ドイツ企業数千社が財団をつくり、戦時中の強制労働者に対して一人当たり最高1万5千マルクの人道援助補助金を支給することになった。
「犠牲者は10%くらいしか生き残っていない。だから不公平感は残るし、今のポーランドの物価からすれば1年分の給与ぐらいにしかならないけど、60年間で初めてのことだから、肯定的に評価するべきだろうな。ユダヤ民の国際組織がドイツ政府やドイツ民間企業とやってきた補償交渉とは別に、今回はポーランド共和国政府が本腰で参加したんだ。その結果だと思う」
1942年2月、ナチス・ドイツ高官がベルリン近郊のヴァンぜーに集まった。この会議で「ユダヤ人問題の最終的解決」、すなわち「絶滅施行のための計画」が決定された。1943年春には、彼らを抹殺する巨大な施設が4か所、ビルケナウ収容所内に完成した。ユダヤ民収容者だけに作業をさせるようになった大量殺人の秘密を守るためだ。さらに口封じのために彼らを一定期間ごとに殺し、欠員を補充する体制を作り上げた。一時、特命労働隊は約900人に膨れ上がった。第二次世界大戦終了時に奇跡的に生き残った特命労働隊作業員は80名ほどだったと言われる。彼らの存在は戦後、暗い闇のなかに置き去りにされた。それは自分の存在さえ、世間ばかりか身内にも明らかにできないほど、苛烈で深刻な体験を強要された彼らの苦しみの結果でもあった。
特命労働隊のなかには、自分たちが全員ころされればこの事実を世界に伝える人がいなくなってしまうという危機感から生き抜いた者もいた。自分たちの担わされた任務を克明にメモ書きし、空きビンなどに詰めてガス室付近に穴を掘って埋めた作業者もいた。
1945年、52年、62年、80年にあわせて7枚のメモが発見され、そのうち5枚は東欧出身のユダヤ民が使ったイディッシュで、残りはフランス語とギリシャ語で書かれていました。
人間には3つの弱点がある。エゴイズムと、飽くことのない欲望と、互いに反目する心。
「国際青少年交流の家」 この施設の目的はポーランドとドイツの対話、カトリックユダヤの対話である。建設資金の大部分はポーランドからオシフィエンナム市(アウシュヴィッツ近くの町)、ドイツ側では平和団体AZPが提供した。ドイツからはその他に政府系財団やドイツ教育省をはじめ、フォルクスワーゲンなどの民間企業、多くの地方自治体が資金の一部を負担し、さらに多くのドイツ市民が寄付をしている。
「国際青少年交流の家」には毎年、ドイツの若者を中心に180にのぼる団体がやってきて宿泊する。来訪の目的は当然、アウシュヴィッツ見学だが、ここにはポーランドの若者との交流プログラムや観光案内コースが用意されており、ドイツ語に堪能なポーランド人教育ガイドも常駐している。
「なぜドイツではなく、占領されたポーランドにアウシュヴィッツ強制収容所があったのですか?」
案内の冒頭でしばしば日本人の見学者から問われる。
「最初はポーランドの政治犯を収容するためにナチス・ドイツがつくったものだからです」
こうあっさり答えるには問題が重すぎる。
アウシュヴィッツで、ポーランドの政治犯が最初に収容されたのは1940年6月14日のことであり、その日からアウシュヴィッツは強制収容所としての機能を開始した。
7年続いた第二次世界大戦で300万人近くのポーランド人が命を落とした。
ナチス・ドイツ敗戦40周年記念式典における演説。
「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在についても盲目となる。非人間的な行為を心にきざもうとしない者は、またそうした危険におちいりやすい」
西ドイツ大統領ヴァイツゼッカーは哲学者だった。
アウシュヴィッツのこの「負の遺産」を守ろうとするボランティア作業(夏場の下刈など)に協力する人も多い。特に毎年よく見かけるドイツの若者の姿が印象的だ。グループ単位で歴史教育の一環としてやってくるようだが、2011年は850名が参加した。2~3日間のボランティア活動が中心だが、二週間近く滞在していくグループも中にはある。一度、引率する教師と話したことがあった。
「最初は大変なところに連れてこられたと思っている生徒が多いし、すきを見てタバコをふかしてサボっている姿も見かけます。でも、何日かすると変わります。ここでの経験は、帰国したあとも公私にわたっていろいろな問題に対処するときに役立っていると思います。参加した若者たちもそんな感想を漏らすことが多いですよ」
