まだ2回しか結婚していない。サワコさんの結婚は私たちミドルエイジの星ですよ。
分かれもいい面もでてくると思うのです。大変そうでしたが(サワコ)。
乳がんの手術から3年経過し、今はまた仕事。
女優歴35年。
50代にいくつの苦難。闘病、分かれ。
出会った人すべての人に感謝したい。
お陰でこういう体験ができたと。
昨年、一人息子が結婚した。23歳。まだ学生。
息子が会って欲しいと言われた。
前向きで朗らか。私の20代を思い出させる。
老老婚と言われている(サワコ)。阿川婚と呼んでいる。
よいご縁があればと。まだ2回しか結婚していない。3回目があってもよい。自分を枠に入れない。
1曲目 「フラッシュ ダンス」
尼崎出身。上京した10代のとき感動した映画の曲。初デートで映画。感動したとき、隣の人が「何食べる」と言われ、違うだろうと。もう一回見たいと言った。ではもう一度見ようと言われたけど一人で見たいと言って一人で見た。。とてもよかった。桐朋学園短期大学に入った。
1年後に女優デビューした。
7歳の時、父の会社が倒産した。その後お風呂なしアパート。5人姉妹の一番した。上は11歳差。大人の女性がたくさにた。
“おませな女の子”
お芝居始めたのも同性の生き方にあこがれを
「伽倻子のために」の映画。
原作を高校の時読んでいた。
監督の「泥の河」を見ていたので。
私はこれをやるために生まれてきたんだと思った。
オーディションを受けた。
2000人の中から選ばれた。
中原中也の詩集を渡されて好きな詩を読みなさいと。
実は中原中也の詩が大好きだった。
暗唱できる詩がいくつかあったので、本を閉じで暗唱した。
そしたら控室で台本を読まされた。
そこに私の名前が書いてあった。
坂東玉三郎の舞台に出た。『ロミオとジュリエット』のジュリエット役。
20代前半で目標を見失っていた。
玉三郎さんのインタビュー記事が出ていた。
それを読んで、雷に打たれた気持ちになった。
ラブレターを書いて、なけなしの花を買って、楽屋に行った。でも会わせてもらえなかった。それを渡してくださいとお願いした。
後で玉三郎さんからお花と手紙ありがとうと言われた。
ニューヨークの時に乳がんが分かった。
それを受け入れようと思った。
「キャンサーギフト」の言葉の意味が最初わからなかった。
なぜ私がこんなことになるのかと。
52歳から始まった闘病生活。
どこにギフトがあるのだろうと思った。
体験したものでないとわからないいのちのありがたさを気づくことになった。
生きていればいいじゃない。生きていれば何でもできる。
その時に、スキャンダルが出た。
うつ病にもなった。東京にいると辛いのでアメリカに逃げた。
食べられない。寝られない。
サンフランシスコの英語学校に通った。
体重がだいぶ落ちた。
規則正しい生活を半年ほどやっていた。
息子のことは大きかった。
息子が「お母さん、自分のために時間を使えばよい」と。
それで吹っ切れた。
めでたく離婚されて(サワコ)。
その言い方よい。
別れは悪いこともあるけど良いことも出てくる。
そういう風に考えないと。
捉え方ひとつでポジティブになる。
私にも、阿川婚があるかもしれない。
自分の可能性を信じていきたい。
生きていることが一番大切。
最後の最後に出会った人に感謝したい。
あいつもあいつも、そのおかげでいろいろ体験できた。
バースリーという体操。
ピラリスとヨガを加味した体操。
太ももとお尻の筋肉を付け股関節を強化する。
冷え性がなくなった。
ヨガをやっていて、探したところにバースリーがあった。
とても付いていけなかった。元気な先生だった。
病気して身体の健康の大切さを実感した。
今心に響く曲。シーア「シャンデリア」
アメリカに行っていた時によく聞いた曲。
絶望から復活した歌手に胸を打たれた曲。
辛酸をなめた人の曲。
この曲が鳴ると踊りだる
胸が痛くなるような曲
不安は考えたことがない。
セリフ覚えられるかなと。
二人芝居があり、半分はしゃべらないといけない。
「あの出来事」の舞台。
人は人を許せるかがテーマ
感想;
とても前向きな方のようです。
全ての出来事を良い体験として生かす生き方をされているようです。
あんなやつがいたから、今の私がある。
なかなかできないですが、それを実践されているようです。
