http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e8%a1%86%e9%99%a2%e8%ad%b0%e5%93%a1%e3%83%bb%e9%87%8e%e7%94%b0%e8%81%96%e5%ad%90%e3%81%8c%e8%aa%9e%e3%82%8b%e3%80%8c%e9%9a%9c%e5%ae%b3%e5%85%90%e3%81%ae%e6%81%af%e5%ad%90%e3%81%8c%e3%81%8f%e3%82%8c%e3%81%9f%e3%82%82%e3%81%ae%e3%80%8d/ar-AAjUDav?ocid=spartandhp#page=2深澤友紀
障害をかかえる息子、真輝くんを育てる野田聖子さん。日々子育てをしながら、また相模原事件を受け、何を思ったか。母親として国会議員として、いまの社会に伝えたいことを聞いた。
──今年7月、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で元職員、植松聖容疑者(26)が入所者19人を殺害する事件がありました。容疑者は逮捕後の取り調べでも一貫して「障害者は不要な存在」と主張し、ネットではその主張に共感する書き込みも見られます。
私はこの事件に驚きませんでした。こういう事件がいつか起きるんじゃないかという思いがずっとありましたから。
息子の真輝(5)は、へその緒の中に肝臓が飛び出す「臍帯ヘルニア」と、本来2本ある心臓につながる血管が1本しかない「心臓疾患」の障害を持っていることが、生まれる前にわかっていました。生まれた後も、食道と胃が分離する「食道閉鎖症」が見つかり、それが原因で気管軟化症となり呼吸が止まったため、気管切開して人工呼吸器もつけました。これまで手術を11回も受けています。
真輝が生まれてから、障害者を嫌悪する社会の空気をずいぶん吸い込んできたので、今回の事件は、単に用意されていた導火線に火が付いただけなんだと感じたんです。
──どんなときに「嫌悪」を感じてきたのでしょう。
最初に感じたのは息子に対して「かわいそう」って言われたときです。自然に出てくる言葉で悪意はないんだけど、かわいそうという言葉は上から目線だし、言われた瞬間、排除される感じがした。そこには障害者に対する不要感が漂っている。悪気がないだけ、社会のスタンダードなんだと感じました。
●医療費に「金食い虫」
──「障害者=不幸」と思っている人は多い。
うちの子はいろいろ不具合があるけど、私の家で十二分の看護体制のもと生活して、保育園だって看護師をつけて通っている。父親は仕事をなげうってまで看護してくれて両親に愛されている。「かわいそう」って言われたらギャップを感じます。私は真輝を障害児と思って育てていない。私にとっては最初で最後の子なので誰かと比べようもないし、「野田真輝」として育てているだけなんです。
──ネットでもいろいろと書かれています。
たくさんのチューブにつながれて生きる息子は「ばけもの」扱いされました。私は半分母で半分国会議員なんで、国会議員としてはなんともないんだけど、母親としては、見ず知らずの人の言葉の暴力が息子に向けられて、とても恐怖を感じました。「殺すのもやぶさかじゃない」という人たちだから、私が生きている間は息子を守れるけど、死んだあとはどうなるのだろうかと。ほかには、医療費がかかって「金食い虫」と言われたり、「医療費がかかる息子を見殺しにしろ」と言われたりね。
──作家の曽野綾子さんの著書『人間にとって成熟とは何か』では、野田さんについて、「自分の息子が、こんな高額医療を、国民の負担において受けさせてもらっていることに対する、一抹の申し訳なさ、か、感謝が全くない」と書かれていますね。
社会には「障害者は役立たずで国に負荷をかけている」と考える人がいますが、息子が今後どう社会に貢献するかわからないじゃないですか。少なくとも、今年改正された障害者総合支援法に「医療的ケア児」の言葉が入ったのは、息子の存在が大きかった。
