辛うじて現役を続ける583系。
編成は随分と短くなって6両編成のオールモノ。
これはもう電関人にとって憧れの「世界初の寝台特急電車」ではないのです。
交直流型車両がメーカーから落成の際には、必ず南福岡電車区に一旦は送り込まれていた時代。
物心ついたばかりの電関人少年の心を鷲掴みにした581系デビュー。
特急電車といえば、レッド&クリームのツートンが常識の時代にロイヤルブルー&クリームのツートンは物凄く新鮮でした。
だからこそ、電関人の中では581(583)系は12両でサロ、サシ入りでなければならないのです。
100歩譲って、定期列車急行きたぐにの廃止と共に同形式は電関人の中では終焉を迎えたのでした。
写真は、後方がカーブで巻かれて編成が全部写っていませんが電関人が撮った数少ない寝台特急金星の走行写真です。
博多以南で撮れる寝台特急は、なはぐらいであとは金星、明星、月光ともに博多止まりでほとんど走行写真がありません。
1977年撮影 鹿児島本線 香椎~箱崎 21M 金星
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盛アオ583系は13連のサロ・サシ入り。
これぞ「正しい寝台特急電車」の姿。
やはり、モノクラスというのが寂しいですね。
せめてロザが残っていればと。
山崎では、なは・彗星・明星がメインで、後に雷鳥。
金星は時間的に不可能でした。。。
福岡時代、大阪や東京は一晩かけて出かけるところでした。
今でこそスローライフなどと決めつけられていますが、
本来の人間のリズムはこんなものなんではないのでしょうか!?
それを唯々思惑だけで新幹線を延長させて(新幹線だけではありませんが)
長い距離を速く移動させたり、一晩中コンビニで物が変えたりという
リズム感覚が人間の本来のリズムを狂わせて
結果、様々な障害を生んでいるような気がします。
もうこれ以上新幹線は要らないと個人的には
思っています。
コンビニで物が変えたり(誤)⇒
コンビニで物が買えたり(正)でした。
失礼しました。
良く撮ったのは「はくつる」でしたが、食堂車込みの13輌編成は見応えがありました。
今のサンライズのように、たとえば、長崎・西鹿児島編成併結や博多・大分行きなど、
もっと使い道はあったのでは・・・と思います。
少なくとも近郊電車に流用して欲しくはありませんでした。
そういう意味では、受難の形式でしたね。
私も、九州の親戚に行くのに「月光」に乗ったり、北海道に最後のSLを撮りに行くのに「はつかり」などに乗って、その昔はさんざんお世話になりました。
確かに唯一、原色を保っている秋田の1編成、6両、モノクラスだと、最盛期を知るひとりとしては、もの足りないかもしれません。
波動用で寝台使用しない583系はもはや583ではないですね。
とはいうものの、いざ走るとつい撮ってしまうのも
このカラーリングが唯一の存在なのからでしょうね!