狂電関人の写真庫

狂電関人本人のこれまでの写真のストックを思うまま徒然に表現。お立ち寄りの際には一言コメントをいただけると幸いです。

和楽備神社 酉の市

2011年12月17日 22時09分24秒 | 鉄道以外

今日は、近所の神社で酉の市が立ちました。
暦でやるので、週末に当たるのは何年かに1度しか来ないのです。
辺りが暗くなるのを待って、カメラを持っていざ出陣!



今年は震災をはじめいろいろと有りましたので、来年は良い年にと熊手が次々に売れていきます。



それではお手を拝借~っ、シャシャシャン、シャシャシャン、シャシャシャン、シャン。



またこちらでも、シャシャシャン、シャシャシャン、シャシャシャン、シャン。
新年はもうすぐそこまで来ています。

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急行きたぐにの想い出

2011年12月17日 14時49分20秒 | 徒然鉄ネタ

日本海に続いて、急行きたぐにと名門2列車の定期運転が終焉を迎えます。
記憶を辿ると、ゴーマルサン(昭和50年3月)改正の年の夏大阪駅で急行きたぐにと出会ったのが最初。
40年代にはすでにハザを12系化した新旧客車混編成でした。この列車名を心に深く刻んだのは、
昭和47年の北陸トンネル内でのオシ17からの出火による列車火災事故。翌年には12系化されたようです。



北陸本線回りだった頃の急行きたぐにがEF58149号機に牽かれて大阪終着。
ちょうどカーブで12系が隠れてオール旧客編成に見えます。



夏の多客期で、スロが2両。需要があったんですね!!
そして、歳月が流れ高校入学の年の夏電関人は501レの車上の人となっていました。



直江津過ぎたあたりで、すっかり朝になるけれどまだまだ先は長いきたぐにの旅。
交流区間で窓からカメラを出してED75の対向貨物を激写!
何回かチャレンジした中でこの一枚が成功しました。
今やこの線区にED75は無く、思い出深い1枚です。(羽越線?内)



さらに時代は下り学生時代にクラブの先輩たちと北東北の私鉄巡りをした際の1枚。
記憶が正しければ、この日は弘南鉄道大鰐線の撮影をしていて石川の辺りで俯瞰できる場所を
探していた際に、ちょうど奥羽本線を502レ急行きたぐにが大阪へ向けて通過して行きました。
(罐の次位にオユ10が繋がっているので502レと断定)
そして一昨年の夏、電車になった急行きたぐにを名撮影地でカメラに収めました。



信越本線の名勝地青海川~鯨波を通過する501M急行きたぐに。
確か501レ・502レという列車番号は元は日本海が使っていた列車番号です。
日本海からきたぐにへと引き継がれた名門列車501レ・502レは来春その長い歴史に終止符を打ちます。

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