プロサッカーの長谷部さん。日本代表戦の試合前はうどん。ほうれん草とネギのシンプル。海外ではパスタ。それとバナナ。前は試合で足がつることが。バナナ食べるようになってからそれがなくなった。因果関係があるのかはわからないが。
キャプテンの長谷部選手。膝を怪我しているが、もう走ったりけったり。楽観的に考えることが大切と海外で。26歳で日本代表のキャプテン。9年前にドイツのチームに。そこでもキャプテン。「心を整える」は140万部。監督のせいにするのは簡単。しかし、それは変えられないこと。だったら自分が変わる方が早い。
アジア予選真最中。フォーメーション。イラク戦。いいやつが揃っている。人間的に。前は変な人が?言えないな(笑)。“ボランチ”の役割。ポルトガル語でハンドルとの意味。声をよく出す。試合終わると声が枯れている。後はオーストラリアとサウジアラビア戦が残っている。残り2試合。それには間に合うようにしたい。
1曲目は、アグネスちゃんの「ひなげしの花」。3歳からサッカー始めた。家にサッカーボールがあった。祖父が教えてくれていたが、手に負えなくなり、サッカーチームに入れてくれた。送迎を母が車でしてくれた。その中で母がよく聞いていた。かかとが成長痛みで、この歌を聞くと、足がうずく。すごくうずいていました。
練習は激しかった。当時は水を飲んでもいけなかった。サッカーを止めようとは思わなかった。サッカーはそこにあるもの。ない人生は考えられなかった。
静岡出身。藤枝東高校。選手として、高校2年生の冬まで試合に出られなかった。A,B,C,Dのチームがあり、Cチームだった。最後はAチームになった。サボるのが得意だった。よくサボっていた。走りの時も、先生が見ていないと走っていなかった。見ていると一生懸命走った。それで先生が頑張っているところを見て引き上げてくれた。そういうとこで周りを見る目が養えたかも。プロになる気はなかった。進学高校だった。就職は一人だった。自分がプロに行った。浦和レッズのスカウトから「君が欲しい」と言われた。「君をずっと見ていた」。この人は何を見ていたのかなと思った。自分よりプロに近い選手がいたのに。他の人は大学に行った。両親は「先ずは大学に行きなさい」と。1年で首を切られることがある。祖父は寡黙な人だったが、毎試合見に来てくれていた。祖父のところに行って相談したら、「男なら挑戦してみるのがよいのではないか」と一言だけ言ってくれた。自分の中で行けるかなと思った。プロに入って、高校サッカーとはレベルが違うなと思った。34人いて、5人は合宿に連れて行って貰えなかった5人の1人になった。両親に電話して泣いた。そのすぐ後、祖父が他界した。祖父が自分のプロの姿を見たいと言っていた。プロでの姿を見せたいと思った。祖父の死が自分を奮い立たせた。2年目から練習から体当たりしていったら、行けるかなというスイッチが入った。祖父が今でも大きな存在。祖父がいつも天から見ていると。何をしていても祖父が見ていると思うようになった。点を取ったら、今でも「じいちゃん、点をとったよ」と声をかけている。
2008年にドイツに移籍した。自分海外に行っても試合に出られないだろうなと思っていた。日本のレギュラーのトップ2~3人しか海外で活躍していなかった。環境を変えようと思った。広い視野を持てるようになった。18か国から集まっている。様々な宗教や文化の違いがある。試合終わったらロッカーでじゅうたんを敷いてお祈りを始めるとか。ドイツ人はスープの音を出さない。ドイツのチームでキャプテン。言うこと聞かない。汚い言葉を自分に言うことも。理屈が通じない。万国博覧会状態。「心を整える」に大切な人生訓が書いてある(サワコ)。愚痴は言わない。私は愚痴ばっかり。スタッフは知っている(サワコ)。愚痴でストレスを発散したくない。監督や人のせいにするのは簡単。それは変えられない。だったら自分を変える方が早い。ドイツに行ってから自分と向き合う時間がたっぷりある。本を読むのが多くなった。本が自分の友だちだった。本から多くのことを学んだ。
2曲目は「彩り」。ミスターチルドレンがものすごく好き。バイブル的な歌。毎日同じような練習の繰り返し。つまらないことだけど、それをやることにより、ファンがその結果を見てくれる。ミスターチルドレンはそれを色に例える天才。
「僕のした単純作業が世界を回り回って
まだ出会ったこともない人の笑い声を作ってゆく
そんな些細な生き甲斐が日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に少ないけど赤黄色緑」
一人カラオケを車の中で。人には聞かせられない。
ワールドカップ予選。それが大切。日本サッカー界のことを強く思い、けがを早く治したい。
感想;
「心を整える」を読みました。
今日の話を聴いて、「心を整える」の背景がよくわかりました。
未知なことにチャレンジすることも人生においては重要なんだと思いました。
それと祖父が天から見ているとの気持ち。それで、日常をサッカーのために使う。
