぐように国民にメッセージを出すべき。若者に後遺症だと大変、味覚破綻など、軽症、重症の割れ方は問題。邦丸さん、尾身氏が菅総理にちゃんとメッセージを出せと発したと説かれて、大谷さん、菅氏の記者会見は具体策なし、国民がどうすべきかわからず、どう行動していいか、菅氏は役人の言葉しか言わず国民は聞かない。ワクチンは迷信があるが嘘で、しかしロシア、中国はそれでチップとかデマが無数に流れて、あるいはワクチンで流産はもちろん嘘、それを菅氏は肉声で伝えるべき。家族の中で話し合える言葉を出せ。田村大臣任せではなく、菅総理、人間としてこれを聞いてほしいというべきと説かれました。



 インケツ五輪、アメリカで視聴率取れずNBCがスポンサーと補償でもめて、無観客と、日本との時差が原因、大谷さん、日刊スポーツで世界の10億人が見たが、NBCのNBCによるものだと批判、リオより視聴率は4割減少でスポンサーと内ゲバ、大谷さん、毎日でNBSがIOCの7割の予算をあてがうもの、しかし国民は一時五輪に7割反対、なんでこんな猛暑の中で五輪か、アメリカの4大スポーツのはざまでNBCのエゴ、64年のような秋は無理、猛暑でも夏しかなく、そしてNBCの都合で試合時間変更で、NBC自滅、日本としていい加減にしろ、NBS、IOCの言いなりになりこのざまは、IOCの考えを変えるべき。次のパリ、ロスはこんなアホなことをさせてはならない。

 邦丸さん、読売に森氏のインタビューがあり、2020の延期、森氏は2年というと安倍氏は1年、総理の間にしたいものだと森氏明言、森氏は五輪のあり方を考え直すべきというもの、大谷さん、来年の夏には何とかなると楽観論があったが破綻+アメリカの選手の活躍はそれほどなく、柔道はフランスが勝ち、アメリカのたくましさは今回出ず、イタリアは健闘、アメリカに絶対的なスターなし、邦丸さん、NBCも前途多難と説かれました。



 2018年の女性暴行事件、大谷さん、たまに求刑より判決は厳しくなるものがあり、実刑だと、過去のものと関係はなく、過去の事件との関連でこういう例があると説かれて、刑法上で有期刑の限界を超えることも、刑法のことであり得るものだと説かれて、被疑者は性的暴行+とんでもない暴力、こういう場合は司法が厳罰を出すのは妥当だと説かれて、邦丸さん、性犯罪の繰り返しは病的なのに更生のものもいると締めくくられました、以上、大谷さんのお話でした。