ピラミッドの5W1H
What ピラミッドとは何か
墓として建設されたが様々なピラミッドがあり、4つのピラミッドを造った王もいた。
When ピラミッドはいつ建てられたのか
最初のピラミッドは紀元前2600年頃、最後のピラミッドは紀元後350年頃。
Where ピラミッドはどこに建てられたのか
ピラミッドは北はカイロ北部のアブ・ロアシュから、南はスーダン北部のメロエまで、ナイル川に沿って、約1,500Km以上の広域に広がっている。
Why ピラミッドはなぜ建てられたのか
最初は単純な単坑から、日干し煉瓦でできた四角い上部を持つものへと発展した。墓であるとともに王のための永遠の宮殿でもあった。ピラミッド周囲には河岸神殿、参道、葬祭神殿、周壁、衛星ピラミッドが密集している。
Who ピラミッドは誰が造ったのか
王たちは自分たちを神と見なしていた。ミイラ作りを劇的に発展させた。当初はナトロン(天然の炭酸ナトリウム)と樹脂に漬けて、亜麻布の包帯で巻いて乾燥させるだけと簡単な方法だった。しかし、王たちは、腐敗を防ぐために、遺体から内臓を取り出させ、頭蓋骨から脳みそを取り出すことを始めた。
How ピラミッドはどのように造られたのか
ピラミッドの石の2.5トンは軽い部類にはいる。玄室の梁は50~60トンの石。
ピラミッドは奴隷が使われたと思っていましたが、ピラミッドを造る労働者たちがいて、その労働者たちが住んでいたピラミッドタウンも発掘されています。
従来のピラミッド調査は発掘であったが、今は様々な最先端の技術が駆使されてピラミッドの内部構造などにもメスが入っている。
著者が中学生の時、サッカーの練習から帰ってくると、リビングのテレビがついており、エジプトのピラミッドの前で、二人のフランス人が何かを熱心に話す姿が映っていた。「北西に位置する大ピラミッドの入口が中心になく、東側に7.5mほどずれているのは、とても奇妙なことだ」「もしかすると西側には、これまで発見されていない秘密の空間があるのではないか」
座ることも忘れて、立ったままそのテレビ番組を見ていた。
このテレビ番組が、エジプトに興味を持ったきっかけだった。
高校時代は勉強もそっちのけで武道三昧だった。大学受験に失敗したときに習っていた古武道の師匠から、何のために大学に行きたいのか聞かれたので、「古代エジプトの歴史が好きなので、できれば、その勉強をした「と答えると、ではまず、エジプトに行ってくればいいと助言された。
「なるほど!」と単純に納得し、その日からエジプト行の準備を始めた。一年ほどかけてお金を貯め、エジプトのカイロに向かった。
日本で想像していたことと、まったく違う世界に戸惑う日々だったが、帰ろうとは思わなかった。とにかく、ここで生活を始めたかった。遺跡のガイドの仕事があると聞きつけ、日本人を専門とする現地の旅行会社に連絡した。アラビア語どころか、英語もおぼつかない素性も知れない十代の若造であるにもかかわらず、何とか雇って貰えることになった。
ガイドの仕事は楽しかった。勉強しなければならないことは山ほどあったが、墓や神殿を歩き回り、体感するように歴史を覚えていった。しかし、ガイドをすればするほど、本格的に大学で勉強したいという思いは増していった。
そんなある日、会社のマネージャーの中野さんの自宅に呼ばれた。奨学金を出すので、カイロ・アメリカン大学でエジプト学を勉強しないかと勧められた。「会社のなかに、専門家が一人くらいいてもいいと思います。しかし、会社に縛りつけるつもりはまったくないので、考古学の道に進みたければ、ぜひ進んで欲しいです」。当時、26歳になっていた。
大学4年生のとき、自分で研究テーマを決めて単位を取得できる「自主研究」制度を利用して、発掘チームに参加しようと考えた。しかし、知識も技術もない学生が学外の発掘隊に参加するのは容易なことではなかった。
そんなとき、ガイドの先輩が毎月、最前線で活躍するエジプト考古学者たちを招いて講演会を開いていたのだが、そこにピラミッド研究の第一人者であるアメリカ人考古学者マーク・レーナー博士が来ることになったのである。
講演会が終わり、レーナーと講演を企画した関係者と共に食事をすることになった。私はこれまで彼の書いた50本ほどの論文をや報告者をすべて読み込み、ファイリングしていたため、食事をしながら、これまで読んできたなかで疑問に思ったことをあれこれと質問してみた。丁寧に答えてくれた。質問の後に、卒業後はどうするつもりがと聞かれた。(あらかじめ、この質問を想定し、実は何度も答える練習をしていた)、「できればどこかの発掘隊に入りたいと思っています。ただ、まず卒業する前に、興味を持っている、レーナー博士のギザ台地マッピング・プロジェクトへ参加させてもらうことはできないでしょうか?」と尋ねた。
レーナーは、ファイリングされた自分の論文と報告書に手を置きながら、私の目をじっと見ると、「きみにやる気があるのであれば、歓迎しよう」と言ってくれた。
感想;
稲盛和夫著「生き方」より
結果=考え方(1番)×熱意(2番)×能力(3番)
考え方が1番大切。2番目が熱意。それがあれば能力は付いてくる。
好きなことに飛び込む(考え方)
そのための努力をする(熱意)
その結果、今があるのでしょう。
