現在は列車密度の緩和から大宰府信号所になっている辺り。
70年代は広大な田園が広がりその農作業用に小さな4種の踏切がいくつも鹿児島本線の動脈を横切っていた。
ちょうど朝の下り優等列車のラッシュ時間で、急行由布が朝日を浴びて下って行く。
乗車扉に取り付けられたタブレット防護柵が懐かしい。
1978年3月 鹿児島本線 水城~二日市 キハ58系急行由布
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現在は列車密度の緩和から大宰府信号所になっている辺り。
70年代は広大な田園が広がりその農作業用に小さな4種の踏切がいくつも鹿児島本線の動脈を横切っていた。
ちょうど朝の下り優等列車のラッシュ時間で、急行由布が朝日を浴びて下って行く。
乗車扉に取り付けられたタブレット防護柵が懐かしい。
1978年3月 鹿児島本線 水城~二日市 キハ58系急行由布
タブレットキャッチャーが付いていたのかどうか分かりませんが、それもしくは人間の手で受け取ったタブレットが、勢い余って窓硝子を破損するのを防止するために付けられたものなのでしょうね。
幼少の頃、踏切の×印の下には「RAIL ROAD CROSSING」の文字があり、初めて覚えた英語と親から言われました。(笑)
70年代後半、取り付け車両をあっという間に見なくなってしまいましたが、ディーゼル急行は非電化の亜幹線に入っていくので、
腕木式の信号がまだまだ残っていたのと比例してタブレットキャッチャーも
殆どの車両に装備されていましたね。
中にはちょうどタブレットが当たる部分を補強版を貼ったものや、
キハ65では、折り戸の片方の窓を潰した車も居ました。
そういった車両の装備を眺めるだけでも当時は楽しかったですね。
鉄格子のような乗降扉越しに夏雲湧く姨捨の風景が思い出されました。
そして、幹線筋の4種踏切、
昨今は保安上の理由から廃止されるか警報機と遮断桿が設置されるなど、とんと見られなくなりました。
おおらかな時代を象徴する一枚ですね。
あの頃は、このようなちょっとしたアイテムにも敏感に
反応しましたよね!?
写真庫の写真を、今は別な角度から見返したりしています。