このシリーズ2度目の掲載かと。
ちょうど暖冬期に当たっていた70年後半の山陰地方は氷雨が多く撮影予定を大幅に変更されること頻りであった。
そんな時には、乗り鉄で周遊区間を行ったり来たり。
車窓越しに機関区の写真なんか撮っていたその1枚。
走行中の列車からで外も暗くややブレているけど、米子にはまだまだ2ケタのDD51が結構多くこの日の米子区には44号機や24号機が屯っていた。
そしてDE10(?)越しにはDF50の屋根も見えたり、DE15のラッセルヘッドがいたりはたまたキハ180などターンテーブルの回りは賑やか。
住人こそ蒸機からディーゼルに変わったが写真左には巨大な給炭設備が現役然と鎮座しコンクリート製ホッパービンに大がかりなクレーンが、
つい数年前までこのラウンドハウスをくろがねの機が埋め尽くしていたことを物語る。
1978年1月2日 山陰本線 米子機関区 DD5144号機、24号機他
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無煙化前の最後の年ですかね?!
あこがれてあこがれてどうしても行きたかった下関口の
さよならD51は、中学1年坊主でどうしても真夜中の急行列車乗車に親の許可が下りず・・・。
その反動でこんな年まで鉄やってしまうことに(笑)
唯一昼間通り過ぎた時はやはり車窓から眼を凝らしましたが、蒸機末期でしたので、DD51が幅を利かせていました。
蒸機はC57156とD51145のたった2輌のみで、写真を撮る間もなく通り過ぎてしまいました。
今から丁度40年まえの思い出です。
雨の日の乗り鉄に窓ガラスをフィルターにした撮影したり、
車内を撮ったり、そして車窓の景色を撮ったりと。
その何気ない一枚が、数十年の熟成を経て懐かしいj風景に
なりました。
シャッター押してなんぼと今更に痛感。