What ピラミッドとは何か
墓として建設されたが様々なピラミッドがあり、4つのピラミッドを造った王もいた。
When ピラミッドはいつ建てられたのか
最初のピラミッドは紀元前2600年頃、最後のピラミッドは紀元後350年頃。
Where ピラミッドはどこに建てられたのか
ピラミッドは北はカイロ北部のアブ・ロアシュから、南はスーダン北部のメロエまで、ナイル川に沿って、約1,500Km以上の広域に広がっている。
Why ピラミッドはなぜ建てられたのか
最初は単純な単坑から、日干し煉瓦でできた四角い上部を持つものへと発展した。墓であるとともに王のための永遠の宮殿でもあった。ピラミッド周囲には河岸神殿、参道、葬祭神殿、周壁、衛星ピラミッドが密集している。
Who ピラミッドは誰が造ったのか
王たちは自分たちを神と見なしていた。ミイラ作りを劇的に発展させた。当初はナトロン(天然の炭酸ナトリウム)と樹脂に漬けて、亜麻布の包帯で巻いて乾燥させるだけと簡単な方法だった。しかし、王たちは、腐敗を防ぐために、遺体から内臓を取り出させ、頭蓋骨から脳みそを取り出すことを始めた。
How ピラミッドはどのように造られたのか
ピラミッドの石の2.5トンは軽い部類にはいる。玄室の梁は50~60トンの石。
ピラミッドは奴隷が使われたと思っていましたが、ピラミッドを造る労働者たちがいて、その労働者たちが住んでいたピラミッドタウンも発掘されています。
従来のピラミッド調査は発掘であったが、今は様々な最先端の技術が駆使されてピラミッドの内部構造などにもメスが入っている。
著者が中学生の時、サッカーの練習から帰ってくると、リビングのテレビがついており、エジプトのピラミッドの前で、二人のフランス人が何かを熱心に話す姿が映っていた。「北西に位置する大ピラミッドの入口が中心になく、東側に7.5mほどずれているのは、とても奇妙なことだ」「もしかすると西側には、これまで発見されていない秘密の空間があるのではないか」
座ることも忘れて、立ったままそのテレビ番組を見ていた。
このテレビ番組が、エジプトに興味を持ったきっかけだった。
高校時代は勉強もそっちのけで武道三昧だった。大学受験に失敗したときに習っていた古武道の師匠から、何のために大学に行きたいのか聞かれたので、「古代エジプトの歴史が好きなので、できれば、その勉強をした「と答えると、ではまず、エジプトに行ってくればいいと助言された。
「なるほど!」と単純に納得し、その日からエジプト行の準備を始めた。一年ほどかけてお金を貯め、エジプトのカイロに向かった。
日本で想像していたことと、まったく違う世界に戸惑う日々だったが、帰ろうとは思わなかった。とにかく、ここで生活を始めたかった。遺跡のガイドの仕事があると聞きつけ、日本人を専門とする現地の旅行会社に連絡した。アラビア語どころか、英語もおぼつかない素性も知れない十代の若造であるにもかかわらず、何とか雇って貰えることになった。
ガイドの仕事は楽しかった。勉強しなければならないことは山ほどあったが、墓や神殿を歩き回り、体感するように歴史を覚えていった。しかし、ガイドをすればするほど、本格的に大学で勉強したいという思いは増していった。
そんなある日、会社のマネージャーの中野さんの自宅に呼ばれた。奨学金を出すので、カイロ・アメリカン大学でエジプト学を勉強しないかと勧められた。「会社のなかに、専門家が一人くらいいてもいいと思います。しかし、会社に縛りつけるつもりはまったくないので、考古学の道に進みたければ、ぜひ進んで欲しいです」。当時、26歳になっていた。
大学4年生のとき、自分で研究テーマを決めて単位を取得できる「自主研究」制度を利用して、発掘チームに参加しようと考えた。しかし、知識も技術もない学生が学外の発掘隊に参加するのは容易なことではなかった。
そんなとき、ガイドの先輩が毎月、最前線で活躍するエジプト考古学者たちを招いて講演会を開いていたのだが、そこにピラミッド研究の第一人者であるアメリカ人考古学者マーク・レーナー博士が来ることになったのである。
講演会が終わり、レーナーと講演を企画した関係者と共に食事をすることになった。私はこれまで彼の書いた50本ほどの論文をや報告者をすべて読み込み、ファイリングしていたため、食事をしながら、これまで読んできたなかで疑問に思ったことをあれこれと質問してみた。丁寧に答えてくれた。質問の後に、卒業後はどうするつもりがと聞かれた。(あらかじめ、この質問を想定し、実は何度も答える練習をしていた)、「できればどこかの発掘隊に入りたいと思っています。ただ、まず卒業する前に、興味を持っている、レーナー博士のギザ台地マッピング・プロジェクトへ参加させてもらうことはできないでしょうか?」と尋ねた。
レーナーは、ファイリングされた自分の論文と報告書に手を置きながら、私の目をじっと見ると、「きみにやる気があるのであれば、歓迎しよう」と言ってくれた。
感想;
稲盛和夫著「生き方」より
結果=考え方(1番)×熱意(2番)×能力(3番)
考え方が1番大切。2番目が熱意。それがあれば能力は付いてくる。
好きなことに飛び込む(考え方)
そのための努力をする(熱意)
その結果、今があるのでしょう。