幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

阿川佐和子さん 「サワコの朝 芳村真理さん」  ”自分が変わると犬まで変わる”

2016-06-25 08:17:17 | 生き方/考え方
女性司会者の先駆け。伝説の女性司会者が復活。バラエティに久しぶりに出演した。
24年前引退。去年復活。夜のヒットスタジオ。料理天国の司会を40歳から。
57歳で突然の引退。自分が変わるとふしぎねー、犬まで変わる。現在81歳。

駐車場の暗がりで出会って、ラベンダーの花束をいただいた。
リタイヤすると身体も顔をリラックスするが、当時のはつらつさが維持されている。何もしていない。

ハワイアン「ラブリー・フラ・ガール」
元々はファッションモデルやっていた。仲間で何かやらないかと。だったらハワイアンをやろう。ファッションショーに出る出囃子がその曲だったのですね?(サワコさん) あらサワコさん出囃子なんて。キーは1つ、曲は3曲。でも衣装は5着。日本にファッションモデルという仕事がなかった。これからはこのファッションモデルの時代だと思って、事務所に入った。
母はオシャレだった。ファッショナブルの母が原点。母は自分衣装を染めたりしていた。母は仙台に疎開などした。

モデルは3年だけ。ドラマの話があった。ペギー葉山さんの主役だった。しかし、ペギー葉山さんが「南国土佐を後にして」が大ヒットしたのでできなくなった。声がかかった。当時生ドラマ。歩き方がモデルみたいだと言われた。一週間後にスタジオに出て、これはセリフを覚えるのは大変だと思い、台本を衣装に貼りまくった。そしたら上手くできた。それでレギュラーになった。またそれを見ていた松竹から電話がかかって来た。テレビ創世記にテレビに入って行った。当時は人手不足だったと思う。人手不足なら皆がファッションモデルになっている(サワコさん)。

女優は映画まで出たが続けずに、小川シャーにでた。面白くて面白くて、これが私がやりたいものだと、他の仕事は全て辞めた。30歳で突然司会者に転身。ミニスカートで出たら、朝の番組にミニスカートは良くないとの抗議の電話があった。
フジテレビの廊下を歩いていたら、歌番組を考えていたディレクターから声をかけられた。
話題を呼んだ衣装。当時は衣装は売られていなくて作った。夜の番組だし、女の人を元気にしようと思って、ファッションを考えるようにした。

スターの前でもどうどうとされていたが? 自分の子どもみたい。地方から出てきて、ヒットスタジオで失敗したら大変だと。和田アキ子さんも汗でびっしょりしていた。

画期的だった「料理天国」。当時西洋料理がまだ知られていない時代だった。世界の一流シェッフがコンロ3つだけのところで文句を言わずに料理してくれた。鮭を焼くのにとても丁寧に焼いていたのがとても印象的だった。そしてとっても美味しかった。

57歳で突然芸能界を引退した。ヒットサロンがちょうど終わった時だった。パッと入って、パッと終わると次のやつに入れる。花火みたいな人(サワコさん)。
NPO法人「MORIMORIネットワーク」に参加した。同世代と上手くやるコツは、その人の得意なことをお願いする。

人は幾つになって変わる。お腹に動脈瘤が3年ほど前に見つかった。じゃあどうやったら良いの。新しく生きてみよう。新しいものを探せる。自分が変わると傍にいる犬まで変わる。

主人が歌がすごく好きで、ナイトクラブで主人が歌っていた。
「ビコーズ・オブ・ユー」
“あなたのおかげで私の人生が変わった”

いい時代のいい仕事ができた。ラブラブショーをやっていた。関口宏さんが西田佐知子さんに逢いたいと言っていたので、その番組で呼んだら、二人は結婚した。それまでは逢ったこともなかった。あら、私も呼んでくださいよ(サワコさん)

感想
人は女神が微笑むチャンスがあり、そのチャンスに挑戦して行くことなのでしょう。
その時その時に全力で取り組むからこそ、次が開かれていくように思いました。