https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170428-00010000-nkbizgate-bus_all日経BizGate 4/28(金)
計画に追いかけられる… 日本人の計画好きのルーツはPDCAにあり
これは某企業の新人採用担当の方にお聞きした話です。最近の新人に希望部署を訊ねると「経営企画部」という声が増えているとのこと。新人たちも経営企画は会社のエースが集う部署だと思っているようです。
経営企画という名の部署が会社に増えはじめたのは90年代のこと。バブル崩壊後の不況にあって、あらゆる経営上の難問を解決するため、多くの大企業は「経営企画部」を立ち上げました。経営企画部こそは「計画と管理」体制づくりを担う会社の要。しかし、その実態は、新人たちのあこがれとは裏腹なようです。
彼らは自嘲気味にこう言います。「俺たちはしょせんパワポ作成部だよ」と。彼らは1年中何かの計画をつくり、それをパワポできれいに仕上げます。絵に描いた餅ならぬパワポに描いた餅、本人たちすら「何の意味があるんだろう」と、ため息まじりの声を漏らしています。どうしてこんなことになってしまったのでしょう?
私が思うに、その大きな理由のひとつがこの国の「PDCA愛好」です。日本人はPDCAが大好きです。「PDCAを回す」――どれだけこのフレーズを聞いたことやら。いまや多くの会社で、PDCA(Plan-Do-Check-Action)が合い言葉になっています。
もともとモノづくりの品質を高めるために取り入れられたPDCAは、あらゆるビジネスシーンに活用されています。それはもはや宗教と呼べるほどの状態。PDCAクルクル教の信者たちは、何事を行うにも計画(Plan)を作らねば気が済みません。たとえば会社の未来像を示す中期経営計画をつくり、そして毎年の予算をつくる。
不況はこの国に計画ブームを呼び、あちこちにPDCA信者を増やしていきました。ここで不況にもがく日本の会社は、願望に似た無理な計画をつくりがち。想定できなかったライバルの登場やマーケットの変化が起こったとしても、当初計画は初志貫徹、下の現場には達成が厳しく義務付けられます。
こうした無理な計画に固執する姿勢は、「ウソつき」を生み出しかねません。東芝の不正会計事件はその典型といえるでしょう。また、たとえば建設業の現場で、どう考えても無理な納期・コストで指示が行われると手抜き工事が行われかねません。無理な納期やコスト削減の計画は、不正や手抜きなどにつながる可能性があります。
そして計画が達成されないと、必ず「お前たちはなにをやっているんだ!」とばかり、現場に疑いの目が向けられます。「計画が未達に終わるのは、現場がやるべきことをやっていないからだ」。このような解釈のもと、従業員は日々の行動「Do」を細かくチェックされるようになります。あらゆる仕事について「何をすべきか」の具体的な行動計画が部下に与えられ、各人はその任務を正しく遂行したかどうかで評価されます。
このように部下の行動を細かく管理するマイクロ・マネジメント体制のもとでは、直属の上司に言われたことしかやらない=評価されることしかやらない社員が増えていきます。厳しく行動を管理することが「受け身体質」を生みだしてしまうのです。
無理な計画(P)、その達成に向けた行動(D)を詳細に管理するマイクロ・マネジメント。それらには、「ウソつき」と「受け身体質」を増やす危険があります。
日本企業の抱える新・3つの過剰
不況だからこその無理な計画と、それに伴うマイクロ・マネジメント。この流れにダメを押したのが90年代に登場したITです。「計画による管理」を推し進める上で、ITは強力なツールになりました。計画づくりにも、そして行動の管理を行うためにも情報データが活用されます。社内情報システムからはき出される四半期、月次、日次の業績データによって、PDCAの「C:check」を頻繁に行える体制が整いました。
事前計画の達成状況は、四半期、月次、週次、ときに日次でチェックされます。この、めまぐるしい短期的なチェック体制によって、「長い目で顧客のことを考える・従業員を育てる」ことがむずかしくなります。ITによる短期的なチェック(C)は、目先のことばかりを考える「視野狭窄」な行動を引き起こしかねません。
