いつも秋か冬に出かけていた蒲原鉄道。
米どころを走る当線の沿線にはハザ木を良く見かけたが、豊穣の頃盛大に稲が干された光景を目にしたのは一度きり。
しかも、その穀倉地帯の春水田に水が張られて田植えされ青々と成長する時期には訪れておらず。
雪景色にばかり気を取られて、ある意味この鉄道の一番いい時期を撮らずに終わってしまったようだ。
雪止みの昼下がり、ハザ木越しに乾いたジョイント音を残し単行電車が走り去る。
1982年2月 蒲原鉄道 高松~土倉
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いつも秋か冬に出かけていた蒲原鉄道。
米どころを走る当線の沿線にはハザ木を良く見かけたが、豊穣の頃盛大に稲が干された光景を目にしたのは一度きり。
しかも、その穀倉地帯の春水田に水が張られて田植えされ青々と成長する時期には訪れておらず。
雪景色にばかり気を取られて、ある意味この鉄道の一番いい時期を撮らずに終わってしまったようだ。
雪止みの昼下がり、ハザ木越しに乾いたジョイント音を残し単行電車が走り去る。
1982年2月 蒲原鉄道 高松~土倉
一度も撮りに行った事が有りませんが、懐かしさを感じる風景です。
最近ははざ木もあまり見かけなくなり、寂しい限りです。
稲が植わっているころ~刈入れの季節を狙い損じたのが
心残りです。
当時は、雪の走行ばかり狙うものですから夏はバイトで
母校特有の秋休みOR冬休みをメインに活動していました。
それは蒲原の象徴でもありました。
今、ハザ木はほとんど消えてしまっています。蒲原がまたひとつ遠くなったように感じます。
刈り取り~脱穀を一度にやっちゃう農機具が普及し、
ハザ掛けや藁ボッチなどをどんどん見れなくなってしまって、
なんとも昭和がずっと昔になったなぁっとつい寂しくなります。