●息子のおかげでプラス
──植松容疑者も「障害者は生きていてもしょうがない」と話していました。
周囲の人がその人がいることで潜在能力が引き出されて、世のために力を発揮する例も多い。例えば、ナミねぇのニックネームで知られる竹中ナミさんは、重度の心身障害がある娘がいたから起業して、誰もが生き生きと働ける社会実現のために活動を始めて、政府の会議の委員もされている。彼女は障害を持った子の親となったことで、社会へとても貢献していますよ。
私も息子のおかげでプラスになった。息子が生まれてきてくれたことで、自分に一番欠けていた政治家の資質を手に入れることができた。これまで弱者のための政治というのを頭でわかっていても、理解できていなかった。それが、この子によってストンとわかるようになった。差別は、こういう嫌な思いをするんだとかね。当事者感覚で受け止められるようになった。
ただ、一般的には、「障害児を産んだ母親は、家で24時間世話をしなきゃいけない」的な圧力があって、働くこともできずに貧困になっちゃう人が多い。そこは改善していきたい。
●休息も許されない親
──今回の事件では被害者の名前も公表されませんでした。
一部の遺族のお気持ちもわかるけど、私はやっぱり名前を出してほしかった。被害者が生きてきた何十年という人生がないことになってしまう。東日本大震災の犠牲者は未来永劫記憶に残るけど、今回の被害者は残らない。思い出すことで事件を検証できることもあるのに。
──出生前診断が広がり、染色体異常がわかれば中絶を選ぶ人が増えています。
私は、その判断については是も非もないと思う。障害のある子を育てていけるかどうかという環境にかかっているから。この国の空気はまだ冷たい。私がおなかの子に障害があるってわかって産むことを決めたのは、育てていける環境にあったから。でも環境がない人もいる。
しかも、産んだらペナルティーとして「まずは親が育てろ」みたいな社会の圧力がある。在宅医療の介護者はレスパイト(休息を取ること)も許されない。24時間働けますかの世界。異常ですよ。
私たちも真輝が2歳3カ月で退院したとき、胃ろうで数時間おきに食事を取っていたし、気管切開しているのでこまめなたんの吸引が必要でした。夜じゅう「あ、ご飯だ」「あ、アラームが鳴ってる」という状態。一睡もできない日もあるし、3時間寝られたら御の字という生活でした。当時は自民党の総務会長で仕事も忙しかったから、本当に大変で。(指さして)この足の傷は当時、目が回って官邸の階段から落ちたときのものです。
──今も生活は落ち着きませんか。
今は、真輝が午後6時半に保育園から帰宅して、だいたい午後7~8時に訪問看護があって、メディカルチェックとお風呂。その1時間にだいたい夫が急いでご飯をつくって食べます。私も会合があっても2次会には行かず、午後9時すぎには帰ります。月曜日と水曜日は休肝日と決め、保育園のお迎えも私が担当。その日は夫に息抜きしてもらっています。
●母子同伴求める学校
──野田さんのブログに登場する真輝くんは、とってもわんぱくで、「医療的ケア児」のイメージを覆します。
医療的ケア児というと、イメージがわかないでしょう。今回の改正障害者総合支援法案の国会審議のときには、真輝の写真を資料にほしいと頼まれました。人工呼吸器や胃ろうをしていても、他の子と同じように歩いたり走ったりできる子もいる。
© Asahi Shimbun Publications Inc. 提供 障害児の母として社会の嫌悪を感じてきたという衆院議員の野…
医療が発達してこれまで助からなかった赤ちゃんも助かるようになり、医療的ケア児は増えていたんだけど、肝心の社会基盤を支える法律の中で存在が認められていなかった。だから問題が次々起きた。