また、PDCAの最後に実行「A:Action」された結果は、十分に吟味、検証されることなく、次のPに反映されずに終わることが多いようです、なぜなら、みんな次の計画(P)をつくることに精一杯で、過去を振り返っている余裕がないからです。そこでは過去の反省を活かすことなく、毎度のように「対前年比」で計画がつくられます。
かつて1999年の経済白書は日本企業について「雇用・設備・債務」3つの過剰を指摘しました。厳しいリストラの末に、やっと一息ついたかに思えた日本企業ですが、ここにきて新たな過剰を抱えています。それが「計画・管理・情報」の過剰です。
不況だからこそつくられる無理な計画、それを達成させるための過剰な管理、そのチェックを可能にするITの過剰な情報。過剰計画・過剰管理・過剰情報。計画過剰は「ウソつき」を生み出し、管理過剰は「受け身体質」を生み出し、そして情報過剰は「視野狭窄」を生み出します。
これら日本企業をめぐる新・3つの過剰は、いつの間にか組織の柔軟性を蝕み、個人の自主性を奪っていく深刻な病です。一刻も早く「ウソつき・受け身・視野狭窄」の社員たちを「動き・動かし・動ける」方向へもっていく方法を考えねばなりません。
すべてを計画することは不可能である
まずは「計画による管理」の有効性をハッキリさせることが肝要です。
PDCA的な計画による管理は、環境が安定的で変化の少ないビジネスではかなり有効です。たとえば、ある程度確実に需要が見込めるメーカーでは、経営計画や予算計画を立て、それによって従業員の行動を管理することができます。需要に短期的な変動があったとしても、それが循環的に繰り返される性質のものであれば、それを「早めに想定して動く」ことで対応可能です。よく言われる「PDCAを高速回転させる」というのが、これに当たるでしょう。
しかし、そのような「想定できる変化」ではなく、「想定できない変化」が起こるのであれば少々話がちがいます。そこでは従来の「計画による管理」が有効性を失ってきます。その典型的な例が、ゲームソフトやネット関係のビジネスを展開している会社。これらの会社経営者は「計画など、つくりたくてもつくれない」と、よく口にします。
生活に必要なモノならともかく、エンタテインメント・ビジネスのサービスは需要がまったく読めません。出しても売れるかどうかわかりません。売れていても、いつ売れなくなるかわかりません。いつどこからライバルが出てくるか、ユーザーに飽きられるか、まったく予測ができないからです。
このような「先が見えない」ビジネスでは、数カ月先の売上すら読めません。だとすれば計画を立てること自体むずかしく、計画を立てたとしてもそれを何度となく変更しなければなりません。
「想定できない変化」が起こる環境では、軍事でもビジネスでも、指揮官は同じ結論に至るようです。「すべての未来を計画することは不可能である」。ならば「想定できない変化」にどう対応すればいいかを考える――ここにPDCAを超える新たな経営企画の道筋があります。
田中靖浩著 『米軍式 人を動かすマネジメント』(日本経済新聞出版社)から
感想;
ツールはツールに問題があるのではなく、それを使う側に問題があるのではないでしょうか?
Planの計画には問題がありません。
無理な計画をするところに問題が潜みます。
無理を行うために偽造や隠ぺいが生じるのです。
その無理な計画を強いているのが経営層なのです。
経営層のその問題をPlan Do Check Actionのツールのせいにしているのは問題の本質を忘れているように思うのですがいかがでしょうか?
頻繁なCheckも問題にされています。
これもCheckの項目とやり方です。
排気ガスの問題など、本来CheckしないといけないことがCheckされずに偽造できる仕組みになっていたことが問題です。進捗状況よりもこのような問題点がCheckされずに、計画通り進んだかのCheckだけになっているから、問題なのだと思います。
変化を取り入れられない。
これは一度計画したものを、経営環境の変化で柔軟に対応する仕組みも意識も乏しいから起きてくるのだと思います。
そこには売り上げ、利益を計画通りに達成したいとの経営層の強い意思があるからです。
売り上げ並びに利益は結果であって、目的ではありません。
経営層の自分たちの評価を優先するために、売り上げと利益が至上主義に陥っている経営層に問題があるのではないでしょうか?
