二人の孫、一人は男の子。舞台稽古に舞台載せるとか。ビデオ見せるとかして歌舞伎に慣れさせている。2011年人間国宝に。鬼平犯科帳が今も続いている。兄は松本幸四郎。祖父の初代中村吉右衛門に養子になった。兄貴の方が才能があって先に活躍した。自分は才能がないと思った。それでフランスに行きたいと思った。四女が尾上菊之助と結婚して孫ができた。
こんなすてきな音楽があるのかと。 映画「死刑台のエレベータ」のテーマ曲。不倫の話の映画。中学一年の時はストーリーにも惹かれた。初舞台は4歳。実母は初代中村吉右衛門の娘。結婚する時に父親に二人男の子を産みます。次男は中村吉右衛門の養子にします。あなたは播磨屋の跡継ぎだと、実母と養母に言われた。周りから若旦那とおだてられ、甘やかされて育った。10歳で拠り所を失くした。養父が亡くなって、周りからは態度が変わり、若旦那がバカ旦那と言われた。中村吉右衛門の名は一代で終わりと言われた。
実父は初代中村吉右衛門から学んだ。実父と兄と僕は松竹から東宝に移った。兄は大スターに。私は当たり役がなく、葛藤だった。兄松本幸四郎と比較された。フランスに行ってフランス文学を学ぼうか、できなければジゴロになろうかと。実は彼女の後を追うかと思った。そこでフランスに行ってフランス文学を勉強したいと。実父に相談したら、ぷいと後ろを向かれた。実父は中村吉右衛門の芸を伝えたいと背中が伝えていた。それを感じて歌舞伎を続けることにした。
41歳の時に、「鬼平犯科帳」の役が回って来た。それまでは実父がやっていた。まだ若すぎると思って断った。池波先生は諦めずに45歳の時にまた話をしてくださった。「鬼平」で広く知られるようになった。
四女が尾上菊之助と結婚。付き合っていたことを知らなかった。二人を合わせたのは自分だった。尾上菊之助に逢う時に娘が付いてきた。突然結婚の挨拶をされた。これでよいのかと何度も言ってしまった。そのことは覚えていないが、後で娘にひどいと言われた。両方の親が人間国宝。そういうのは子どもにとっては負担では?歌舞伎の世界ではそういうもので、父親について行こうと思った。婿との共演を始めてした。お互い気遣う気持ちがあった。
歌舞伎は同じ役を演じ続ける。熊谷直実の役 源頼朝に忠義を尽くすために自らのこどもを殺し、そして出家しそれを嘆く。25歳と今とは全然違う。型を演じるだけでも難しい。やるだけでも大変。型だけでなく「心」を演じたい。型が自然に出てくるようになって、お客様に心を伝えたいと。今思うに熊谷直実の気持ちは。直属の上司の下で働くこととやることは今でも同じ。
演じることは好き。女房から「あなたは演じるのが好きね」と言われる。今は後輩を育てるのに忙しい。
歌舞伎とは歴史に今を盛り込んで行くこと。梨園の若者に思うことは、今は自分と言うものを先にだす。おかしいから注意するが、それが彼の良さでそれをつぶすことになるかもしれないとも思う。
秀山公演会 吉右衛門の跡継ぎが今はいない。娘は母と同じ気持ち(男の子を二人産んで一人を中村吉右衛門の養子に)でいるけれど。僕は結構でございますと言っている。養子で育てる大変さはわかっている。
ナプキンコールの「アンフォゲッタブル」。ジャズピアニスト。聴いてほっとする。重責を忘れさせてくれる曲。僕はベースをやっていた。
ものすごく苦労されたけど、歌舞伎をやって来られたのは?天職だと思っている。ジゴロも味わってみたかった。
こんなすてきな音楽があるのかと。 映画「死刑台のエレベータ」のテーマ曲。不倫の話の映画。中学一年の時はストーリーにも惹かれた。初舞台は4歳。実母は初代中村吉右衛門の娘。結婚する時に父親に二人男の子を産みます。次男は中村吉右衛門の養子にします。あなたは播磨屋の跡継ぎだと、実母と養母に言われた。周りから若旦那とおだてられ、甘やかされて育った。10歳で拠り所を失くした。養父が亡くなって、周りからは態度が変わり、若旦那がバカ旦那と言われた。中村吉右衛門の名は一代で終わりと言われた。
実父は初代中村吉右衛門から学んだ。実父と兄と僕は松竹から東宝に移った。兄は大スターに。私は当たり役がなく、葛藤だった。兄松本幸四郎と比較された。フランスに行ってフランス文学を学ぼうか、できなければジゴロになろうかと。実は彼女の後を追うかと思った。そこでフランスに行ってフランス文学を勉強したいと。実父に相談したら、ぷいと後ろを向かれた。実父は中村吉右衛門の芸を伝えたいと背中が伝えていた。それを感じて歌舞伎を続けることにした。
41歳の時に、「鬼平犯科帳」の役が回って来た。それまでは実父がやっていた。まだ若すぎると思って断った。池波先生は諦めずに45歳の時にまた話をしてくださった。「鬼平」で広く知られるようになった。
四女が尾上菊之助と結婚。付き合っていたことを知らなかった。二人を合わせたのは自分だった。尾上菊之助に逢う時に娘が付いてきた。突然結婚の挨拶をされた。これでよいのかと何度も言ってしまった。そのことは覚えていないが、後で娘にひどいと言われた。両方の親が人間国宝。そういうのは子どもにとっては負担では?歌舞伎の世界ではそういうもので、父親について行こうと思った。婿との共演を始めてした。お互い気遣う気持ちがあった。
歌舞伎は同じ役を演じ続ける。熊谷直実の役 源頼朝に忠義を尽くすために自らのこどもを殺し、そして出家しそれを嘆く。25歳と今とは全然違う。型を演じるだけでも難しい。やるだけでも大変。型だけでなく「心」を演じたい。型が自然に出てくるようになって、お客様に心を伝えたいと。今思うに熊谷直実の気持ちは。直属の上司の下で働くこととやることは今でも同じ。
演じることは好き。女房から「あなたは演じるのが好きね」と言われる。今は後輩を育てるのに忙しい。
歌舞伎とは歴史に今を盛り込んで行くこと。梨園の若者に思うことは、今は自分と言うものを先にだす。おかしいから注意するが、それが彼の良さでそれをつぶすことになるかもしれないとも思う。
秀山公演会 吉右衛門の跡継ぎが今はいない。娘は母と同じ気持ち(男の子を二人産んで一人を中村吉右衛門の養子に)でいるけれど。僕は結構でございますと言っている。養子で育てる大変さはわかっている。
ナプキンコールの「アンフォゲッタブル」。ジャズピアニスト。聴いてほっとする。重責を忘れさせてくれる曲。僕はベースをやっていた。
ものすごく苦労されたけど、歌舞伎をやって来られたのは?天職だと思っている。ジゴロも味わってみたかった。