一番大変なのは教育。医師法のもと、家族以外は医師、看護師しか医療的ケアができない。でも、学校には医師、看護師は常時配置されていないので、例えば、時折たんの吸引と胃ろうをしてくれればちゃんと小学校に通える子が通えず、義務教育が受けられないという憲法違反にも近いことが起きている。うちの息子も来年小学生になるんだけど、特別支援学校ですら看護師がいなくて、通学するには「母子同伴で」と。でもそんなの学校じゃないし、毎日学校行ったら、母親の私は国会議員の仕事ができなくなっちゃう。
養護教諭がある一定の研修を受ければ医療的ケアをできるようにしたらいい。食物アレルギーの子どものために、緊急時には教師や保育士もエピペンを打てるようになった。変えようと思ったらできるんです。
●見えがあるから伸びる
──保育園でも入園を断られるケースがほとんどです。
今年、「保育園落ちた日本死ね!!!」のブログが話題になりましたが、そもそも落ちる保育園もないんだよというのが我々。
私は、自分の給料から看護師を雇って、真輝を保育園に通わせています。看護師がいれば真輝のような子でも保育園に通えた、というエビデンスを出して、制度が変われば、次の人たちは実費負担をせずとも保育園に通えるようになる。そのために捨て石になろうと思っています。
なにより、子どもは保育園に通って成長する。うちの子もトイレトレーニングは保育園のおかげで進んだ。やっぱり親には甘えちゃうから、家にいるときはオムツがいいって言う。でも保育園では1回ももらさずにおしっこもうんちもできるようになった。子どもだって見えがある。だから伸びる。
いま私が掲げようと思っている政策が、保育園・幼稚園の義務化。そうすれば、障害のある子も当然入る権利が出てくる。健常の子たちも小さいうちから多様性を知ることができます。
●健常者なんて幻
──社会は障害者とどう接していいのかもわかっていません。
まずは慣れてほしいと思うんですよね。やっぱり無知・無関心がやっかいな壁。日本ではもっともっとコマーシャルにも障害者を使ってもらいたい。アメリカでは、当たり前のようにオムツのコマーシャルにダウン症の子が出演していたりする。
大手広告会社の社長と会ったときに「どんどん出してください」と伝えたら、視聴者から「障害者をさらすな」という意見が来ると言っていました。
でもどんどんさらしてほしい。変な話、ちょっと前まで(お笑いのトレンディエンジェルの)斎藤さんのように薄毛の人もテレビに出てこないタイプだった。でもさらされているうちに私たちも気にならなくなった。障害者もさらしていくしかない。
ただ、ブログやメディアで息子の話や写真を載せることについて、夫婦で意見が分かれているんです。夫は一般人なので、二つ心配していて。息子が物心ついたとき傷つくかもしれない、もうひとつは顔が知られて社会でターゲットにされたらどうするのかと。私も不安はありますけど、真輝のおかげで声を上げられなかった医療的ケア児がアクティブになって、息子の存在が社会の役に立っている。彼のプライドを保てると言って強引に夫を説き伏せています。
──この社会は障害者と健常者に溝があります。
昔は社会の要は男で、頑丈な人が国を代表し、それ以外は女性も年寄りも障害者もアウトでしたから、その名残じゃないかと思います。
女性でも恋も女も捨てて「男」として働く人たちは社会の一角として生きられて、障害者もホーキング博士のような非常に優秀な人は食い込むことができたけど、普通の女性や障害者は社会で活躍できない。でも、社会は少しずつ変えることができる。今年は4月に障害者差別解消法が施行されました。
──政治家・野田聖子としてやりたいことはなんですか。
私は世の中の価値をすべての人が共有し実感できるようにしたい。人材ミスマッチで、能力があるのに障害があり就職できないから単純作業をしています、というのはもったいない。多様な人々の働き方のメニューをつくり、働き方改革ができたらいい。
