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「<犯罪被害者>が報道を変える」高橋シズヱ&河原理子共著 ”聴くことから始まる!”

2019-09-13 03:38:48 | 本の紹介
・「さまざまな記者(取材者)が集まったこの勉強会は、地下鉄サリン事件の遺族である高橋シズヱさんの「犯罪被害者への取材や報道被害について一緒に考えて欲しい」という強い願いから生まれた。始まりは、2000年夏、高橋シズヱ、星野哲、河原理子の三人が事務局を務めた。

・<まず知る。耳を傾けて、感じたことを仲間と話す>。遠回りでも結局はこうした実感の伝達や、もっともっと話し合うことが、被害者と報道をめぐる土壌を耕す力になる。そう信じているし、実感してきた。

高橋シズヱさん(地下鉄サリン事件で営団地下鉄の職員だった夫を亡くし、その後、「地下鉄サリン事件被害者の会」の代表世話人を)
・「他の取材者に写真を使わせないために、長いこと返さない記者もいるんです」

・泣くまいと思っていても話している最中に涙がじわじわ出てきて、事件から一、二年くらいはやっぱり辛かった。記者の後ろで大勢の読者や視聴者も一緒に悲しんでいるのだと思えてきたのは、もっと後のことだった。

・そんなとき信頼する記者から、「司法記者クラブには、その月の幹事社がいるから、記者会見を受けられなければコメントを紙に書いて幹事会社に出せば、各社に伝わる」と教えられた。

・フィラデルフィアにある支援組織「暴力反対同盟」の自助グループのなかに、息子を殺された両親がいて、日本から訪ねた私たち遺族にこんなことをやって見せた。一枚の紙を取り出して、それをクチャクチャに丸めて、今度はそれを静かに広げた。「これが私の心の状態です」と父親がいった。つまり、事件前は平らな紙が、事件によってしわだらけになってしまう。紙は破れてはいないけれど、心の傷はこのしわのように残るのだと。

・「あなたは報道関係者を選ぶ権利があるから、話したくなければ、帰ってくれと断っていいんですよ」

・「人間だから、間違えることはあると思う。その後どうするかが大切」

酒井肇さん(大阪教育大学附属池田小学校事件)
・被害者と報道の人と、同じ視線で話せる会があったらいい、報道の人たちも横のつながりのなかでざっくばらんに話せる会があればいい、と思っていました。

・コロンバイン高校銃乱射事件の犠牲者のご家族や、アリゾナ州ツーソンの「殺人事件遺族の会(Homicide Survivors,Inc.)のゲイル・リーランドさんに会いました。訪ねる前にこの言葉と意味を知り、私のなかに何とか力強く生きていきたい気持ちがあったので、いい言葉だと思いました。

・一分一秒でも早く搬送してほしかった。取材のヘリコプターが救命活動できるのか、知りませんが、阪大病院にはヘリポートがあるのだから、ヘリが運んでくれたら助かったかもしれない、と思うのです。娘は失血死でしたから。

・お葬式で無断に立ち入って取材されていたことが、後でわかりました。・・・
そこには、産経新聞の大阪本社編集局次長兼論説委員という人が書いた、次のような文章が載っていました。
<・・・記者は、留守番のデスクにカセットレコーダーを向け、再生ボタンを押した。「デスク、泣かせてやりますよ」。テープには葬儀の模様が録音されていた。出棺に先立って、喪主を務める父親が会葬のお礼を述べた。淡々としたあいさつの言葉が突然、つまった。そして「悔しい・・・」。声の調子が明らかに変わって、絶句した。あとは嗚咽が聞こえた。・・・>

・「メディアスクラム」という言葉を最初に聞いたときは、メディアの人たちが連携をくんで報道被害に取り組む、ポジティブな言葉かと思いましたが、実はネガティブな言葉だと知って、びっくりしました。スクラムを、よいほうにもっていきたい。

・報道する側が頑張って報道被害を減らすための努力をしてほしいと思うのです。私たちも、報道を通じて言いたいことはあるのです。

・被害者救済という意味でも、理解ある報道陣が、生きる望みを与えてくれました。・・・ 
こうした理解ある報道陣の存在は、精神的な支えになりました。私たちは世の中でひとりじゃない、孤立した一番不幸な存在ではない、と感じることができました。

・私はマスコミとは会いたくないし、話もしたくないと思っていましたが、先生(常磐大学の長井進先生)は「今後いろいろな問題を乗り越えていくためには、理解あるメディアの人たちとのお付き合いは絶対必要ですよ。メディアは絶大な力があります」と説かれました。
宮澤泰子さんのお姉さん(世田谷一家殺人事件)

・その後も、私が話したことが、ほかの捜査班には知らされていなかった、とわかることが何度かありました。・・・ 調書を見て驚くこともありました。息子が使わない「父ちゃん母ちゃん」という言葉が書かれ、「どすん、という音を聞いた」とありました。隣の音はあまり聞こえない。私の家族は「カタンカタン」というような音を聞いたと話していましたが、「どすん」とは言っていませんでした。

