電関人の故郷である福岡の地下鉄開業年である1983年はすなわち筑肥線の姪浜~博多間廃止なのであるが、
この区間で鉄をしたのは唯の1回のみで、惜しいことをした。
考えてみるに、都市圏に残った非電化区間で客レも1日1往復する希少な路線だったといえる。
起点博多から2駅しか離れていない筑前高宮の朝の通勤ラッシュ風景。
すぐ脇を西鉄大牟田線がオーバークロスしており、ちょうど2000形特急が通過する。
乗換駅には西鉄平尾駅があり博多方面への通勤者も多く賑わっていた。
そんな市街地にありながらも、古色蒼然とした筑前高宮駅は都会の異次元空間を創出していた。
1978年12月(?) 国鉄筑肥線 筑前高宮駅 DE1072号機 2530レ
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単線非電化、タブレット閉塞、
背景の西鉄に比べると、なんとも近代化が遅れていたことか…。
それだけに客レを捉えたこの写真、
国鉄時代を象徴する1シーンだと思います。
ここも地下鉄となり、遅ればせながら都市輸送路線の一翼として飛躍したのでしょうね。
当時に仕事仲間が平尾駅前のマンションに住んでおり、何度か酒呑みに行っておりました。
その際にベランダから見下ろす広大な駐車場を眺めていましたのに、そこが筑前高宮の駅跡と気がつくには少々時間を要したものでした。なにせ、地下鉄開業の後でしたし。
その先に続く緩い曲線の道は、美野島在住の仲間宅への通り道だったと云うのに、もっと早くきがつけよ!!と反省したものです。
最後まで残った、旧客列車がこの線の白眉でした。
その存在は、ずっと分かっていたのにろくな写真が無く、
こういうのって後からボディーブローのようにそのダメージが
効いてきます・・・。
お久しぶりです。
そうだったんですか!?
この辺りは、電関人上京後の80年代から急速に開発が進み、
帰る度に風景が変わっていたエリアです。今となっては
筑肥線の跡をトレースすることはほとんど困難になっている
かもしれませんね。
昭和40年初頭、鼻たれ小僧だった電関人もご多聞にもれず、
西鉄の200や300のロングシートに窓側向いて座り、福岡の行き帰りに
この筑前高宮の風景を眺めていました。
側線の入れ替えや、時には9600(?)が走っていて興奮したものです。