そして「健常」っていう言葉をなくしたい。健常者の定義なんてないでしょ。健常と障害の境目なんてどこにあるのか誰にもわからないし、健常者って正直、幻だと思います。年を取れば誰もが障害者になる可能性があるんですから。(編集部・深澤友紀)※AERA 2016年11月7日号
感想;
障害児が生まれるのは、神様が必要と思って世に送り出しています。
障害児として生まれる選択肢をその子が選んでいます。
そして、その子を育てられる親を神様が選んでいます。
上記の考え方もあります。
障害児は社会の役に立っていないとみるのか、大きな使命をはたしているとみるのか。
大きな使命を持って生まれてきていると思います。
誰かに神様のメッセージを伝えるために。
野田聖子さんは息子さんがいることで、政治の姿勢が変わったとのこと。
これはとてもステキなことでないでしょうか。
野田聖子さんができる役割は大きいです。
それにしても曽野綾子さんはクリスチャンの精神があるのだろうか?と思ってしまいます。
それと、曽野綾子さん、大丈夫?と心配になってきます。
http://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/7f6703d65e3d97d2c7c13f2741b84133
「人間にとって成熟とは」曽野綾子著 野田聖子議員の息子さんの医療費について批評
僕のハートの中には
僕のハートの中には(雑誌アクティベートより)
(英語のハートには、「こころ」と「心臓」の意味があります)
ある病院の小児科病棟で、外科医が、男の子にこう切り出した。
「明日の朝、君の心臓(ハート)をのぞいてみようかな。」
するとすかさず、男の子が言った。「僕のハートの中には、神さまがいるんだよ!」
外科医は戸惑った顔をした。「手術をして、どこが悪いかを調べるんだ」
「でも、先生、そこには神さまがいるんだ。」
外科医は、その子の両親をちらりと見て、こう続けた。「手術が終わったら、ちゃんと元通りに閉じるからね。それから、どうするか考えることにしよう。」
「ねぇ、本当に神さまがいるんだ。聖書に、神さまはハートの中に住んでいる、って書いてあるもの。」
外科医は、もうたくさんだというそぶりで、「いいかい、君の心臓は病気なんだ。筋肉が弱まり、血液が充分流れてないんだよ。だから、治せるかどうか見てみるんだ」と言うと、病室を出て行った。
翌日、手術が終わり、外科医は術後の記録をつけた。「大動脈と肺動脈の損傷、広範囲にわたる心筋の変質、移植不能、治癒不能。痛み止めと静養。・・・長くて1年の余命。」 医師の心の中には様々な思いが渦巻いていた。
「なぜです」?神さま、なぜですか? あなたはあの子を地上に送り、痛みを与えた上に、その命をこんなに短く絶たれるとは・・・!」
主は答えて言われた。「その子は、天国の群れの子羊であって、地上の群れに長くいるように計画されていなかった。天国では痛みもなくなり、永遠にわたしと共にいるようになる。あの子の両親もいずれ天国にくることだろう。そうやって、わたしの群れはどんどん大きくなるのだ。」
外科医のほおを熱い涙が伝わった。それでも、さらに激しい怒りがこみ上げてくるのだった。
「でも、あなたがあの子を造られました。なのに、あと1年足らずで死ぬなんて。なぜそんなことをされるのですか?」
主は答えられた。「その幼な子は、わたしの子羊は、この世での任務を終えて、わたしのもとに帰るのだ。わたしがその子を地上に送り、幼くして天に召すのは、もう一匹の子羊、つまりあなたをも天国に導くためだったのだよ。」
外科医はすすり泣いた。
翌日、外科医は男の子のベットの脇に座った。男の子は目を覚まし、ささやき声でこう聞いた。
「僕のハートの中、見た?」
「あぁ、見たよ。」
「何かあった?」
外科医は答えた。 「そこにはね・・・神さまがいたよ。」
誰でも、出会う人に、一生に渡る影響を与える力を備えています。たとえ幼い男の子でも・・・。
きっと一人ひとりの神様からの使命が違うのだと思います。その使命が何なのかは神様は教えてくださりません。
