心は精神でコントロールできる
心が強い人は、心、精神、身体(習慣)のバランスがよい。心は精神と身体にしっかり支えられている。
心が弱い人は、心の部分が肥大化して、精神と身体(習慣)が縮小している。
「心の問題」を抱えている人が増えているということは、それだけ日本人の「精神」と「身体」が弱っていることを意味する。ならばその部分を鍛えなおすことで、相対的に「心の問題」を小さくできるのではないか。
幕末に多くの国の将来を憂う志士が出てきたが、論語など四書五経を学んでいたからではないか。論語などの素読が寺子屋などで行われていたがそれが精神を鍛える役割があった。
吉田松陰 留魂録 より
「私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。それが単なるモミガラなのか、成熟した栗の実であるのかは私の知るところではない。もし同士の諸君の中に、私のささやかな真心を憐み、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになろう。同士よ、このことをよく考えてほしい」
藤本義一が若かりしころ、映画の撮影所で下働きをしていた時、求人の張り紙を見て、それを書いた川島雄三監督を尋ねた。監督は背中を向けたまま、「プロとアマチュアはどう違うのですか?」と聞いてきた。突然でこまったが、「プロというのは、いやなことをするから好きなことができると思います。アマチュアというのは、いやなことを避けるから、好きなこともできないと思います」と答えたら、監督が「よし、入りなさい」と言ったんですよ。
「ある明治人の記録」からは一行一行から「精神」が感じられる。幕末の会津に生まれ、最終的に陸軍大将まで昇り詰めた柴五郎の少年時代の回顧録だ。幼少期に戊辰戦争を経験し、本人を残し、祖母、母、兄嫁、姉妹が自刃。その記憶を背負って生きるつらさと心強さが伝ってくる。太平洋戦争が始まった際、「この戦は負けです」と言い切った人物でもある。
心が弱った時に「夜と霧」ビクトール・フランクル著(精神科医がナチスの強制収容所での体験記)を読もう。心が弱った時だからこそ、その時の状況に気持ちを寄せることができる。
身体に集中すれば心は黙る
・サウナで汗をかく
・カラオケボックスで1時間ほど歌う
・合谷(親指と人差し指の付け根)と労宮(手の内側の真ん中)を押す
・肩甲骨を回す
・頭皮を両手の指で思いっきり揉む
・ぼんのくぼ(首の後ろと頭の間)をマッサージするとやる気が出る
・テンションをあげるなら「ハッハッハッハ」と小刻みに息を吐く
・気を鎮めるなら「1~2秒だけ軽く息を吸ってすぐに止め、次に8秒ほどかけてフーッとゆっくり吐き出す
・新しい免疫学を提唱されている安保徹によると、指の爪の両脇をもう一方の指の爪で強く挟んで雄と免疫力が高まる
人に判断を求めよ
もし自分で判断できないのなら、できる人に仰いでみる。これも一つの判断の仕方である。
感想;
ロゴセラピーでは、精神が心と身体をコントロールしている。
心と身体は病気になることがあるが、精神は病気にならないと考えます。
精神、つまり、こういう生き方をしたい。
誰かのために、何かのために生きたいとの思いが精神になります。
その精神力があれば、いろいろなハードルがあっても乗り越えることができます。
この本の主旨では、精神、心、身体(習慣)の内、心が大きくなりすぎてしまってバランスを崩しているとのことです。
心の占めている割合を下げる必要がある。そのためには精神と身体(習慣)を大きくすることだと。
そのためのいろいろな方法が紹介されています。
真っ暗なトンネルの中で一歩歩むのは勇気が必要になります。
しかし、この先には必ず出口(光)があると信じる、つまり自分の心に明かりを灯す(自明灯)とその明かりを信じて歩むことができます。それがまさに精神力になります。
自明灯を灯すことができる人が様々なハードルがあっても歩んでいける力が強いのでしょう。
心が強い人は、心、精神、身体(習慣)のバランスがよい。心は精神と身体にしっかり支えられている。
心が弱い人は、心の部分が肥大化して、精神と身体(習慣)が縮小している。
「心の問題」を抱えている人が増えているということは、それだけ日本人の「精神」と「身体」が弱っていることを意味する。ならばその部分を鍛えなおすことで、相対的に「心の問題」を小さくできるのではないか。
幕末に多くの国の将来を憂う志士が出てきたが、論語など四書五経を学んでいたからではないか。論語などの素読が寺子屋などで行われていたがそれが精神を鍛える役割があった。
吉田松陰 留魂録 より
「私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。それが単なるモミガラなのか、成熟した栗の実であるのかは私の知るところではない。もし同士の諸君の中に、私のささやかな真心を憐み、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになろう。同士よ、このことをよく考えてほしい」
藤本義一が若かりしころ、映画の撮影所で下働きをしていた時、求人の張り紙を見て、それを書いた川島雄三監督を尋ねた。監督は背中を向けたまま、「プロとアマチュアはどう違うのですか?」と聞いてきた。突然でこまったが、「プロというのは、いやなことをするから好きなことができると思います。アマチュアというのは、いやなことを避けるから、好きなこともできないと思います」と答えたら、監督が「よし、入りなさい」と言ったんですよ。
「ある明治人の記録」からは一行一行から「精神」が感じられる。幕末の会津に生まれ、最終的に陸軍大将まで昇り詰めた柴五郎の少年時代の回顧録だ。幼少期に戊辰戦争を経験し、本人を残し、祖母、母、兄嫁、姉妹が自刃。その記憶を背負って生きるつらさと心強さが伝ってくる。太平洋戦争が始まった際、「この戦は負けです」と言い切った人物でもある。
心が弱った時に「夜と霧」ビクトール・フランクル著(精神科医がナチスの強制収容所での体験記)を読もう。心が弱った時だからこそ、その時の状況に気持ちを寄せることができる。
身体に集中すれば心は黙る
・サウナで汗をかく
・カラオケボックスで1時間ほど歌う
・合谷(親指と人差し指の付け根)と労宮(手の内側の真ん中)を押す
・肩甲骨を回す
・頭皮を両手の指で思いっきり揉む
・ぼんのくぼ(首の後ろと頭の間)をマッサージするとやる気が出る
・テンションをあげるなら「ハッハッハッハ」と小刻みに息を吐く
・気を鎮めるなら「1~2秒だけ軽く息を吸ってすぐに止め、次に8秒ほどかけてフーッとゆっくり吐き出す
・新しい免疫学を提唱されている安保徹によると、指の爪の両脇をもう一方の指の爪で強く挟んで雄と免疫力が高まる
人に判断を求めよ
もし自分で判断できないのなら、できる人に仰いでみる。これも一つの判断の仕方である。
感想;
ロゴセラピーでは、精神が心と身体をコントロールしている。
心と身体は病気になることがあるが、精神は病気にならないと考えます。
精神、つまり、こういう生き方をしたい。
誰かのために、何かのために生きたいとの思いが精神になります。
その精神力があれば、いろいろなハードルがあっても乗り越えることができます。
この本の主旨では、精神、心、身体(習慣)の内、心が大きくなりすぎてしまってバランスを崩しているとのことです。
心の占めている割合を下げる必要がある。そのためには精神と身体(習慣)を大きくすることだと。
そのためのいろいろな方法が紹介されています。
真っ暗なトンネルの中で一歩歩むのは勇気が必要になります。
しかし、この先には必ず出口(光)があると信じる、つまり自分の心に明かりを灯す(自明灯)とその明かりを信じて歩むことができます。それがまさに精神力になります。
自明灯を灯すことができる人が様々なハードルがあっても歩んでいける力が強いのでしょう。