あさチャンでキャスター。3時半にテレビ局に入る。新聞各紙に目を通す。5時25分に番組スタート。この局の看板娘。
1984年 大阪生まれ。26歳でフリーアナウンサー。3年前、あさチャンに。
あさチャンは4年目。2時に起きている。最初は辛かった。朝起きて、頭をフル回転させるのに苦労した。家の中ではボーとしている。ボーとしていても平気。お仕事いただけるのはありがたいですね。1曲目はウルフルズ「笑えれば」が、新人アナの自分を励ましてくれた曲。大阪出身なので大阪弁がなかなか直らない。親とも連絡を取らないようにしていた。今聞いてもぐっときましたね。
国語の本読みが大好きだった。内弁慶で人見知りもあった。先生から、「本読み上手だね」と言われて、何度も正の字を書いて練習した。アナウンサーの仕事があるんだと知った。
新体操を中高していた。自分の身体を使って表現してみたいと思った。遊びもした。友だちとプリクラ撮ったり。電車の中の男性が気になり、お互いにグループで、松本君(かばんに名前が書いてあった)。ずっと見ていたら、車両を変えられた。ちょっとだけ茶髪。バンドマンだった。そのころはそういう人をあこがれた。大学ではベトナム語を学んだ。ちょうどその頃、ベトナムの雑貨が人気だったので。3年のゼミで日本語を選んだ。外国語の上達は日本語の能力に比例すると言われて。日本語のゼミを取っていて、小さい頃、アナウンサーになりたかったなということを思いだした。
日テレだけを受けた。他は受けていない。アナウンサーはこうあるべきだと。アナウンサーはテレビに出られる唯一の黒子。出演者と視聴者とつなぐ。心掛ける精神を教えられた。精神の方が大きなアイデンティティだった。1年目でみのもんたさんの番組のアシスタントとして出た。カメラの前におじいちゃんがいると思って話しかけなさいとみのもんたさんから言われた。母から毎日ダメ出しを受けている。母親はいつも手厳しい。特に上から目線で言ったことなど。今は言ってくれる人がいない。日テレの時は言ってくれる人が多かった。フリーになってから、マツコ・有吉の番組に出た。私でもビビる(サワコさん)。番組が終わると頭痛になっていた。呼吸が浅かったと思う。振られたら何を話そうかといろいろ考えてしまっていた。ディレクターから二人はあれこれ話が飛ぶからそれを戻すようにと言われていた。その後、芸達者な二人なので、二人に任せれば良いと思った。それまで私は何をやっていたのだろうと思った。
あさチャンでは皆さんに任せればよいかと思うようになった。お天気の井田さん、大阪出身なので関西弁でかけあっている。人の行動を健康基準で見てしまう。若い人が甘いものを食べていると「甘いものより、ナッツを食べるように」と言ってしまう。周囲の人も健康にしたい。
一人で食事に行くこともある。おひとりさまに抵抗なし。気になっていけない(サワコさん)。それは自意識過剰なのでは?
実は熱烈な相撲ファン。二人でしこを踏んだ。
あさチャン大相撲をやっていて、勢関がステキで、それで大相撲が好きになった。
これから気を付けることは。目の前のことを精一杯頑張る。
2曲目はハワイアンの「What a wonderful world」。一週間の仕事が終えた土曜日のサワコの朝を見てから聴く。見ていないのに(サワコさん)。部屋を片付けたりしながら。頑張ろうとリセットできる曲。
大学4年間、フラメンコやっていた。私も3か月やっていた(サワコさん)。二人でフラメンコを少し。さすが4年間やっていた人は違う(サワコさん)
感想;
見た目とは違って、”芯の強い”方の印象を受けました。
それと行動派。きっと自分に課しながらされているように思いました。
とても一生懸命な方なのでしょう。
恋もきっと一生懸命な方なので、いろいろなことがあったのでしょう。
良い男性に出会って欲しいと思いました。
1984年 大阪生まれ。26歳でフリーアナウンサー。3年前、あさチャンに。
あさチャンは4年目。2時に起きている。最初は辛かった。朝起きて、頭をフル回転させるのに苦労した。家の中ではボーとしている。ボーとしていても平気。お仕事いただけるのはありがたいですね。1曲目はウルフルズ「笑えれば」が、新人アナの自分を励ましてくれた曲。大阪出身なので大阪弁がなかなか直らない。親とも連絡を取らないようにしていた。今聞いてもぐっときましたね。
国語の本読みが大好きだった。内弁慶で人見知りもあった。先生から、「本読み上手だね」と言われて、何度も正の字を書いて練習した。アナウンサーの仕事があるんだと知った。
新体操を中高していた。自分の身体を使って表現してみたいと思った。遊びもした。友だちとプリクラ撮ったり。電車の中の男性が気になり、お互いにグループで、松本君(かばんに名前が書いてあった)。ずっと見ていたら、車両を変えられた。ちょっとだけ茶髪。バンドマンだった。そのころはそういう人をあこがれた。大学ではベトナム語を学んだ。ちょうどその頃、ベトナムの雑貨が人気だったので。3年のゼミで日本語を選んだ。外国語の上達は日本語の能力に比例すると言われて。日本語のゼミを取っていて、小さい頃、アナウンサーになりたかったなということを思いだした。
日テレだけを受けた。他は受けていない。アナウンサーはこうあるべきだと。アナウンサーはテレビに出られる唯一の黒子。出演者と視聴者とつなぐ。心掛ける精神を教えられた。精神の方が大きなアイデンティティだった。1年目でみのもんたさんの番組のアシスタントとして出た。カメラの前におじいちゃんがいると思って話しかけなさいとみのもんたさんから言われた。母から毎日ダメ出しを受けている。母親はいつも手厳しい。特に上から目線で言ったことなど。今は言ってくれる人がいない。日テレの時は言ってくれる人が多かった。フリーになってから、マツコ・有吉の番組に出た。私でもビビる(サワコさん)。番組が終わると頭痛になっていた。呼吸が浅かったと思う。振られたら何を話そうかといろいろ考えてしまっていた。ディレクターから二人はあれこれ話が飛ぶからそれを戻すようにと言われていた。その後、芸達者な二人なので、二人に任せれば良いと思った。それまで私は何をやっていたのだろうと思った。
あさチャンでは皆さんに任せればよいかと思うようになった。お天気の井田さん、大阪出身なので関西弁でかけあっている。人の行動を健康基準で見てしまう。若い人が甘いものを食べていると「甘いものより、ナッツを食べるように」と言ってしまう。周囲の人も健康にしたい。
一人で食事に行くこともある。おひとりさまに抵抗なし。気になっていけない(サワコさん)。それは自意識過剰なのでは?
実は熱烈な相撲ファン。二人でしこを踏んだ。
あさチャン大相撲をやっていて、勢関がステキで、それで大相撲が好きになった。
これから気を付けることは。目の前のことを精一杯頑張る。
2曲目はハワイアンの「What a wonderful world」。一週間の仕事が終えた土曜日のサワコの朝を見てから聴く。見ていないのに(サワコさん)。部屋を片付けたりしながら。頑張ろうとリセットできる曲。
大学4年間、フラメンコやっていた。私も3か月やっていた(サワコさん)。二人でフラメンコを少し。さすが4年間やっていた人は違う(サワコさん)
感想;
見た目とは違って、”芯の強い”方の印象を受けました。
それと行動派。きっと自分に課しながらされているように思いました。
とても一生懸命な方なのでしょう。
恋もきっと一生懸命な方なので、いろいろなことがあったのでしょう。
良い男性に出会って欲しいと思いました。