Plan Do Check Actionのせいにしてしまうと本質を見失うように思います。
Plan Do Check Actionに問題あるのではなく、使う側に問題があるのだと思います。
それよりも、まずは経営層のマインドが一番の課題だと思います。
日本電産創業者 永森重信氏
「病は気からと言うが、企業もおかしくなるのは社員の心や経営者の心情からだ。まず心を治さないと会社はよくならない。企業再建で感じるのは社員の心が病んでいることだ。社員の心が病むのは経営者に問題があるからだ。経営者に問題があると、社員の士気はどんどん落ち、品質やサービスの質が低下する。経営者への不満と不安の繰り返しで業績はさらに落ちて行く。
計画に追いかけられる… 日本人の計画好きのルーツはPDCAにあり
これは某企業の新人採用担当の方にお聞きした話です。最近の新人に希望部署を訊ねると「経営企画部」という声が増えているとのこと。新人たちも経営企画は会社のエースが集う部署だと思っているようです。
経営企画という名の部署が会社に増えはじめたのは90年代のこと。バブル崩壊後の不況にあって、あらゆる経営上の難問を解決するため、多くの大企業は「経営企画部」を立ち上げました。経営企画部こそは「計画と管理」体制づくりを担う会社の要。しかし、その実態は、新人たちのあこがれとは裏腹なようです。
彼らは自嘲気味にこう言います。「俺たちはしょせんパワポ作成部だよ」と。彼らは1年中何かの計画をつくり、それをパワポできれいに仕上げます。絵に描いた餅ならぬパワポに描いた餅、本人たちすら「何の意味があるんだろう」と、ため息まじりの声を漏らしています。どうしてこんなことになってしまったのでしょう?
私が思うに、その大きな理由のひとつがこの国の「PDCA愛好」です。日本人はPDCAが大好きです。「PDCAを回す」――どれだけこのフレーズを聞いたことやら。いまや多くの会社で、PDCA(Plan-Do-Check-Action)が合い言葉になっています。
もともとモノづくりの品質を高めるために取り入れられたPDCAは、あらゆるビジネスシーンに活用されています。それはもはや宗教と呼べるほどの状態。PDCAクルクル教の信者たちは、何事を行うにも計画(Plan)を作らねば気が済みません。たとえば会社の未来像を示す中期経営計画をつくり、そして毎年の予算をつくる。
不況はこの国に計画ブームを呼び、あちこちにPDCA信者を増やしていきました。ここで不況にもがく日本の会社は、願望に似た無理な計画をつくりがち。想定できなかったライバルの登場やマーケットの変化が起こったとしても、当初計画は初志貫徹、下の現場には達成が厳しく義務付けられます。
こうした無理な計画に固執する姿勢は、「ウソつき」を生み出しかねません。東芝の不正会計事件はその典型といえるでしょう。また、たとえば建設業の現場で、どう考えても無理な納期・コストで指示が行われると手抜き工事が行われかねません。無理な納期やコスト削減の計画は、不正や手抜きなどにつながる可能性があります。
そして計画が達成されないと、必ず「お前たちはなにをやっているんだ!」とばかり、現場に疑いの目が向けられます。「計画が未達に終わるのは、現場がやるべきことをやっていないからだ」。このような解釈のもと、従業員は日々の行動「Do」を細かくチェックされるようになります。あらゆる仕事について「何をすべきか」の具体的な行動計画が部下に与えられ、各人はその任務を正しく遂行したかどうかで評価されます。
このように部下の行動を細かく管理するマイクロ・マネジメント体制のもとでは、直属の上司に言われたことしかやらない=評価されることしかやらない社員が増えていきます。厳しく行動を管理することが「受け身体質」を生みだしてしまうのです。
無理な計画(P)、その達成に向けた行動(D)を詳細に管理するマイクロ・マネジメント。それらには、「ウソつき」と「受け身体質」を増やす危険があります。
日本企業の抱える新・3つの過剰
不況だからこその無理な計画と、それに伴うマイクロ・マネジメント。この流れにダメを押したのが90年代に登場したITです。「計画による管理」を推し進める上で、ITは強力なツールになりました。計画づくりにも、そして行動の管理を行うためにも情報データが活用されます。社内情報システムからはき出される四半期、月次、日次の業績データによって、PDCAの「C:check」を頻繁に行える体制が整いました。
事前計画の達成状況は、四半期、月次、週次、ときに日次でチェックされます。この、めまぐるしい短期的なチェック体制によって、「長い目で顧客のことを考える・従業員を育てる」ことがむずかしくなります。ITによる短期的なチェック(C)は、目先のことばかりを考える「視野狭窄」な行動を引き起こしかねません。
