幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

クミコさんのブログより 「今あるすべての命を祝う」  ”自分は生まれて来て良かったと信じる”

2015-09-23 11:48:48 | 社会
http://ameblo.jp/kumiko926/entry-12076255598.html?frm_src=favoritemail
札幌での「北海道うたごえの祭典」。
合唱団のかたがたと「広い河の岸辺」を合唱する。
この歌は、こうしてどんどん皆さんに唄われている。
うれしいことだ。

そしてサイン会で。
「うまれてきてくれてありがとう」のCDを買ってくださったお客さま。
小柄な女性。
私と同じくらいの年の頃か。
その方が、ニコニコとしながらおっしゃる。
「私、これまで誰からも、こんなこと言われたことなかったんです。だから、なんだか自分にいわれたような気がして。ふうっとそんな気がして」
え。
サインする手が止まる。
ニコニコとほほ笑む、その方の手をぎゅと握る。
人にはそれぞれの人生がある。
そんなこと、いやというほどわかっている。
だから思う。
歌ができることは、そのそれぞれの人生にちょこっと寄り添うこと。
いつもそう思っている。

若い時には、自分のために唄ってきた。
自分を表現するために唄ってきた。
それは当り前のことだけど、どんどんそんな気持ちは薄れてきた。
誰かのために唄うこと。
誰かの灯になれるよう唄うこと。
いつのまにか、そんなふうに変わっていた。

みんな、消えそうになる灯を、一生懸命ともしながら生きている。
ちょっとでも、そのお手伝いができたら、それが私のなすべき仕事だろう。
これまでの人生で、誰からも「うまれてきてくれてありがとう」といってもらえなかった。
それは想像を絶する。

どんな辛苦の道をこの方は歩いてこられたのだろう。
でも、その女性は、今、そのことを私などに伝えてくださった。
さりげなく。ニコニコと。
「うまれてきてくれてありがとうございます」
思わず、私はそう言っていた。

この歌は、新しい命を向かい入れる歌ではあるけど、そうれだけじゃないんだなあ。
今ある命、そのすべてを祝福する歌なんだなあ。

また一つ、お客さまに教えていただいた。

感想;
自分はこれで良いんだと信じることが必要なのだと思います。
先ずは、自分が自分を受け容れる。自分は愛される価値があると信じる。
それから、先ずは一人でも愛して行くことなのではないでしょうか。

「18歳いのちのメール クローズアップ現代」 ”人のいのちは長さではない”

2015-09-23 01:54:00 | 生き方/考え方
第8回ロゴセラピスト講演会より(2015年9月5日)
2011年7月22日NHK 18歳いのちのメール クローズアップ現代
これ以上延命治療はしないことを選択。去年亡くなった18歳の田嶋華子さん
「いのちは長さじゃないよ。どういきるかだよ」そう語る華子さんを伝えたクローズアップ現代は大きな反響を呼んだ。 “いのちの選択を自分で選んだ少女”
華子さんとのメール700通
7歳で亡くなった子(陽子さん)を持つ野口先生とのメールやりとり。
陽子さん 7歳の時、突然娘が呼吸できなくなって亡くした。

心臓がギブアップして父と母と別れをしないといけない。
心臓移植をしてもう10年。母親の早苗さんから聞いた。自分のこととダブった。
生きている間は精一杯楽しく生きて行きましょうね。
4歳のドイツ人の子と一緒になっている。私にとって呼吸器は身体の一体になっている。自分の思いを素直に表現したい。
17歳と73歳、年の差56歳のいのちをめぐるメールのやり取り。
18歳になった華子さん 心臓移植を受けてから10年が経過した。卒業式が自宅で行われた。
これからの人生の1分1秒を大切したいと。それを綴った文集
・心臓病を持って生まれた私は長く生きられないと言われました。10年を目指しましょうと言われた。呼吸器を装着して18歳になりました。これから丁寧に生きて行こうと思いました。
・文集を拝見しました。ワクワクと思うとできなかった日は落ち込みます。ゆったりと行きましょう。自然体で。
・マイペースワクワクで行きます。

卒業式から2か月、足にむくみが出て来たので再度入院した。
・涙が出て来ました。またかとの思いでした。今は早く退院して早く普通の生活をしたい。でも不安になってしまいます。
・不安になるのは当たり前。大波を乗り越えていきましょうね。
検査結果は腎不全だった。病院での人工透析が必要。2回/週の数時間の人工透析を受けること。話を来て決意した。
・いつかはこういう日が来るのは覚悟をしていた。家が大好き。家族を一緒に過ごすこと。家で過ごしていることが自分が落ち着いていること。野口先生に心配かけたくなかったので、私の腎臓はとても悪くてぎりぎりです。お家で診て貰うつもりです。
・命は長さではない。ふわーと生きて行く。先生助けて!と言うかもしれません。
・陽子が7歳で亡くなって、言葉がなんの助けにもならないことは分かっていて、言葉を綴りますね。限界状況でどう生きるか。希望を持っていても神様に頼ってもどれが正しいかはわかりません。私ならどうするか。ふわーと大きな流れの中で。遠くにいる人が自分の心に感じるの。陽子はそれを心が感じると言っていた。7歳で亡くなった朝顔の種をずっと育てている。陽子の誕生日の時に花を咲かせます。心は繋がっている。
・陽子さんと先生に教えて貰った言葉は大切にします。

