幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「されど愛しきお妻様 『大人の発達障害』の妻と『脳が壊れた』僕の18年間」鈴木大介著 ”理解することの難しさ”

2018-09-25 02:16:58 | 本の紹介
・なんの因果かメンタル病んだ女性とばかりつきあってきた結果、僕は三つの教訓を得ていた。
1)どれほど本人が死にたい死にたいと言い続けていても、死なない者は死なない。一方で、どんなに死なないでほしいと伝えていても、死んでしまう人は死んでしまう。
2)支える側の人間はどんなに不安でいたたまれなくても日常生活を継続しなければならないということ。そうでなければ経済的にも精神的にも共倒れになってしまうし、実際過去に僕は共倒れを経験していた。
3)少なくともその強い希死念慮を緩和・抑制するのに、精神科から処方される薬は一定の効果があるということ。

・「卒業式まで死にません」南条あや(亡くなっている)著 メンヘラのバイブル

・脳腫瘍の摘出手術と放射線治療(最悪のケースは全盲)を受けた(大人の発達障害の)お妻様は、「死ぬ時は死ぬし、死なない人間はいない」と宣言し、生きている今を最大限楽しむモードに見事にシフトチェンジ。もともとそれこそがお妻様の主義なのだが、一層人生楽しむモードを加速させたのである。

・41歳、僕は脳梗塞に倒れた。「なるべくしてなった」のだと思う。

・お妻様が16年間僕に言い続けてきたことは、一貫して「そばにいてほしい」「一緒にいる時間がもっとほしい」「どこそこに行きたいね(一緒に)」といった願いばかりだった。相手が「したほうがいい」と僕自身が思うことを、相手のためだと押しつける僕。相手が「してほしいこと」を考えて精いっぱいやる(けどちょっとズレてたり中途半端だったりする)お妻様。果たして相手のことを考えているのはどちらだろう。

・日々、病前なら当たり前にやれていたことに失敗し、落ち込むのが高次機能障害者。だが毎日僕の不自由や失敗をお妻様に話すと、「あたしもそれあった!」と、共に歩んだ15年以上の月日で一度も聞いたことがなかったようなエピソードが次々にお妻様から飛び出してくる。
「小学校低学年の頃、あたしも漫画のコマが次にどこのコマにつながっているのかわからなかった」「親や先生に〇〇しなさいと言われて、頭の中で何度も復唱しても、なにを言われたかすぐにわからなくなって、あとから『なんでやってないの? 言ったよね』って年中言われていた」「お前は人の話が右耳から左耳に抜けてると言われて、左耳の穴押さえてた」
今ならめちゃわかるお妻様、ビバ高次機能障害。こうして日々、発見と考察が重ねられていった。

・我が家の改革の礎となる大前提
1)その家事は誰が望んだものかを考える
2)本来その家事をやるべきはそれが必要だと思っている側なのだと知る
3)その家事が必要だと思っている側が、必要ないと思っている側に家事を頼む行為は依頼を越えて「お願い」であるべきだ
4)相手が必要ないと思っている作業をお願いしてもやってもらっている以上、その仕上がりに文句を言うな
5)相手の作業を奪わない

・夫婦でお互いに相手にひとつだけ譲れないことを主張し、交換する。
 「朝に茶の間の床とと机の上になにもない状態にしておいてほしい」(僕)
 「寝る時間と起きる時間についてなにも指摘しないでほしい」(お妻様)

・「洗濯物片付けて」でも、ノーグッドだ。指示は第一が「脱衣所の洗濯機の中から乾燥終わった洗濯物を持って来て」、持ってきてくれたら「畳んで」、それが終わるのを待って「定位置に片付けて」だ。(お妻様に頼む場合)

・「だってあたしは、子どもの頃からずっとそうなんだもん。そんなんでいちいち凹んでたら、死んじゃうよ。大ちゃんさってそうだよ。ちっちゃいことでいちいち落ち込むなよ。それが障害なんだから。しょうがないじゃん。大ちゃんは病気のあとも、わたしに比べたらやれることいっぱいあるじゃん」

・僕らは間違いなく平等になった。なにが平等なのかと言えば「頑張っている量」が平等になったのだ。

・「やれて当たり前」がやれないことの辛さ。

・不自由を障害にするのが周囲の環境なのと同様に、不自由だったり被害的な弱者を追い詰めて加害者的な立場や排除の対象にしてしまうのも、環境や社会だ。

感想
著者が高次機能障害になり、これまでできることができなくなりました。
それで初めて、発達障害の妻の”できない”がわかりました。

なかなか相手の辛さは分からないといいます。
同じ境遇だからこそわかるところも多いようです。

このように本を読んだり、発達障害や高次機能障害の方にお話を伺うことである程度わかるようです。