また、PDCAの最後に実行「A:Action」された結果は、十分に吟味、検証されることなく、次のPに反映されずに終わることが多いようです、なぜなら、みんな次の計画(P)をつくることに精一杯で、過去を振り返っている余裕がないからです。そこでは過去の反省を活かすことなく、毎度のように「対前年比」で計画がつくられます。
かつて1999年の経済白書は日本企業について「雇用・設備・債務」3つの過剰を指摘しました。厳しいリストラの末に、やっと一息ついたかに思えた日本企業ですが、ここにきて新たな過剰を抱えています。それが「計画・管理・情報」の過剰です。
不況だからこそつくられる無理な計画、それを達成させるための過剰な管理、そのチェックを可能にするITの過剰な情報。過剰計画・過剰管理・過剰情報。計画過剰は「ウソつき」を生み出し、管理過剰は「受け身体質」を生み出し、そして情報過剰は「視野狭窄」を生み出します。
これら日本企業をめぐる新・3つの過剰は、いつの間にか組織の柔軟性を蝕み、個人の自主性を奪っていく深刻な病です。一刻も早く「ウソつき・受け身・視野狭窄」の社員たちを「動き・動かし・動ける」方向へもっていく方法を考えねばなりません。
すべてを計画することは不可能である
まずは「計画による管理」の有効性をハッキリさせることが肝要です。
PDCA的な計画による管理は、環境が安定的で変化の少ないビジネスではかなり有効です。たとえば、ある程度確実に需要が見込めるメーカーでは、経営計画や予算計画を立て、それによって従業員の行動を管理することができます。需要に短期的な変動があったとしても、それが循環的に繰り返される性質のものであれば、それを「早めに想定して動く」ことで対応可能です。よく言われる「PDCAを高速回転させる」というのが、これに当たるでしょう。
しかし、そのような「想定できる変化」ではなく、「想定できない変化」が起こるのであれば少々話がちがいます。そこでは従来の「計画による管理」が有効性を失ってきます。その典型的な例が、ゲームソフトやネット関係のビジネスを展開している会社。これらの会社経営者は「計画など、つくりたくてもつくれない」と、よく口にします。
生活に必要なモノならともかく、エンタテインメント・ビジネスのサービスは需要がまったく読めません。出しても売れるかどうかわかりません。売れていても、いつ売れなくなるかわかりません。いつどこからライバルが出てくるか、ユーザーに飽きられるか、まったく予測ができないからです。
このような「先が見えない」ビジネスでは、数カ月先の売上すら読めません。だとすれば計画を立てること自体むずかしく、計画を立てたとしてもそれを何度となく変更しなければなりません。
「想定できない変化」が起こる環境では、軍事でもビジネスでも、指揮官は同じ結論に至るようです。「すべての未来を計画することは不可能である」。ならば「想定できない変化」にどう対応すればいいかを考える――ここにPDCAを超える新たな経営企画の道筋があります。
田中靖浩著 『米軍式 人を動かすマネジメント』(日本経済新聞出版社)から
感想;
ツールはツールに問題があるのではなく、それを使う側に問題があるのではないでしょうか?
Planの計画には問題がありません。
無理な計画をするところに問題が潜みます。
無理を行うために偽造や隠ぺいが生じるのです。
その無理な計画を強いているのが経営層なのです。
経営層のその問題をPlan Do Check Actionのツールのせいにしているのは問題の本質を忘れているように思うのですがいかがでしょうか?
頻繁なCheckも問題にされています。
これもCheckの項目とやり方です。
排気ガスの問題など、本来CheckしないといけないことがCheckされずに偽造できる仕組みになっていたことが問題です。進捗状況よりもこのような問題点がCheckされずに、計画通り進んだかのCheckだけになっているから、問題なのだと思います。
変化を取り入れられない。
これは一度計画したものを、経営環境の変化で柔軟に対応する仕組みも意識も乏しいから起きてくるのだと思います。
そこには売り上げ、利益を計画通りに達成したいとの経営層の強い意思があるからです。
売り上げ並びに利益は結果であって、目的ではありません。
経営層の自分たちの評価を優先するために、売り上げと利益が至上主義に陥っている経営層に問題があるのではないでしょうか?
Plan Do Check Actionのせいにしてしまうと本質を見失うように思います。
Plan Do Check Actionに問題あるのではなく、使う側に問題があるのだと思います。
それよりも、まずは経営層のマインドが一番の課題だと思います。
日本電産創業者 永森重信氏
「病は気からと言うが、企業もおかしくなるのは社員の心や経営者の心情からだ。まず心を治さないと会社はよくならない。企業再建で感じるのは社員の心が病んでいることだ。社員の心が病むのは経営者に問題があるからだ。経営者に問題があると、社員の士気はどんどん落ち、品質やサービスの質が低下する。経営者への不満と不安の繰り返しで業績はさらに落ちて行く。