電関人は写真を撮る対象物としての鉄道から入っているので、
一つの鉄道が気にいると何度も同じところに通うような撮り方をしていて、あまり多くの場所に行っていない。
地方私鉄も数えるぐらいしか行ってなく、その中で良く出掛けたのが蒲原鉄道。
蒲原鉄道には、自社発注車のほかに西武鉄道(旧武蔵野鉄道)からの譲渡車など車両のスタイルも変化に富み
沿線の景観と相まって魅力的な鉄道だった。
そんな蒲原鉄道だが、1両とても気になる車両がいてそれが蒲原鉄道での形式はモハ91。
同線では単独での使用はされておらず専らガソリンカー改造のクハ10とモハ81と3両で使用され最後までワンマン改造を受けずに残り、
加茂~村松区間廃止の際に廃車となった。
その来歴は、1975年12月山形交通三山線廃止に伴い同線に譲渡された元山交のモハ106。
如何にも車体更新を受けたバス窓が特徴の車体は山形交通時代の1956年に日車によって鋼体改造がなされたもの。
さらに遡るとこのクルマは、名古屋鉄道モ450(各務原鉄道KB1)が最初で奇しくも直接蒲原鉄道にわたってきた
モ21と同じ車で大正生まれの木造車だったということだ。
13mに満たない車体と不釣り合いの武骨な足回りを持つこのモハ91という車両が父親の故郷の山形からきたということと
その複雑な経歴をもち、3両使いゆえ晩年は団体臨時列車等にしか使われず稀にしか走らなかった気になる1両だった。
1982年2月 蒲原鉄道 大蒲原にて
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大蒲原にモハ91とは珍しい。
来歴云々以前に村松以西に来ない車両はとんと馴染みが薄かったのですが、
なかなか味のある顔ですな。スキー臨か何かでしょうか?
冬鳥越へのスキー臨ではなかったかと・・・。
この編成、真ん中はガソリンカーそしてモハ81は京急から
越後交通経由のやはり変わり種でした。
結局、加茂の止まりだけで、走りは撮れなかったです。
かなり複雑な経歴の持ち主だったようですね。
山形交通三山線はその存在すら知りませんでした。
結婚してから高速が開通するまでは、毎年のように六十里越街道を走っていましたが、その前に既に廃止されていたんですね。
おっしゃる通り、運用に入っても変則的な運用で、
終点駅や途中の電留線に置かれている姿を見かけたものです。
そうなんですね。この顔つきが好きでした。
私も鉄道雑誌で当時の三山線の廃止の記事を読みました。
現役時代を見たかったです。