一段と強くなる氷雨の中、宵闇迫る駅に列車がやってくる。
只見線の駅の中でも、1本片側ホームの佇まいは昭和のそれそのもので好感が持てる魚沼田中。
カラカラカラ、シューッ、シューッ。
きっちりと停止位置に据え付けられた列車から傘もささずに足早に女学生が家路を急ぐ。
数人の降車客を降ろすと、ガラガラガラガラガラー、エンジン音を残し雨の向こうの鉄紺の宵闇に吸い込まれていった。
2426D 魚沼田中駅
雪深い魚沼の貴重な冬の葉物、うるい。
ユリ科の植物で、水芭蕉の新芽にも似ているが癖も無くビタミンを多く含む。
もともとは山菜であるが、今では栽培もしているようだ。
※うぇる米魚沼HPより転載
遠征の宿を越後須原の民宿「浦新」さんにもとめ、
夕餉の食卓に上ったうるいは、豚しゃぶでさっと湯がいてポン酢でいただいた。
遠征先の宿での楽しみは色々あるが、電関人の場合はこの新しい食材との出会いである。
その地方の人々の暮らしの工夫をダイレクトに知ることができて話も弾む。
2017年 1月 越後須原にて
今回只見線小出口遠征に向けて、出発直前まで天気予報との睨めっこが続いた。
高めの気温による雨マーク。
現地に入ってからもPADで雨雲レーダーデータをこまめにチェック。
今の気象衛星になってからの天気詳細予報の的中率は非常に高く、15時から18時にかけて大きな雨雲エリアに覆われそうだ。
入広瀬から広い空を求めて平野部に移動したが、残念ながらその寸暇の晴れ間も鉛色の雲に埋め尽くされ、
強い風と共に雨粒が混じりだす。同時に露出もどんどん落ちて行き、であるならば逆手に対処を考える。
アンダー目の露出を取り後追いでテールランプを物憂げに・・・。
2425D 魚沼田中~越後広瀬
謎かけのような表現が続いているが、
ファーストショットを撮った陸橋から国道に出る手前で渋い雑貨屋を見つけた。
広瀬の事は、この広瀬屋に任せろと言わんばかりに扱い品目が手広い。
その店構えが頼もしい。
2017年1月 越後広瀬
越後広瀬からロケハンしつつ入広瀬へと広瀬から広瀬へ。
学生時代から地理小僧だった電関人は地名に関する興味が高い。
まず、入広瀬。「入」の字はひょっとしたら入植の意味が強いのではと推測する。
旧入広瀬村となった地名を見てみると新田が付くものが多く、さらに田小屋など。
要は耕すつまり開墾するのに向いていた場所なのだろうと。
破間川水系と、周囲の山に降り積もった雪が伏流水となって湧き出す水源が豊富でこの谷に入植して
入広瀬の集落を形成していったのだろう。
只見線もこの入広瀬を出ると、駅は無くなったが柿の木集落を経て大白川。
柿の木はほとんど米作に適した土地は無く故に林業を主業としてきたようだ。
水を潤沢に蓄える谷間を縫うように、岩盤を避けてまわり込む鉄道。
その線路を見渡せる道のポイント近くに湧水源がある。
とても柔らかな軟水である。
米にしろ、日本酒にしろ水は重要な資源。
米どころ、酒どころはまた良い水源を持つ水どころでもある。
2424D発車後の入広瀬駅構内で、MCR600型が除雪作業を始める。
小柄ながら除雪線路両側の雪壁を切り崩す段切りプラウも有する優れものらしい。
2424D撮影直前までは時々あった日差しも無くなり、空は重たげな鉛色の雲に覆われてきた。
16時を過ぎてやってくる次の列車は何処で撮ろうか・・・。
2017年 1月 2424D 上条~入広瀬/MCR600 入広瀬駅