きっと自分で考えることなのだと思います。今の自分を取り巻く環境がその使命を果たすための環境なのだと思います。
入院児と遊ぶボランティアやっていて、小さな子供に重い病気を神様は与えています。
きっと何か意味があると思いたいです。意味があると思い、本人も周りも行動すると神様の使命を果たすのではないかと信じたいです。
障害をかかえる息子、真輝くんを育てる野田聖子さん。日々子育てをしながら、また相模原事件を受け、何を思ったか。母親として国会議員として、いまの社会に伝えたいことを聞いた。
──今年7月、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で元職員、植松聖容疑者(26)が入所者19人を殺害する事件がありました。容疑者は逮捕後の取り調べでも一貫して「障害者は不要な存在」と主張し、ネットではその主張に共感する書き込みも見られます。
私はこの事件に驚きませんでした。こういう事件がいつか起きるんじゃないかという思いがずっとありましたから。
息子の真輝(5)は、へその緒の中に肝臓が飛び出す「臍帯ヘルニア」と、本来2本ある心臓につながる血管が1本しかない「心臓疾患」の障害を持っていることが、生まれる前にわかっていました。生まれた後も、食道と胃が分離する「食道閉鎖症」が見つかり、それが原因で気管軟化症となり呼吸が止まったため、気管切開して人工呼吸器もつけました。これまで手術を11回も受けています。
真輝が生まれてから、障害者を嫌悪する社会の空気をずいぶん吸い込んできたので、今回の事件は、単に用意されていた導火線に火が付いただけなんだと感じたんです。
──どんなときに「嫌悪」を感じてきたのでしょう。
最初に感じたのは息子に対して「かわいそう」って言われたときです。自然に出てくる言葉で悪意はないんだけど、かわいそうという言葉は上から目線だし、言われた瞬間、排除される感じがした。そこには障害者に対する不要感が漂っている。悪気がないだけ、社会のスタンダードなんだと感じました。
●医療費に「金食い虫」
──「障害者=不幸」と思っている人は多い。
うちの子はいろいろ不具合があるけど、私の家で十二分の看護体制のもと生活して、保育園だって看護師をつけて通っている。父親は仕事をなげうってまで看護してくれて両親に愛されている。「かわいそう」って言われたらギャップを感じます。私は真輝を障害児と思って育てていない。私にとっては最初で最後の子なので誰かと比べようもないし、「野田真輝」として育てているだけなんです。
──ネットでもいろいろと書かれています。
たくさんのチューブにつながれて生きる息子は「ばけもの」扱いされました。私は半分母で半分国会議員なんで、国会議員としてはなんともないんだけど、母親としては、見ず知らずの人の言葉の暴力が息子に向けられて、とても恐怖を感じました。「殺すのもやぶさかじゃない」という人たちだから、私が生きている間は息子を守れるけど、死んだあとはどうなるのだろうかと。ほかには、医療費がかかって「金食い虫」と言われたり、「医療費がかかる息子を見殺しにしろ」と言われたりね。
──作家の曽野綾子さんの著書『人間にとって成熟とは何か』では、野田さんについて、「自分の息子が、こんな高額医療を、国民の負担において受けさせてもらっていることに対する、一抹の申し訳なさ、か、感謝が全くない」と書かれていますね。
社会には「障害者は役立たずで国に負荷をかけている」と考える人がいますが、息子が今後どう社会に貢献するかわからないじゃないですか。少なくとも、今年改正された障害者総合支援法に「医療的ケア児」の言葉が入ったのは、息子の存在が大きかった。
●息子のおかげでプラス
──植松容疑者も「障害者は生きていてもしょうがない」と話していました。
