幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

阿川佐和子さん 「サワコの朝 土屋太鳳さん」 "映画「シーザー・ハンド」に感動して女優を!”

2017-04-01 09:53:45 | 生き方/考え方
女優で、現役の体育大学生。
ケーキ作りも上手。朝ドラ「まれ」のヒロインから2年。
小学5年生の時に自ら映画のオーディションに申し込み。
朝5時に起きて、何かにつながれ!と思う。
不思議な土屋ワールドにサワコさんが迫る。

TBSの感謝祭での走り、全力で走る姿に多くの人が感動!
「赤坂5丁目ミニマラソン」に参加。女性トップ。IQ246をPR。
あの時は失神寸前だった。坂が多くて半端じゃなかった。
「いい坂だったと思った。超えられるなら超えてみようと思った」。周りからの声援が苦しくても走りきれた。森脇健児さんに「ペースをあげろ」と背中を押して貰えた。

1曲目エンヤ「Only Time」。役作りの時に聞いたり、役作りから戻る時に聞く。大地の声を聴いている感じ。何遍も聞いているけど飽きない。

小さい時から、演技に興味があった。映画「シザー・ハンド」を見て、映画はこれほど人の心に気持ちを残すものだと思った。兄弟は皆スポーツやっていて、自分は劣っていた。何かできないかなと思っていた。しゃべるのが苦手で、役に手を上げなかったら「酔っ払い役」を貰った。ペットボトルに色つけてやったら、見てくださった人が笑っていただいて「良かった」と言って貰えた。
ソニー・フェニックスの募集を新聞で見て、フェニックスは鳳、私の名前も鳳、何か縁を感じて受けた。

オーディションに受かって、女優業「トウキョウソナタ」でデビュー。オーディションを受けたけど、役をなかなか貰えなかった。悔しい思いをたくさんした。1本お仕事したら、半年は次の仕事はなかった。年1本の仕事が目標だった。

「まれ」で何でもよいから仕事を欲しかった。お芝居を習ったことがなく、基礎がないので。織田裕二さんは素晴らしかった。役作りに普段から入り込んでいた。

活舌が小さい時悪かった。演技する前に声が出なくなって枯れてしまった。いろんな医者に診て貰ったがわからなかった。それを聞いた歯医者さんが「舌しょう体が短いからではないか」と伝えてくれて、それで手術したら、ラリルレロ、タチツテトが言えるようになった。手術はとっても痛かった。

19時には寝るように言われた。朝は5時に起きていた。姉が喘息持ちだった。早く寝させたら治ったので、家族も同じ生活にした。父はのほほんとしている。門限は17時に帰って来なさい。遅れると家に入れてもらえない。反抗期に母からこの家のルールに従いなさい。大人になるために必要と。母は厳しかった。

踊ったり、運動は好きだった。3歳から15歳までダンスをやっていた。女子体育大学で舞踏をやりたいと思った。シーアさんのミュージックビデオに出演した。シーアさんの曲に悪魔と言う言葉があって、気になって調べたら悪魔は元天使だった。人には誰にでもあるなと。全身で生きる、演技する。指先まで表現して、何かに伝われと思ってやっている。

2局目、中島みゆき「宇船(そらふね)」。歌詞が心の支えになる。この曲を聞いて頑張れと思う。体力だけは自信あるので。「怠けたい時はいつでも教えてあげますよ」(サワコ)。

感想
土屋さんは独特の雰囲気を持っている女優さんだと思いました。
やはりやりたいことに取り組むのがそれに向けて努力ができるのでしょう。

努力の前に、Visionがある。
やりたいことがあって、それに向けて努力するから頑張れるのでしょう。
Visionが本当にやりたいことかどうかなのでしょう。