新劇っていうのは戦争中、軍国政治から圧迫を受けているんですよ。・・・ 当時は検閲官っていうのがいて、言論統制で脚本は伏字ばかり、自由って言葉まで口パクにさせられた時代ですよ。『人間は自由だ』というセリフがあるんですが、それを言うだけで捕まるんです。
大体、“国を守る”という考え方から戦争は始まるんだと、黒澤明監督はおっしゃってましたね。
私は原発を含めて原子力はやめたほうがいいと思いますよ。遺言としておきますけれど。
とにかく、ケンカしそうになったら謝ることですよ。どんなに恥かいても平和のほうがいいですよ。
役者は努力することですよ。人よりもね。
まあ演劇というのは総合芸術で、役者は将棋でいえば一つの駒ですから、いい駒であるべきなんです。問題は、シナリオや戯曲を読んで、どういうつもりで書いたのかを察知することです。一つの役じゃ一生食えないぞ、悪役を含めて何から何まで最低1ダースやれと、我々はそんなことを徹底的に叩き込まれて役者になりましたから。
戦争を起こすな、っていうのはもちろんですが、若い人たちには、できれば戦争に巻き込まれない努力をしてほしいと思いますね。
面通し(オーディション)が、私と同期の佐藤慶はなかなか通らなくて、九回も落ちました。
禅を世界に広めたことで有名な鈴木大拙さんの本にある言葉でね、“刹那は永久に通ずる”っていのうがあるんです。それが私の一番好きな言葉で・・・だから、やっぱり毎日毎日を大事に生きようと、人間的にも演技的にも、そういうつもりでいますけれどね。
(無名塾で)毎年誤認採って・・・40年ですから、もう今までに200人通過してるわけですが、今、役者で食えているやつは10人にも達していませんよ。だからいかに役者っていう商売は難しいか、いい加減か、つかみどころのないものか・・・。運不運もあるし、人の十倍百倍努力しなきゃダメですよね。
無名塾やっていてよかったと思うのは、若い子を育てるっていうことはもちろんだけど、「ああ、仲代はずいぶん歳くったな、ちょっと芝居落ちてきたな」って思われるのが嫌で一生懸命頑張るわけですよ。だから、自分のために無名塾を続けてきたっていうことにもなるでしょうね。
まあ、無名塾が40年も続いてきたのは、各地の演劇鑑賞団体が呼んでくれたからですよ。
約300人の役者やスタッフを待たせて、その中には三船敏郎さんや志村喬さんなど大先輩がいるわけですから、周りからもいろいろ言われてね。結局、朝九時から午後三時まで歩かされて、実際に映ったのはほんお数秒でしょう。しかも上半身だけ。今思うとね、新劇の経験しからにぼくは『腰で歩く』ということを知らなかった。黒沢さんは新人のぼくに、一日近く時間を割いて時代劇での歩き方を徹底的に叩き込んでくれたんです。本当にありがたいことなんですが、当時はそんなことわからないからチクショーって思いましたね。
役者は“技”が必要な商売。若い人には、修行するくらいの気持ちでとことん道を追求してほしいと思います。
60年以上役者やってますけど、いまだに向いていないと思いますよ。
嫌な商売ですよ、本当に・・・特に新しい芝居に出るときの初日なんか、舞台に一歩出る寸前まで・・・たとえ一生懸命稽古したとしても、こんな怖いものはありません。先ほどの山田五十鈴さんが、ある舞台の初日に「あー、劇場が焼けないかしら!」って。あれほどの大女優でも、初めてのお客の前に身を晒すときはそんな心境ですよ。
彼女(宮崎恭子;妻)がいなかったらここまで来られたかどうか・・・。いい作品に出合い、いい監督に出会い・・・人の出会いに助けられて今までどうにか現役の役者としてやってこられたんだなあと、本当につくづく思います。でも、やっぱり、向いていないですけどね(笑)
感想;
名優だと周りから評価されても、自分は向いていないとのこと。
