電関人が学生だった頃には全国のあちらこちらの近郊非電化路線で活躍したキハ35系族。
つい先日、久留里線でその現役をすべて終えた(一部常総鉄道に同形式が居ますが)形式である。
切妻で外吊ドアが異色を放ち、国鉄時代の合理化の塊のような存在でローカル線の風景にはなじまない車両だった。
その中で、川越線には900番代のステンレスボディが居て高校時代に撮った銀色で前面に朱色の帯が付いたものは
露出不足で写真にならず、次に大学時代に出会ったときには朱色の近郊色一色に塗られていた。
1981年11月(?) 川越線 南古谷~指扇 キハ35900番代ほか
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今は電化され,風よけのフェンスが出来てしまいました。
川越線のキハ30,休鉄中でしたが1980年頃に何故か二三度撮影しています。
銀色のは撮ったかどうか...
非電化時代は夾雑物が全くなくって、スッキリした景観でした。
私も地元に居ながら、1,2度しか訪れておらず。
キハ35-900代も懐かしいです。
205系が引退しようとしていて、首都圏の車両、
回転が早いですね。
気が付くと、結構あちこちで写っていてちょっと小特集を考えました。
当時ははずれモノでしたが、今見ると武骨さがかえって新鮮に見えてしまいます。
坂東太郎の利根川同様その広い河川敷故、長い橋が魅力だった、ここ川越線や武蔵野線橋梁は学生時代から、
復活鉄後の恰好の撮影地でしたが、防風フェンスが取り付けられて、
撮影不可になったのがとても残念です。
失礼、ついキハ35見ると食パンを連想し。。。
ステンレス車は八高でタラコ色で撮ったのみです。まだ貨物があった頃でした。
そう皆が読んでいたのをよく覚えています。
食パンのようにはおいしい存在ではありませんでしたが、
時代の寵児だったと思います。