幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

阿川佐和子さん 「サワコの朝 高橋真梨子さん」  "歌い続けられるまで歌いたい”

2016-06-11 08:22:23 | 生き方/考え方
この人の歌を聞くとおおらかな気持ちに包まれる。伸びやかな歌声は今も健在。1949年生まれ。今年芸能生活50周年。16歳の時にスクールメイツの一員に。23歳の時ペデロアンドカプリシャスシャスイのボーカルとして「ジョニーへの伝言」が大ヒット。

コンサートは50本/年やっている。67歳で働いているなと思う。コンサートは売り出すとすぐに完売。今も大人気。今度カーネギーホールで3回目。日本人初。カーネギーホールには魔物がいる。でも紅白の方が緊張する。
1曲目は、憧れのザ・ピーナッツの曲 「手編みの靴下」。その歌を歌詞を変えて園まりさんが「逢いたくて逢いたくて」でヒットした。園まりさんが歌った時は、「あの歌がこのような歌になるんだ」とショックだった。

広島で生まれ、それから博多へ。そこでジャズを習った。両親は離婚していて、父に毎週逢いに行った。37歳で亡くなった。父からジャズを習った。父から「発声練習からジャズにしなさい」と言われた。難しい歌を最初にやっていれば後が出てこないと。

16歳の時にナベプロに入った。ピーナッツの後ろで踊っていた。他に中尾ミエ、木の実ナナさんも一緒だった。一緒に集団下宿した。18歳の高校を卒業するまでいたが素行が悪かった。門限破ったりしていた。そのため首になった。母が来て「連れて帰ります」となって博多に帰った。九州一の歌姫になろうと思った。ペデロアンドカプリシャスから二代目ボーカルは真梨子しかいないといわれ盛んに誘われたが断っていた。一年だけでもと言われ東京に行ったら、大ヒットして帰れなくなった。

「ジョニーへの伝言」は最初一年目は売れなかった。改めて聞くと圧倒的な歌唱力(サワコさん)。阿久 悠さんと都倉俊一の名コンビ。“女性の強さ”が共感を得た。その後“五番街のマリー”。難しい歌。男の未練を歌っている。女性は三日泣いたらそれで忘れる。
小さい時から歌手になりたいとの夢が叶った。石にかじりついたなにかになりたいとまでは思っていなかった。流れに流されてよいかと。

ソロになって「桃色吐息」がヒットした。最初にメロディーが来た。ビートルズの感じがした。かっこいいじゃんと思った。その後歌詞が来て、ガーンと思った。桃色吐息の言葉が。セクシー過ぎる歌詞にがく然とした。「高橋真梨子さんが歌うと卑猥にならない」と言われた。大ヒットした。特徴は”淡々とした歌い方“。皆さん考え方が違う。受け取り方は皆さん違うと思っている。

20年くらい前に体調を崩した。20年更年期障害に苦しんだ。治ったら良くなってといまだに苦労している。夫、ヘンリー広瀬がいなかったらやってこれなかった。夫の支えで乗り越えて来た。夫に話すと受け流してくれる。そんな体調でもコンサートは休まず、責任感は第一だった。素行不良だったけど(笑)。39℃の熱が出ても歌っていた。今はやるしかない。歌えるまで歌おう。死ぬまで現役。声が出なくなったら仕方がない。やれるとこまでやって行こう。

2曲目は盟友森進一さんの「襟裳岬」。森進一はスクールメイツの同期。すごい。浪々と歌っている。レコードと違ってライブなので。
誕生日パーティーはスタッフがやってくれても「いーよ」と思う。そういうのは苦手で、ゴルフや食事でストレス解消をしている。

感想
「五番街のマリー」はとても好きな歌です。とても魅力的な歌声です。
そのバックにはジャズの基礎をきちんと学んだ来られたからだと知りました。
千里の道も一歩から。一つひとつの基礎を学ぶ努力が大切なんだと思いました。