周囲の人がその人がいることで潜在能力が引き出されて、世のために力を発揮する例も多い。例えば、ナミねぇのニックネームで知られる竹中ナミさんは、重度の心身障害がある娘がいたから起業して、誰もが生き生きと働ける社会実現のために活動を始めて、政府の会議の委員もされている。彼女は障害を持った子の親となったことで、社会へとても貢献していますよ。
私も息子のおかげでプラスになった。息子が生まれてきてくれたことで、自分に一番欠けていた政治家の資質を手に入れることができた。これまで弱者のための政治というのを頭でわかっていても、理解できていなかった。それが、この子によってストンとわかるようになった。差別は、こういう嫌な思いをするんだとかね。当事者感覚で受け止められるようになった。
ただ、一般的には、「障害児を産んだ母親は、家で24時間世話をしなきゃいけない」的な圧力があって、働くこともできずに貧困になっちゃう人が多い。そこは改善していきたい。
●休息も許されない親
──今回の事件では被害者の名前も公表されませんでした。
一部の遺族のお気持ちもわかるけど、私はやっぱり名前を出してほしかった。被害者が生きてきた何十年という人生がないことになってしまう。東日本大震災の犠牲者は未来永劫記憶に残るけど、今回の被害者は残らない。思い出すことで事件を検証できることもあるのに。
──出生前診断が広がり、染色体異常がわかれば中絶を選ぶ人が増えています。
私は、その判断については是も非もないと思う。障害のある子を育てていけるかどうかという環境にかかっているから。この国の空気はまだ冷たい。私がおなかの子に障害があるってわかって産むことを決めたのは、育てていける環境にあったから。でも環境がない人もいる。
しかも、産んだらペナルティーとして「まずは親が育てろ」みたいな社会の圧力がある。在宅医療の介護者はレスパイト(休息を取ること)も許されない。24時間働けますかの世界。異常ですよ。
私たちも真輝が2歳3カ月で退院したとき、胃ろうで数時間おきに食事を取っていたし、気管切開しているのでこまめなたんの吸引が必要でした。夜じゅう「あ、ご飯だ」「あ、アラームが鳴ってる」という状態。一睡もできない日もあるし、3時間寝られたら御の字という生活でした。当時は自民党の総務会長で仕事も忙しかったから、本当に大変で。(指さして)この足の傷は当時、目が回って官邸の階段から落ちたときのものです。
──今も生活は落ち着きませんか。
今は、真輝が午後6時半に保育園から帰宅して、だいたい午後7~8時に訪問看護があって、メディカルチェックとお風呂。その1時間にだいたい夫が急いでご飯をつくって食べます。私も会合があっても2次会には行かず、午後9時すぎには帰ります。月曜日と水曜日は休肝日と決め、保育園のお迎えも私が担当。その日は夫に息抜きしてもらっています。
●母子同伴求める学校
──野田さんのブログに登場する真輝くんは、とってもわんぱくで、「医療的ケア児」のイメージを覆します。
医療的ケア児というと、イメージがわかないでしょう。今回の改正障害者総合支援法案の国会審議のときには、真輝の写真を資料にほしいと頼まれました。人工呼吸器や胃ろうをしていても、他の子と同じように歩いたり走ったりできる子もいる。
© Asahi Shimbun Publications Inc. 提供 障害児の母として社会の嫌悪を感じてきたという衆院議員の野…
医療が発達してこれまで助からなかった赤ちゃんも助かるようになり、医療的ケア児は増えていたんだけど、肝心の社会基盤を支える法律の中で存在が認められていなかった。だから問題が次々起きた。
一番大変なのは教育。医師法のもと、家族以外は医師、看護師しか医療的ケアができない。でも、学校には医師、看護師は常時配置されていないので、例えば、時折たんの吸引と胃ろうをしてくれればちゃんと小学校に通える子が通えず、義務教育が受けられないという憲法違反にも近いことが起きている。うちの息子も来年小学生になるんだけど、特別支援学校ですら看護師がいなくて、通学するには「母子同伴で」と。でもそんなの学校じゃないし、毎日学校行ったら、母親の私は国会議員の仕事ができなくなっちゃう。