子どもに対する生体実験も行われました。アウシュヴィッツ医師団のリーダーだったメンゲレは、ユダヤ民やロマ・シンティの子どもたち、とりわけ双生児を自己流の人類学や遺伝学の研究材料にしました。モルモット代わりにされた子どもたちは、実験に使われるまでお菓子を与えられるなど優遇されたため、メンゲレを「おじさん」と呼んで親しんでいたようです。
女性収容者を使った不妊実験に関する資料を見ると、それを推進するSS元帥ヒムラーと、実験結果を誇らしく報告する医師の存在がわかります。
化学薬品を使って卵巣を肥大させ、不妊化させるなど。
占領されたポーランドではユダヤ教徒全体の12%しかこの戦争を生き抜けませんでした。
感想;
知らないことがたくさんあることを知りました。
確かにヒットラーが悪いのですが、それを支えた人々、支援した人々がいたことも忘れてはなりません。
それは、当時の国民一人ひとりなのでしょう。
まさか戦争にはならないと思っていたら、戦争になり止められなかった。
ユダヤ人、ロマ人、ポーランド人の虐殺を許してしまった。
今、日本は”秘密保護法”により、政府がやったことを国民が知らされなくなりました。
”集団自衛権法”で防衛と言う名の下、自衛隊が海外の戦争に派遣できるようになりました。
そして、さらに堂々と戦争ができる”憲法改正”を安倍首相は考えています。
しかし、参議院選挙ではそれを主張せず経済の話だけです。
自民党のアジェンダの小さく書かれていることで国民の信を得たとする考えです。
今年の1月は堂々と「参議院選挙で憲法改正を国民に問う」と発言していたのを忘れたかのようです。
前回の衆議院選挙で「二度と消費税Upの先送りはしない。国民に約束します」と言ったのを齟齬にしています。
今回の国民の焦点も経済や年金です。
結局、国民が戦争ができるようにしようとしている安倍首相を支持してしまうと言うことは、戦争になっても良いと思っているのか、それともドイツや、日本の第二次世界大戦前のようにまさか戦争になるなんて思っていなかったことを繰り返してしまうのでしょう。
戦争が600万人というユダヤ人を虐殺しました。
それは国民一人ひとりの心の持ち方なのでしょう。
それをドイツは若者に二度と戦争を起こさないことを伝えているようです。
一方、日本はインパール作戦やノモハン事件など、教育の現場で伝えていません。
同じ過ちをしてしまうのでしょう。
「犠牲者は10%くらいしか生き残っていない。だから不公平感は残るし、今のポーランドの物価からすれば1年分の給与ぐらいにしかならないけど、60年間で初めてのことだから、肯定的に評価するべきだろうな。ユダヤ民の国際組織がドイツ政府やドイツ民間企業とやってきた補償交渉とは別に、今回はポーランド共和国政府が本腰で参加したんだ。その結果だと思う」
1942年2月、ナチス・ドイツ高官がベルリン近郊のヴァンぜーに集まった。この会議で「ユダヤ人問題の最終的解決」、すなわち「絶滅施行のための計画」が決定された。1943年春には、彼らを抹殺する巨大な施設が4か所、ビルケナウ収容所内に完成した。ユダヤ民収容者だけに作業をさせるようになった大量殺人の秘密を守るためだ。さらに口封じのために彼らを一定期間ごとに殺し、欠員を補充する体制を作り上げた。一時、特命労働隊は約900人に膨れ上がった。第二次世界大戦終了時に奇跡的に生き残った特命労働隊作業員は80名ほどだったと言われる。彼らの存在は戦後、暗い闇のなかに置き去りにされた。それは自分の存在さえ、世間ばかりか身内にも明らかにできないほど、苛烈で深刻な体験を強要された彼らの苦しみの結果でもあった。
特命労働隊のなかには、自分たちが全員ころされればこの事実を世界に伝える人がいなくなってしまうという危機感から生き抜いた者もいた。自分たちの担わされた任務を克明にメモ書きし、空きビンなどに詰めてガス室付近に穴を掘って埋めた作業者もいた。
1945年、52年、62年、80年にあわせて7枚のメモが発見され、そのうち5枚は東欧出身のユダヤ民が使ったイディッシュで、残りはフランス語とギリシャ語で書かれていました。
人間には3つの弱点がある。エゴイズムと、飽くことのない欲望と、互いに反目する心。
「国際青少年交流の家」 この施設の目的はポーランドとドイツの対話、カトリックユダヤの対話である。建設資金の大部分はポーランドからオシフィエンナム市(アウシュヴィッツ近くの町)、ドイツ側では平和団体AZPが提供した。ドイツからはその他に政府系財団やドイツ教育省をはじめ、フォルクスワーゲンなどの民間企業、多くの地方自治体が資金の一部を負担し、さらに多くのドイツ市民が寄付をしている。