・この女性の担当者は私と同年代で、亡くなった子どもたちの誕生日に家に来てくれたり、一緒にお墓参りに行ってくれたり、いろんなことをしてくれましたが、母にとって一番大きかったのは、話をよく聴いてもらえたことでした。

木村洋さん(山口県光市母子殺人事件)
・2003年5月3日に朝日新聞労働組合が神戸で開いた「メディア不信を問う」という集会にパネリストとして出ましたが、そこで常磐大学の諸澤英道先生が「犯罪の遺族で自分の事件の記事を見て、少しでも違うと感じた人が50%以上いる」と話していました。

・メディアにとって痛い問題も露呈しました。松本サリン事件では第一追放者

・話したい論点
1)犯罪被害者の報道は必要なの?
2)事件報道で被害者の情報はどこまで必要なの?
3)名前や写真などを掲載する場合、当人もしくは親族の承諾は必要か?
4)警察発表はどこまで信用しているの? 警察発表の裏はは取るの?
5)報道内容に異議を申し立てられたら、訂正報道はするべきか?
6)犯罪被害者は、なぜ取材に応じるとおもいますか?
7)報道による偏見や中傷は報道機関の責任? 報道被害は社会の責任でもあるのでは?
8)新聞・テレビ・インターネットの特徴
9)情報量の増大と情報の質と事件報道

・以後、署名活動や講演で多くの方が声をかけてくれたり、賛同してくださったりしたときなどは、うれしいし、安心します。

永井祥子さん(中華航空機墜落事故)
・悲しみだけではない多くの事実を知ってほしいので、人前で話すのは嫌いなのですが、できるだけ取材に応じてきました。しかし、報道されるのは結局、うわべの悲しみだけであったりしました。

・取材で「ご自宅にうかがいます」とあたりまえのように言われます。喫茶店で話せるようなことではないので、仕方なく応じることがありますが、私にとってプライベートな場所です。一度、地元の記者に「それなら、あなたのご自宅で」と言ったら、「嫌です」と断られました。

・神戸知り合った人たちに、先ほど話したような取材や報道のことを話したら、「それは、書いた記者さんに、新聞が出たら送って下さい、と言えばいいんだよ」と教えられて、初めて、ああそうか、とわかりました。

瀬口晴義さん(東京新聞記者)
・「聞き込み取材だけできちんとした裏付けも取らない報道によって、どれだけ娘(女児の母親)夫婦が傷つけられたか」と松村さん(音羽の女児殺害事件の殺害された女児の母親の祖父)は話した。ある特定の人物の「証言」をうのみにして報じた結果、「母親グループのリーダー格だった」、「使いっ走りをさせられるなど山田被告に意地悪をした」などと悪者扱いする誤った報道が連鎖的に続いたと松村さんは語った。増幅された匿名の悪意は夫妻に対する異常なパッシングに膨らんだ。「母親が娘の後を追えばいい」、「殺されてよかったんだ」。夫妻の心に塩を塗り込むような匿名の手紙がたくさん届いたという。

・正直に言おう。そのころの私にとって犯罪被害者の人々は取材したいと強く思う存在ではなかった。殺された人に関心が向くより先に、「加害者はなぜ、こんな事件を起こしてしまったのだろうか」という謎解きに夢中だったのだ。事件の背景を解明するためには、拘置所に通って、被告に接見したり、手紙のやり取りをする努力を惜しまなかった。

玄 昶日さん(日本テレビ記者)
・被害者の取材で大切だと思うこと、それは、取材の意図を説明し、取材される側がそれを了解し、時間をかけて互いの信頼関係を築いていくというプロセスではないか。私の場合、取材する被害者に対して、できることとできないことを明確に伝えるように心がけた。うまいことを言ってコメントを取るなんてもってほほかだし、同情を口にして気を引くのも絶対にイヤだった。

丸山謙一さん(読売新聞記者)
・「だめです。そんな状況じゃないんです。どうしても撮れません」
 泣き言を言っていみたが、先輩は聞き入れない。死後にとうとうどなられた。
 「バカ、お前、プロだろ!」

増永修平さん(共同通信記者)
・お二人(木村洋さんと永井祥子さん)から共通して出されたのは「取材の継続性」への注文だ。とくに永井さんは、取材を受けるたびに毎回違う記者が来て、場合によっては一からの説明を求められることに辟易した経験を話した。「せめてきちんと引継ぎをしてほしい」、と。全国紙や通信社の記者は二年から三年ごとに転勤するのが一般的で、また同じ勤務地にいても担当分野が代わることもあり、一つの問題や取材対象をずっと追い続けるというのは意外にむずかしい。

河原理子さん
・駆け出し記者のころ、一日30回、「辞めたい」と思っていた。
記者になりたいと思ったのは、高校時代、フランスの哲学者・サルトルの「飢えて死んでいくこの前で、私の書いた『嘔吐』は役に立たない」という言葉に出会い、「現実の前に無力でないものを書きたい」と願った。

