ウィーン大学の医学部の神経科教授が、ナチスの強制収容所等に送られた。ここで彼の両親、妻と二人の子供を殺された(このことは収容所を出てから知らされた)。精神医学者の立場で、収容所の体験を記したものである。
体験を、三部構成で、①収容されることになり収容所までの精神的な面での観察、②収容所生活での様子と精神面での観察、③収容所から解放されてからの精神面での観察、からなっている。
強制収容所に来たということの意味(ほとんど死)を認識せざる状況、移送直後の選別(働けないと判断されると即ガス室送り)、今までの個が否定され被収容者番号として裸の存在。
強制収容所生活での感動の消滅や鈍磨・内面の冷淡さと無関心、肉体的・精神的な苦痛、餓えと病気、内面生活が未熟な段階に引き摺り下ろされる一方、一部の内面的に深まる人もいた。
収容所を管理する側にもごく一部人間らしい行動をしていた人もいたが、多くは冷酷な態度に。被収容者の中から被収容所をまとめるものも選ばれたが、そのものが冷酷になる。この世には二つの人間の種族がいる。人間はガス室を作った存在であると同時に、ガス室に入っても毅然とした祈りの言葉を口にする存在でもある。
生きるために。病気をすると、あるいは働けなくなるとガス室送りと、常に死と直面しながらの生活。生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていても何もならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、がんばり抜く意味も見失った人は痛ましかぎりだった。そのような人々はよりどころを一切失って、あっというまに崩れていった。こういった環境下でも生きる意味を問うことが重要(なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える;ニーチェ)。生きる意味とは、死もまた含む全体としての生きる意味である。苦しむことはなにかをなしとげること。
「人生が自分を待っている、だれかが自分を待っている」と常に思い出させることが収容所生活では重要だった。しかし、解放された後、だれも自分を待っている人がいないことを知らされる者も多かった。そのショックも。また、元の生活に戻ることの難しいさ、また、受け入れ側の態度に苦しめられることも多かった。
感想;
ガンジーの言葉「自分で誇りを投げ捨てない限り、だれもあなたの誇りを取ることができない」を思い出しました。自分がこのような環境下で何をするか。ただ、できればこのような環境下に自分を置かないで下さいと神には祈りたいが。