人工透析の治療を拒んだ華子さんの体は浮腫んで来た。
すごく大変なの。毎日必死ででも感謝して生きている。でもさ辛いよね。抱きしめてあげることしかできない。来年はもう華子はいない。華子さんも時折涙をながすようになっていた。
・野口先生、突然涙がでることがあります。何故でるのかわかりません。涙流してもよいですよね。
・涙流すのは当然ですよ。こころの底に不安があるのですから。ただ涙を流し過ぎると頭が痛くなりますよ。

家族で一泊の家族旅行。呼吸器をつけて初めての旅行。海の近くを。
家族に笑顔があふれた二日間だった。
・大好きな海の傍まで行けたのが嬉しかったです。両親と思い出を創れたのが嬉しかったです。木の匂い、海の匂い、優しい人の匂い忘れることができません。
・感性に溢れたメールありがとうございます。あなたからいろいろと教えて貰っています。

父に迷いが生じていた。前田先生に相談した。
翌日、前田医師の立ち合いのもと、家族で話し合いをすることにした。
「もう十分頑張って来たし、もうパパ追い詰めないで」
「パパへ パパは私の体が変わって行くのが辛いんだね。でも私は家族と一緒にいることが幸せなんだよ。限られたいのちを生きているから。深呼吸して私の傍にいてくdさい」
「でもね生きているといいこともあるよ。つらいことばかりじゃない。でも、せっかく生まれたんだから。はっきりいって死んだら終わりだよ」
「パパの気持ちはわかったから華ちゃんらしく生きたいの」

その日のやり取りを聞いた野口さんはメールを送った。
・父親の気持ちは格別なのよ。
・野口先生 ありがとう。
肺炎を起こし呼吸が上手くできなくなっていた。
なんか涙がでてしまう。私は無力だなと(母)。
・野口先生 肺の突然の出血で怖くて。身体には何がおきるかわかりません。野口先生も体気を付けてくださいね。
華子さんからメールは途絶えた。それでも野口さんからメールを送り続けた。
薄れ行く意識の中、「感謝しなければいけない」と。9月14日の早朝、両親に見守られながら眠るように亡くなった。
野口さんは母親の早苗さんからの電話で旅立ちを知りました。

華子さんの両親が経営する喫茶店。二人を見守る華子さんの好きな人形。
華子さんと野口さんのメールのやり取りの中にステキな言葉に支えられています。
娘は心の中にずっと生きているから。700通のメールをやり取りした。
華子さんから教えられたこと。身体と精神が別々に働くのだなと。身体が大変でも精神活動が立派に働いているのですから。大きな自然の中に身をまかせる。
神様が私にいろんな病気を与えてくれるのを恨んでないよ。病気でたくさんの人と出会えた。先生は頑張れと言わなかった。ふわーと言ってくれました。

ある少女の選択 18歳いのちのメール(下記のサイトでビデオ視聴できます)
http://www.dailymotion.com/video/xtvl66_%E3%81%82%E3%82%8B%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%81%AE%E9%81%B8%E6%8A%9E-%EF%BC%918%E6%AD%B3-%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%A1-%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB-2011-07-22_people

華子さんの言葉
「神様がいろいろな病気を与えてくださったので、いろいろな人と出逢えた」

フランクルの言葉
ただ単に生き続けることは最高の価値ではあり得ないといことです。
人間の最高の価値。終末期においても大きな価値を生み出すことができる。

華子さんのお母さん
初めまして。大切な一人娘ですが、また娘に逢わせて貰いました。子育てがどうだったか。手放した時にどうだったが。死線を生きてきた3人家族でしたが、とっても楽しいことがありました。いっぱい残してくれたものがあります。これから二人がどう生きていくかの宿題を華子がくれました。華子が残してくれたいい匂いのある人を残してくれました。私がきれいだなと思うと華子もきれいだなと思えます。今もいるように思います。記憶と心が華子と一緒。お母さんとして生きてきました。これからは夫と二人、前を向いて生きて行きたいなと。皆さんに安心していただきたい。細谷先生はいろいろなところでいのちの話をされています。細谷先生を追いかけています。華子の話もして貰えています。お祈りの言葉と一緒と思い出になっています。どうもありがとうございます。