・つらさには、三つあると思う。死の現実を目の当たりにするつらさ。いち早く現場に着けば、むごい姿に接することもありうる。・・・ 二つ目は、遺族に接するいたたまれなs。なぜ、自分がここにいるのか。現場を見た後で取材にいく時は、とりわけ気が重い。三つ目は、被害に遭った人や遺族の話を深く聴いたときのつらさだが、駆け出しのころはあまり対得kンしなかった。記者をやめる人もいる。こうした取材の現場から距離を置くようになる人もいる。そして、相手のことを考えながら、きちんと事件取材をする記者もいる。

・勉強会で指摘されたこと
1)集団的過熱取材
2)ストレスタイプな被害者像
3)生まれて初めて受ける取材

・「どんな支援があったら良かったか」
 ・事件1年以内の支援で過半数が望んだのは、「精神的ケア」と「事件・司法等の情報提供」

・冒頭にるる書いたような駆け出し時代の記憶は、私にとっては封印しておきたい記憶だった。「女は使えない」と言われることを極度に恐れていた私は、泣いてはいけない、弱い自分を見せてはいけない、と思いこんでいた。警察取材を離れても、同じことだった。忙しさのなかで「字になる」場面ばかりを追う自分に気づくこともあった。このままでは、自分の人生も深められず、ひとの人生の深みに触れることもないのではないか。仕事の意味も分からなくなって、三年目に私はダウンした。
今思えば、取材はもっと多様だし、自分が未熟で、さまざまな意味において自分で自分を縛っていたに過ぎない。ともあれ、大学に戻って勉強し直してカウンセラーになろうかと、真剣に考えた。同じ「人の話を聞く」行為でも、はるかに相手の役に立てるのではないか、と考えたからだ。心理学者カール・ロジャースの本を読み、「受容」という言葉を知った。相手の話を受けとめるという行為は、質問を繰り出し続けたり、「話を取る」聞き方とは、対局にあるように思った。
その時辞めなかったのは、なぜだろうか。会社を休んでみて、やっぱり書くことが好きだという事実に気がついた。それに、「あなたは自分の仕事に疑問や不満を述べているが、おかしいと思うなら、なぜ、変えようとしないのか」という母の手紙に反論できなかったからかもしれない。

・悲惨な現場を見たり、抱えきれないほど重い被害者や遺族の話を聞いたりして、無力感にさいなまれ、ストレスを抱えるのはあたりまえなのだ。自分の心の奥底の傷が突然よみがえって暴れることもある。しかし、記者も傷つくものだと知り、その対処法を知っていればよいのだ。泣いてもよかったし、後で「怖い」と言ってもよかった。そのうえで、自分のなすべき仕事をきちんと果たせばいい、それだけの話だったのだ。

高橋シズヱさん
・事件直後に、被害者がインタビューに答えるのは、やはりむずかしいと思う。報道関係者がより早くより多くの情報提供をめざすのはわかるが、被害者は一刻も早く事件現場や病院に向かうことに精一杯で、生きた心地すらしない。
・勉強会を始めるにあたって、相談するのは河原さん以外に考えられなかった。お陰で、この勉強会はたくさんの成果が得られた。

あとがき
・霜山徳爾は治療者に必要なこととして「含羞性(がんしゅうせい)」をあげている。
「心理療法における『含羞性』というのは、決して治療を手控えるとか、ほどほどに達観しておくということではない。もしそういうことであったら、それは治療者の無力性、治療的実力のなさの投影にはほかならない。そしてその『含羞性』の『羞』は至高なるものにささげるものをし、おのれの至らなさに思いをはせながら努めることである」

プライバシーとメディア
被害者がしていいこと
1.取材依頼に対して「イヤです」と断ること
2.外部との間に入ってくれる人を選ぶこと
3.取材の時間や場所を選ぶこと
4.取材の際、特定のジャーナリストを選ぶこと
5.嫌なジャーナリストの取材を断ること
6.過去に取材を受けていても、場合によっては断ること
7.取材を受ける代わりに、別の人を通じて書面を発表すること
8.取材から子どもを守ること
9.嫌な気持ちになる質問や関係ない質問に答えないこと
10.大勢のジャーナリストから一度に取材を受ける記者会見のような雰囲気を避け、ここに対応すること
11.間違った報道があったときには訂正を求めること
12.イヤな写真や映像が出版されたり放送されたりすることがないように頼むこと
13.テレビのインタビューはぼかした映像で、新聞のインタビューは写真撮影なしで、話すこと
14.被害について、完全に被害者の立場から話をすること
15.事件の裁判中にはジャーナリストからの質問に答えなくてもよいこと
16.取材をするジャーナリストに公式な苦情を申し立てること
17.周りの人たちにそっとしておいてもらい、二人の人間として悲しむこと
18.被害者が住む地域で、活字・テレビ・ラジオ・インターネットなどのメディアに対して、メディアと被害者についての研修を提案すること
                    全米犯罪被害者センター(NCVC)
感想
犯罪被害者にいつなるかわかりません。
ここに登場された方々も突然でした。

また、いつ加害者になるかわかりません。
池袋の自動車事故で母子を殺してしまった、いまだに逮捕されないという、飯塚幸三氏。
本人の甘さが二人の将来を奪い、残された人にどれほどの苦痛を悲しみを与えるとは思っていなかったでしょう。

声を気持ちを聴くことから始まるのでしょう。