とても笑顔が素敵でした。
分かれもいい面もでてくると思うのです。大変そうでしたが(サワコ)。
乳がんの手術から3年経過し、今はまた仕事。
女優歴35年。
50代にいくつの苦難。闘病、分かれ。
出会った人すべての人に感謝したい。
お陰でこういう体験ができたと。
昨年、一人息子が結婚した。23歳。まだ学生。
息子が会って欲しいと言われた。
前向きで朗らか。私の20代を思い出させる。
老老婚と言われている(サワコ)。阿川婚と呼んでいる。
よいご縁があればと。まだ2回しか結婚していない。3回目があってもよい。自分を枠に入れない。
1曲目 「フラッシュ ダンス」
尼崎出身。上京した10代のとき感動した映画の曲。初デートで映画。感動したとき、隣の人が「何食べる」と言われ、違うだろうと。もう一回見たいと言った。ではもう一度見ようと言われたけど一人で見たいと言って一人で見た。。とてもよかった。桐朋学園短期大学に入った。
1年後に女優デビューした。
7歳の時、父の会社が倒産した。その後お風呂なしアパート。5人姉妹の一番した。上は11歳差。大人の女性がたくさにた。
“おませな女の子”
お芝居始めたのも同性の生き方にあこがれを
「伽倻子のために」の映画。
原作を高校の時読んでいた。
監督の「泥の河」を見ていたので。
私はこれをやるために生まれてきたんだと思った。
オーディションを受けた。
2000人の中から選ばれた。
中原中也の詩集を渡されて好きな詩を読みなさいと。
実は中原中也の詩が大好きだった。
暗唱できる詩がいくつかあったので、本を閉じで暗唱した。
そしたら控室で台本を読まされた。
そこに私の名前が書いてあった。
坂東玉三郎の舞台に出た。『ロミオとジュリエット』のジュリエット役。
20代前半で目標を見失っていた。
玉三郎さんのインタビュー記事が出ていた。
それを読んで、雷に打たれた気持ちになった。
ラブレターを書いて、なけなしの花を買って、楽屋に行った。でも会わせてもらえなかった。それを渡してくださいとお願いした。
後で玉三郎さんからお花と手紙ありがとうと言われた。
ニューヨークの時に乳がんが分かった。
それを受け入れようと思った。
「キャンサーギフト」の言葉の意味が最初わからなかった。
なぜ私がこんなことになるのかと。
52歳から始まった闘病生活。
どこにギフトがあるのだろうと思った。
体験したものでないとわからないいのちのありがたさを気づくことになった。
生きていればいいじゃない。生きていれば何でもできる。
その時に、スキャンダルが出た。
うつ病にもなった。東京にいると辛いのでアメリカに逃げた。
食べられない。寝られない。
サンフランシスコの英語学校に通った。
体重がだいぶ落ちた。
規則正しい生活を半年ほどやっていた。
息子のことは大きかった。
息子が「お母さん、自分のために時間を使えばよい」と。
それで吹っ切れた。
めでたく離婚されて(サワコ)。
その言い方よい。
別れは悪いこともあるけど良いことも出てくる。
そういう風に考えないと。
捉え方ひとつでポジティブになる。
私にも、阿川婚があるかもしれない。
自分の可能性を信じていきたい。
生きていることが一番大切。
最後の最後に出会った人に感謝したい。
あいつもあいつも、そのおかげでいろいろ体験できた。
バースリーという体操。
ピラリスとヨガを加味した体操。
太ももとお尻の筋肉を付け股関節を強化する。
冷え性がなくなった。
ヨガをやっていて、探したところにバースリーがあった。
とても付いていけなかった。元気な先生だった。
病気して身体の健康の大切さを実感した。
今心に響く曲。シーア「シャンデリア」
アメリカに行っていた時によく聞いた曲。
絶望から復活した歌手に胸を打たれた曲。
辛酸をなめた人の曲。
この曲が鳴ると踊りだる
胸が痛くなるような曲
不安は考えたことがない。
セリフ覚えられるかなと。
二人芝居があり、半分はしゃべらないといけない。
「あの出来事」の舞台。
人は人を許せるかがテーマ
感想;
とても前向きな方のようです。
全ての出来事を良い体験として生かす生き方をされているようです。
あんなやつがいたから、今の私がある。
なかなかできないですが、それを実践されているようです。
とても笑顔が素敵でした。