ノートリミングでもう一度。
1978年。新東京国際空港(成田)が開港し、チャリティー24時間テレビが放送開始され
大阪ではニュートラ、東京ではハマトラがトレンドファッションで、
使い捨てカイロやパンパースがもてはやされ、インベーダーゲームブーム旋風が巻き起こり赤いきつね・緑のたぬきがヒット。
そして、キャンディーズが「普通の女の子に戻りたい」と解散して、
会社でラインを外れた中年おじさんたちが窓際族と命名されて、
「不毛地帯」や「不確実性の時代」がベストセラーになった年の夏。
夏の旅始まりの駅は冒険心や好奇心と不安感が入り混じるクロスポイント。
17歳の電関人も初めて大東京近郊への撮影の旅に出た。
もちろん特急なんて贅沢は無しで、周遊券で204レにて大阪地区へ途中下車の旅経由。
1978年8月5日 博多駅 6レ入線