昨日は家事で疲れて夜寝てしまいアップが一日遅れ。
七夕なのに朝から雨。
そんな日の早朝に辿り旅再開の記事編集。
今回の旅で一番隔世の感を味わったのが電鉄出雲市駅だった。
かつては、お世辞にも国鉄連絡駅として立派とは言えないむしろ付け足し的な駅だった。
それが今の駅は、JRの駅が高架になるので同時に改良されたのであろうけど一階が改札と待合室などで
二階に1面2線の構造を持つ駅になっていた。
ちょっと分かりづらいかもだが、かつての電鉄出雲市駅は…
今も昔も、いったん国鉄(JR)の改札を出てからの連絡構造である。
家具屋の看板の下、屋根がついたホームがかつての電鉄出雲市である。
デハニが停まっていれば分かりやすいのだが残念ながらそのカットが無い。
時は1975年12月で、春の改正でかもめから転身した82系のおきが写っていてその横には山陰号用のオハネが留置されている。
たぶん夕方になると昼運用についているハザ編成とドッキングして山陰号の編成を仕立てるのであろう。
そしてJR出雲市駅の今昔も。
再掲だが、上の75年のアングルと似ているので・・・。
その昔の出雲市は駅脇に機関区や車両留置線が幾線も広がる駅であった。
大きな煉瓦庫と給水塔が、つい数年前までの蒸機時代を忍ばせてくれていたのだった。
構内の人気者「ヒ」を付けて12系ハザ、臨時だいせんの入れ替え中。
さらに出雲市構内の雰囲気は跨線橋が一ヶ所かかっており二面三線だったと記憶。
下りホームに当駅までの急行だいせんが停車中。
このあとそのままの編成で各停大社行となって大社線に。
山陰本線の主要駅はその大半が橋上駅となってしまい、かつての風情を残す駅は少ない。
2014年5月15日撮影、1975年12月撮影(DCおきのカット)、1976年8月3日(そのほかモノクロ) 出雲市駅
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その1本北側の線路にはやはりだいせん編成の寝台車が止まっていて、これも撮った覚えがありますが、編成の向こう側は見えていません。
電鉄の出雲市駅はこんな風になっていたのかと、今になって知りました。(;^ー^A
残念ながら機関区や機関庫の写真は無く、記憶にも残っていません。
1974年2月の思い出です。
電関人が見たときは、だいせん用のロネ、ハネ他は煉瓦庫の横の洗浄線に居ましたね。
それも写真があるので、またの機会にアップいたします。
20系になってから、だいせん崩れの各停大社行きに乗車しました。。。
連絡駅のホームに到着すると、社線の車両がちらと窓越しに見えて、ああ来たなあと思ったものです。
国鉄の立派なホームをいかにも間借りしたような風情がローカル私鉄の分というものだったのですが、
何やら立派に存在を主張しちゃってますね。
サンライズを降りて、JR改札を潜り一旦外へ出て
バタデンの独立したビルがあるのに驚き、ややセットバックした感がある
そのビルに入ってやや興ざめでしたが、なんだかこれはこれで
バタデン、がんばってるなぁと思えました。
どうして現役時代、このアングルで撮らなかったのか、
悔やまれます。
電関人さんのカメラ・アイに脱帽です。
カッコイイ~♪