幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「主婦になりきれない女」 橘 由子著  "心身体の声を聴く”

2017-05-01 02:52:08 | 本の紹介
夫の年収は1,000万円以上、娘二人がいた。
親族が集まった場で突然(夫の両親との)二世帯住宅の話が出され、考える時間もなく、承諾させられた。家が建つにつれ、この広い家の掃除をしないといけないのかと思うと憂鬱になり、たまらなくなった。家事がとても苦手だった。それで思い切って離婚をした。家事から自由になりたかった。
上の娘は17歳だったので自分の判断で父親に、下の息子はまだ小学校低学年だったので私と一緒に暮らすことになった。娘から後で聞いたら、「母の目が座っていて怖かった」と。今は父親宅に荷物を置いたまま、私のところで暮らしている。時々父親宅に帰っているが。

仕事を探さないといけない。
慶応大学文学部を卒業していて就職したが、どうも合わなかった。どうも自分には会社が求めている協調性が苦手であった。そこで仕事するならブルーワーカー?(身体を動かす仕事)を選ぶことにした。離婚する前からコンビニのバイトをした。これは自分に合っていた。しかし、離婚後はこの収入では暮らしていけないので、トラックの運転手になった。荷物を顧客に運ぶのであるが、20kg以下とは言え、重労働であり、配送ルートを考えて荷物を載せないといけなかった。これはきつくて3か月で辞め、その後は総菜の宅配便の運転を行った。これは自分に合っていたが、いかんせん、収入が低いので、代理人になり(その分、責任も伴う)何とか暮らせるようになった。

デビュー作「子どもに手を上げたくなるとき」を刊行した直後は、ほとんど毎日のように講演会に招かれ、「子どもに手を上げる自分の心のなかをじっと見つめましょう」などと話していた。何年か続けて、「自分探しのお手伝い」をしているうちに、講師である私のほうはその詐欺性がうしろめたくなった。私のふところにお金が入り、集まってくるお母さんたちはお金をかけずに暇がつぶせて、おまけにほんの少し気持ちが晴れたような気分になり、双方めでたしめでたし・・・なのであるが。しかし何年も続けていると心底虚しくなってくるのである。

上野千鶴子
「女性は離婚してシングル・マザーになることで、一人の男性による支配から逃れて、代わりの層としての男性による徹底した支配のもとにはいる。夫がいれば女性は再生産費用分担のうち貨幣費用ではなく現物費用(すなわち労働力)だけを支払えばよかったが、離婚すれば彼女は現物費用ばかりか貨幣費用もとも負担しなければならないからである。大かたの女性にはこれは無理だから、アメリカで日本でも、彼女たちは貧困層のボーダーライン以下に転落する。

本書のねらいのひとつは、私が離婚をきっかけについた仕事の実態を紹介しようというものであるが、もうひとつは、「結婚生活で何年にもわたって悩んでいる人は、いいかげんにさっさと離婚せい!」
という激を飛ばそうということである。
三年くらい嫌いな状態が続いているのなら、もう相性が悪いとあきらめて、いさぎよくシングルになったほうがいい。バツイチは独特のオーラとフェロモンを発するらしいからもっと自分に合った異性にめぐりあるチャンスだってあるはずだ。いや、必ずある。

中流生活の安定と幸福をもつためには三つの大きな条件が満たされなければならない。
1)世帯主の地位と収入が安定していること
2)その生活パターンが個人の体質に合っていること
3)夫婦の愛情が安定していること

年収300万円あれば家族ふたりなら十分食べてゆける。家族三人でも母子家庭ならなんとかなる。
理由は、父親という食い扶持がひとつ減るということ。あとひとつは母子家庭になるとまともな生活をしなければならないという強迫観念から解放されることである。

私の心を席巻していたのは「責任感」ではなく、「罪悪感」であり、この「罪悪感」を言い訳に責任を逃れようとしていたのだ。
この性格はどこから来たのか? 母から「努力しなさい、夢は大きく持ちなさい」とさんざん言われた。「お母さんはバカだからダメだけど、あなたは絶対できる」と。
大学に入ってからは父からも夢のような要求が出された。
「国家費用でアメリカに留学しろ。同時通訳になれ。外交官もいいなあ」
結局のところ三十代でなお挫折の人生を歩んでいた。
ところが総菜の宅配の仕事を一日も休まず二年続けた今、気がついてみると幼いころからなじみだった挫折感、罪悪感がほとんどきれいに消え失せていたのだ。

感想
お金に苦労しない生活よりも、心が自由になる道を選択されたようです。
お金はとても大切ですが、お金よりももっと大切なことがあることを教えてくれる本でした。
応援したくなりました。