養護教諭がある一定の研修を受ければ医療的ケアをできるようにしたらいい。食物アレルギーの子どものために、緊急時には教師や保育士もエピペンを打てるようになった。変えようと思ったらできるんです。
●見えがあるから伸びる
──保育園でも入園を断られるケースがほとんどです。
今年、「保育園落ちた日本死ね!!!」のブログが話題になりましたが、そもそも落ちる保育園もないんだよというのが我々。
私は、自分の給料から看護師を雇って、真輝を保育園に通わせています。看護師がいれば真輝のような子でも保育園に通えた、というエビデンスを出して、制度が変われば、次の人たちは実費負担をせずとも保育園に通えるようになる。そのために捨て石になろうと思っています。
なにより、子どもは保育園に通って成長する。うちの子もトイレトレーニングは保育園のおかげで進んだ。やっぱり親には甘えちゃうから、家にいるときはオムツがいいって言う。でも保育園では1回ももらさずにおしっこもうんちもできるようになった。子どもだって見えがある。だから伸びる。
いま私が掲げようと思っている政策が、保育園・幼稚園の義務化。そうすれば、障害のある子も当然入る権利が出てくる。健常の子たちも小さいうちから多様性を知ることができます。
●健常者なんて幻
──社会は障害者とどう接していいのかもわかっていません。
まずは慣れてほしいと思うんですよね。やっぱり無知・無関心がやっかいな壁。日本ではもっともっとコマーシャルにも障害者を使ってもらいたい。アメリカでは、当たり前のようにオムツのコマーシャルにダウン症の子が出演していたりする。
大手広告会社の社長と会ったときに「どんどん出してください」と伝えたら、視聴者から「障害者をさらすな」という意見が来ると言っていました。
でもどんどんさらしてほしい。変な話、ちょっと前まで(お笑いのトレンディエンジェルの)斎藤さんのように薄毛の人もテレビに出てこないタイプだった。でもさらされているうちに私たちも気にならなくなった。障害者もさらしていくしかない。
ただ、ブログやメディアで息子の話や写真を載せることについて、夫婦で意見が分かれているんです。夫は一般人なので、二つ心配していて。息子が物心ついたとき傷つくかもしれない、もうひとつは顔が知られて社会でターゲットにされたらどうするのかと。私も不安はありますけど、真輝のおかげで声を上げられなかった医療的ケア児がアクティブになって、息子の存在が社会の役に立っている。彼のプライドを保てると言って強引に夫を説き伏せています。
──この社会は障害者と健常者に溝があります。
昔は社会の要は男で、頑丈な人が国を代表し、それ以外は女性も年寄りも障害者もアウトでしたから、その名残じゃないかと思います。
女性でも恋も女も捨てて「男」として働く人たちは社会の一角として生きられて、障害者もホーキング博士のような非常に優秀な人は食い込むことができたけど、普通の女性や障害者は社会で活躍できない。でも、社会は少しずつ変えることができる。今年は4月に障害者差別解消法が施行されました。
──政治家・野田聖子としてやりたいことはなんですか。
私は世の中の価値をすべての人が共有し実感できるようにしたい。人材ミスマッチで、能力があるのに障害があり就職できないから単純作業をしています、というのはもったいない。多様な人々の働き方のメニューをつくり、働き方改革ができたらいい。
そして「健常」っていう言葉をなくしたい。健常者の定義なんてないでしょ。健常と障害の境目なんてどこにあるのか誰にもわからないし、健常者って正直、幻だと思います。年を取れば誰もが障害者になる可能性があるんですから。(編集部・深澤友紀)※AERA 2016年11月7日号
感想;
障害児が生まれるのは、神様が必要と思って世に送り出しています。
障害児として生まれる選択肢をその子が選んでいます。
そして、その子を育てられる親を神様が選んでいます。
