幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

阿川佐和子さん 「サワコの朝 ピーターさん」  "裸の付き合い 一緒にジャグジーに!”

2015-09-19 08:18:48 | 生き方/考え方
すっぽんぽんを見られた人。ピーターさんのジャグジーに入った。
地唄家元 人間国宝 吉村雄輝の長男として生まれ、小さい時から踊りを習って舞台に立った。
「夜と朝のあいだに」が レコード大賞新人賞受賞。 黒澤明監督の映画「乱」に出演した。
断捨離をして、終活かと言われた。これから生きるために行ったのに。

還暦を過ぎて、昭和27年生まれ。阿川さんは28年生まれ。
男性なのか?女性なのか? 雑誌がインタビューしても女言葉で書かれた。
女になりたいと思わなかった。中性の仕事をしていた。オックスのメンバーに似ていると言われた。中性的な先駆け。
初めて観たミュージカルの曲、サウンドオブミュージックの中の曲「アメリカ」
遠い記憶が蘇ってきた。ラテン系が好き。自分は西日本。

7歳で両親が離婚。家で2回。母の実家鹿児島に行った。母のために一所懸命勉強した。ラサール中学に入った。レールに敷かれるのが嫌だった。家からとにかく離れたかった。大阪に行ったが、父に見つかると思って、そして東京まで行った。平凡パンチの情報だけ。15歳で渋谷の表参道に行ったそこでチラシを見て、原宿でゴーゴーダンスの募集がありそこで働いた。給仕をして合間に踊っていた。お客さん出来ていたある女性から尋ねられ、「吉村流のの家元の子ども」と言ったら、その人は踊りの関係者で父に伝わって、その時父は歌舞伎座に出ていた。思いがけない父との再開になった。大阪で父と暮らすことにした。桃山学院高校に入った。10年振り父との生活。日本舞踏を押しつけられた。踊りにブランクがあり、父は跡取りにと慌てた。それが嫌でまた家出した。
結婚する気は全然ない。仁科亜希子さんを好きだった。仲が良かった。芸能界に入ったことで諦めた。芸能人は汚れる。芸能人と結婚したくない。親が芸能の仕事をしていて一緒に食事にできない。父の愛情に飢えていた。父は6歳で貰われた。子どもにどう接してよいかわからなかったかと思う。父は息子に厳しかった。父のようになるのが怖いと思った。自分が家庭を持って子どもにじゃまされるのは嫌だし、結婚には向いていないと思った。子どもに寂しい思いはさせたくない。父に対してコンプレックスはなかった。父とは親しくした。3つの名前で仕事をしていた。父から「それぞれ100%でなく300%やらなあかんで」と言われた。
高輪会を開催していた。芸能界のパイプ役、ゴルフやった後、矢作さん、ピーター、サワコさん 3人でお風呂に入った。私(ピーター)は2人の緩衝材になってよいでしょう。矢作さんは私の方を見なかった。高輪会も幕を閉じた。熱海に家を建て、葉山にも家を建てた。海に近いところに住みたかった。お酒飲まなかったのでそれを家に注ぎこんだ。60代を迎えて考えたこと、やりたいことが100個くらいある。それをやりたいと思って整理した。物を持つことの罪悪感があり、棄てることにした。断捨離した。そうしたら、周りから終活ですか?と言われた。かってに終わりにするな!と思った。
キャンピングカーを買って日本全国回りたい。60歳を過ぎると億劫になる。
ジャンプするために沈むでしょう。今は力を蓄える時期。ずっと幸せ。嫌なこともあって。
こういうことを言える相手が欲しい。
「Youd Be So Nice to Come Home To」
阿川さんと2歳違い。 大人っぽい感じ。ずーと自分のことを思ってくれている人が欲しくはない?
自分のことを思ってくれている人は欲しい。でも一緒に暮らしたくない。一緒に食事したり、一緒にいたりして、一緒にいたい時にいてくれる人が欲しい。阿川さん「そんな人はいるかい」。(笑)