向いていないと思って、一生懸命努力をされ続けて来られたからこそ、今の評価につながっているのでしょう。
自分はもう十分だと思った時点で成長が止まってしまうのでしょう。
大体、“国を守る”という考え方から戦争は始まるんだと、黒澤明監督はおっしゃってましたね。
私は原発を含めて原子力はやめたほうがいいと思いますよ。遺言としておきますけれど。
とにかく、ケンカしそうになったら謝ることですよ。どんなに恥かいても平和のほうがいいですよ。
役者は努力することですよ。人よりもね。
まあ演劇というのは総合芸術で、役者は将棋でいえば一つの駒ですから、いい駒であるべきなんです。問題は、シナリオや戯曲を読んで、どういうつもりで書いたのかを察知することです。一つの役じゃ一生食えないぞ、悪役を含めて何から何まで最低1ダースやれと、我々はそんなことを徹底的に叩き込まれて役者になりましたから。
戦争を起こすな、っていうのはもちろんですが、若い人たちには、できれば戦争に巻き込まれない努力をしてほしいと思いますね。
面通し(オーディション)が、私と同期の佐藤慶はなかなか通らなくて、九回も落ちました。
禅を世界に広めたことで有名な鈴木大拙さんの本にある言葉でね、“刹那は永久に通ずる”っていのうがあるんです。それが私の一番好きな言葉で・・・だから、やっぱり毎日毎日を大事に生きようと、人間的にも演技的にも、そういうつもりでいますけれどね。
(無名塾で)毎年誤認採って・・・40年ですから、もう今までに200人通過してるわけですが、今、役者で食えているやつは10人にも達していませんよ。だからいかに役者っていう商売は難しいか、いい加減か、つかみどころのないものか・・・。運不運もあるし、人の十倍百倍努力しなきゃダメですよね。
無名塾やっていてよかったと思うのは、若い子を育てるっていうことはもちろんだけど、「ああ、仲代はずいぶん歳くったな、ちょっと芝居落ちてきたな」って思われるのが嫌で一生懸命頑張るわけですよ。だから、自分のために無名塾を続けてきたっていうことにもなるでしょうね。
まあ、無名塾が40年も続いてきたのは、各地の演劇鑑賞団体が呼んでくれたからですよ。
約300人の役者やスタッフを待たせて、その中には三船敏郎さんや志村喬さんなど大先輩がいるわけですから、周りからもいろいろ言われてね。結局、朝九時から午後三時まで歩かされて、実際に映ったのはほんお数秒でしょう。しかも上半身だけ。今思うとね、新劇の経験しからにぼくは『腰で歩く』ということを知らなかった。黒沢さんは新人のぼくに、一日近く時間を割いて時代劇での歩き方を徹底的に叩き込んでくれたんです。本当にありがたいことなんですが、当時はそんなことわからないからチクショーって思いましたね。
役者は“技”が必要な商売。若い人には、修行するくらいの気持ちでとことん道を追求してほしいと思います。
60年以上役者やってますけど、いまだに向いていないと思いますよ。
嫌な商売ですよ、本当に・・・特に新しい芝居に出るときの初日なんか、舞台に一歩出る寸前まで・・・たとえ一生懸命稽古したとしても、こんな怖いものはありません。先ほどの山田五十鈴さんが、ある舞台の初日に「あー、劇場が焼けないかしら!」って。あれほどの大女優でも、初めてのお客の前に身を晒すときはそんな心境ですよ。
彼女(宮崎恭子;妻)がいなかったらここまで来られたかどうか・・・。いい作品に出合い、いい監督に出会い・・・人の出会いに助けられて今までどうにか現役の役者としてやってこられたんだなあと、本当につくづく思います。でも、やっぱり、向いていないですけどね(笑)
感想;
名優だと周りから評価されても、自分は向いていないとのこと。
向いていないと思って、一生懸命努力をされ続けて来られたからこそ、今の評価につながっているのでしょう。
自分はもう十分だと思った時点で成長が止まってしまうのでしょう。