上記の考え方もあります。
障害児は社会の役に立っていないとみるのか、大きな使命をはたしているとみるのか。
大きな使命を持って生まれてきていると思います。
誰かに神様のメッセージを伝えるために。
野田聖子さんは息子さんがいることで、政治の姿勢が変わったとのこと。
これはとてもステキなことでないでしょうか。
野田聖子さんができる役割は大きいです。
それにしても曽野綾子さんはクリスチャンの精神があるのだろうか?と思ってしまいます。
それと、曽野綾子さん、大丈夫?と心配になってきます。
http://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/7f6703d65e3d97d2c7c13f2741b84133
「人間にとって成熟とは」曽野綾子著 野田聖子議員の息子さんの医療費について批評
僕のハートの中には
僕のハートの中には(雑誌アクティベートより)
(英語のハートには、「こころ」と「心臓」の意味があります)
ある病院の小児科病棟で、外科医が、男の子にこう切り出した。
「明日の朝、君の心臓(ハート)をのぞいてみようかな。」
するとすかさず、男の子が言った。「僕のハートの中には、神さまがいるんだよ!」
外科医は戸惑った顔をした。「手術をして、どこが悪いかを調べるんだ」
「でも、先生、そこには神さまがいるんだ。」
外科医は、その子の両親をちらりと見て、こう続けた。「手術が終わったら、ちゃんと元通りに閉じるからね。それから、どうするか考えることにしよう。」
「ねぇ、本当に神さまがいるんだ。聖書に、神さまはハートの中に住んでいる、って書いてあるもの。」
外科医は、もうたくさんだというそぶりで、「いいかい、君の心臓は病気なんだ。筋肉が弱まり、血液が充分流れてないんだよ。だから、治せるかどうか見てみるんだ」と言うと、病室を出て行った。
翌日、手術が終わり、外科医は術後の記録をつけた。「大動脈と肺動脈の損傷、広範囲にわたる心筋の変質、移植不能、治癒不能。痛み止めと静養。・・・長くて1年の余命。」 医師の心の中には様々な思いが渦巻いていた。
「なぜです」?神さま、なぜですか? あなたはあの子を地上に送り、痛みを与えた上に、その命をこんなに短く絶たれるとは・・・!」
主は答えて言われた。「その子は、天国の群れの子羊であって、地上の群れに長くいるように計画されていなかった。天国では痛みもなくなり、永遠にわたしと共にいるようになる。あの子の両親もいずれ天国にくることだろう。そうやって、わたしの群れはどんどん大きくなるのだ。」
外科医のほおを熱い涙が伝わった。それでも、さらに激しい怒りがこみ上げてくるのだった。
「でも、あなたがあの子を造られました。なのに、あと1年足らずで死ぬなんて。なぜそんなことをされるのですか?」
主は答えられた。「その幼な子は、わたしの子羊は、この世での任務を終えて、わたしのもとに帰るのだ。わたしがその子を地上に送り、幼くして天に召すのは、もう一匹の子羊、つまりあなたをも天国に導くためだったのだよ。」
外科医はすすり泣いた。
翌日、外科医は男の子のベットの脇に座った。男の子は目を覚まし、ささやき声でこう聞いた。
「僕のハートの中、見た?」
「あぁ、見たよ。」
「何かあった?」
外科医は答えた。 「そこにはね・・・神さまがいたよ。」
誰でも、出会う人に、一生に渡る影響を与える力を備えています。たとえ幼い男の子でも・・・。
きっと一人ひとりの神様からの使命が違うのだと思います。その使命が何なのかは神様は教えてくださりません。
きっと自分で考えることなのだと思います。今の自分を取り巻く環境がその使命を果たすための環境なのだと思います。
入院児と遊ぶボランティアやっていて、小さな子供に重い病気を神様は与えています。
きっと何か意味があると思いたいです。意味があると思い、本人も周りも行動すると神様の使命を果たすのではないかと信じたいです。