何事もサッカーのために役立つことをする。
その地道な一つひとつが今の長谷部選手を創り出したように思いました。
キャプテンの長谷部選手。膝を怪我しているが、もう走ったりけったり。楽観的に考えることが大切と海外で。26歳で日本代表のキャプテン。9年前にドイツのチームに。そこでもキャプテン。「心を整える」は140万部。監督のせいにするのは簡単。しかし、それは変えられないこと。だったら自分が変わる方が早い。
アジア予選真最中。フォーメーション。イラク戦。いいやつが揃っている。人間的に。前は変な人が?言えないな(笑)。“ボランチ”の役割。ポルトガル語でハンドルとの意味。声をよく出す。試合終わると声が枯れている。後はオーストラリアとサウジアラビア戦が残っている。残り2試合。それには間に合うようにしたい。
1曲目は、アグネスちゃんの「ひなげしの花」。3歳からサッカー始めた。家にサッカーボールがあった。祖父が教えてくれていたが、手に負えなくなり、サッカーチームに入れてくれた。送迎を母が車でしてくれた。その中で母がよく聞いていた。かかとが成長痛みで、この歌を聞くと、足がうずく。すごくうずいていました。
練習は激しかった。当時は水を飲んでもいけなかった。サッカーを止めようとは思わなかった。サッカーはそこにあるもの。ない人生は考えられなかった。
静岡出身。藤枝東高校。選手として、高校2年生の冬まで試合に出られなかった。A,B,C,Dのチームがあり、Cチームだった。最後はAチームになった。サボるのが得意だった。よくサボっていた。走りの時も、先生が見ていないと走っていなかった。見ていると一生懸命走った。それで先生が頑張っているところを見て引き上げてくれた。そういうとこで周りを見る目が養えたかも。プロになる気はなかった。進学高校だった。就職は一人だった。自分がプロに行った。浦和レッズのスカウトから「君が欲しい」と言われた。「君をずっと見ていた」。この人は何を見ていたのかなと思った。自分よりプロに近い選手がいたのに。他の人は大学に行った。両親は「先ずは大学に行きなさい」と。1年で首を切られることがある。祖父は寡黙な人だったが、毎試合見に来てくれていた。祖父のところに行って相談したら、「男なら挑戦してみるのがよいのではないか」と一言だけ言ってくれた。自分の中で行けるかなと思った。プロに入って、高校サッカーとはレベルが違うなと思った。34人いて、5人は合宿に連れて行って貰えなかった5人の1人になった。両親に電話して泣いた。そのすぐ後、祖父が他界した。祖父が自分のプロの姿を見たいと言っていた。プロでの姿を見せたいと思った。祖父の死が自分を奮い立たせた。2年目から練習から体当たりしていったら、行けるかなというスイッチが入った。祖父が今でも大きな存在。祖父がいつも天から見ていると。何をしていても祖父が見ていると思うようになった。点を取ったら、今でも「じいちゃん、点をとったよ」と声をかけている。
2008年にドイツに移籍した。自分海外に行っても試合に出られないだろうなと思っていた。日本のレギュラーのトップ2~3人しか海外で活躍していなかった。環境を変えようと思った。広い視野を持てるようになった。18か国から集まっている。様々な宗教や文化の違いがある。試合終わったらロッカーでじゅうたんを敷いてお祈りを始めるとか。ドイツ人はスープの音を出さない。ドイツのチームでキャプテン。言うこと聞かない。汚い言葉を自分に言うことも。理屈が通じない。万国博覧会状態。「心を整える」に大切な人生訓が書いてある(サワコ)。愚痴は言わない。私は愚痴ばっかり。スタッフは知っている(サワコ)。愚痴でストレスを発散したくない。監督や人のせいにするのは簡単。それは変えられない。だったら自分を変える方が早い。ドイツに行ってから自分と向き合う時間がたっぷりある。本を読むのが多くなった。本が自分の友だちだった。本から多くのことを学んだ。
2曲目は「彩り」。ミスターチルドレンがものすごく好き。バイブル的な歌。毎日同じような練習の繰り返し。つまらないことだけど、それをやることにより、ファンがその結果を見てくれる。ミスターチルドレンはそれを色に例える天才。
「僕のした単純作業が世界を回り回って
まだ出会ったこともない人の笑い声を作ってゆく
そんな些細な生き甲斐が日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に少ないけど赤黄色緑」
一人カラオケを車の中で。人には聞かせられない。
ワールドカップ予選。それが大切。日本サッカー界のことを強く思い、けがを早く治したい。
感想;
「心を整える」を読みました。
今日の話を聴いて、「心を整える」の背景がよくわかりました。
未知なことにチャレンジすることも人生においては重要なんだと思いました。
それと祖父が天から見ているとの気持ち。それで、日常をサッカーのために使う。
何事もサッカーのために役立つことをする。
その地道な一つひとつが今の長谷部選手を創り出したように思いました。