「国際青少年交流の家」には毎年、ドイツの若者を中心に180にのぼる団体がやってきて宿泊する。来訪の目的は当然、アウシュヴィッツ見学だが、ここにはポーランドの若者との交流プログラムや観光案内コースが用意されており、ドイツ語に堪能なポーランド人教育ガイドも常駐している。
「なぜドイツではなく、占領されたポーランドにアウシュヴィッツ強制収容所があったのですか?」
案内の冒頭でしばしば日本人の見学者から問われる。
「最初はポーランドの政治犯を収容するためにナチス・ドイツがつくったものだからです」
こうあっさり答えるには問題が重すぎる。
アウシュヴィッツで、ポーランドの政治犯が最初に収容されたのは1940年6月14日のことであり、その日からアウシュヴィッツは強制収容所としての機能を開始した。
7年続いた第二次世界大戦で300万人近くのポーランド人が命を落とした。
ナチス・ドイツ敗戦40周年記念式典における演説。
「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在についても盲目となる。非人間的な行為を心にきざもうとしない者は、またそうした危険におちいりやすい」
西ドイツ大統領ヴァイツゼッカーは哲学者だった。
アウシュヴィッツのこの「負の遺産」を守ろうとするボランティア作業(夏場の下刈など)に協力する人も多い。特に毎年よく見かけるドイツの若者の姿が印象的だ。グループ単位で歴史教育の一環としてやってくるようだが、2011年は850名が参加した。2~3日間のボランティア活動が中心だが、二週間近く滞在していくグループも中にはある。一度、引率する教師と話したことがあった。
「最初は大変なところに連れてこられたと思っている生徒が多いし、すきを見てタバコをふかしてサボっている姿も見かけます。でも、何日かすると変わります。ここでの経験は、帰国したあとも公私にわたっていろいろな問題に対処するときに役立っていると思います。参加した若者たちもそんな感想を漏らすことが多いですよ」
子どもに対する生体実験も行われました。アウシュヴィッツ医師団のリーダーだったメンゲレは、ユダヤ民やロマ・シンティの子どもたち、とりわけ双生児を自己流の人類学や遺伝学の研究材料にしました。モルモット代わりにされた子どもたちは、実験に使われるまでお菓子を与えられるなど優遇されたため、メンゲレを「おじさん」と呼んで親しんでいたようです。
女性収容者を使った不妊実験に関する資料を見ると、それを推進するSS元帥ヒムラーと、実験結果を誇らしく報告する医師の存在がわかります。
化学薬品を使って卵巣を肥大させ、不妊化させるなど。
占領されたポーランドではユダヤ教徒全体の12%しかこの戦争を生き抜けませんでした。
感想;
知らないことがたくさんあることを知りました。
確かにヒットラーが悪いのですが、それを支えた人々、支援した人々がいたことも忘れてはなりません。
それは、当時の国民一人ひとりなのでしょう。
まさか戦争にはならないと思っていたら、戦争になり止められなかった。
ユダヤ人、ロマ人、ポーランド人の虐殺を許してしまった。
今、日本は”秘密保護法”により、政府がやったことを国民が知らされなくなりました。
”集団自衛権法”で防衛と言う名の下、自衛隊が海外の戦争に派遣できるようになりました。
そして、さらに堂々と戦争ができる”憲法改正”を安倍首相は考えています。
しかし、参議院選挙ではそれを主張せず経済の話だけです。
自民党のアジェンダの小さく書かれていることで国民の信を得たとする考えです。
今年の1月は堂々と「参議院選挙で憲法改正を国民に問う」と発言していたのを忘れたかのようです。
前回の衆議院選挙で「二度と消費税Upの先送りはしない。国民に約束します」と言ったのを齟齬にしています。
今回の国民の焦点も経済や年金です。
結局、国民が戦争ができるようにしようとしている安倍首相を支持してしまうと言うことは、戦争になっても良いと思っているのか、それともドイツや、日本の第二次世界大戦前のようにまさか戦争になるなんて思っていなかったことを繰り返してしまうのでしょう。
戦争が600万人というユダヤ人を虐殺しました。
それは国民一人ひとりの心の持ち方なのでしょう。
それをドイツは若者に二度と戦争を起こさないことを伝えているようです。
一方、日本はインパール作戦やノモハン事件など、教育の現場で伝えていません。
同じ過ちをしてしまうのでしょう。